第21話 (颯太の素の顔、ちょっと幼い)

  颯太が読んだことの無い文庫を一冊買うと、篠は本屋を出た。腕時計を見ると、十一時八分。昼には、もう少しというところだ。


「なんか飲みます?」

「ジュース飲みたい。下で、果物ガーッてするところ見たの」


 果物ガーッてするところ、を案内板で確認して、颯太は篠をエレベーターに乗せた。その頃にはもう、手を繋いでいることに、違和感も無かった。


(元カノとは、こんな長いこと繋いだことなかったな)


 割といつも忘れているのに、篠といると時折思い出す。

 同じバレー部で、同じ学年で、話が合って、緊張しなくて、告白されたから付き合ってみた――初めての恋人を。


 何回か出かけて、ぎこちなく数回手を繋いで、片手の指で足りる回数キスをした。


 彼女とは受験のストレスで喧嘩ばかりになり、卒業前に別れた。

 部活も引退していたし、別れた後は顔も合わせていない。L1NEは高校進学にあたり、向こうからブロックしてくれたため、気楽なものだった。


 くいっと手を引かれ、颯太はハッとした。

 見下ろすと、キャップを脱いで顔が見やすくなった篠が、いつものように颯太を見上げていた。


「ついたよ」

「すみません」


 篠の手を引き、エレベーターを降りる。ジュース屋に向かう途中、篠が軽くつんのめった。


「っ――すみません! 大丈夫ですか?」

「うん」


 勝手に気まずく感じてしまったせいか、足が大股になっていた。


 思えばこれまで、くっついて歩く時はいつも、篠が颯太を引っ張っていた。


 颯太は篠に引きずられるままに、後ろをついて回っていただけだったため、篠の歩くペースを知らなかった。


「本当にすみません……。折れてませんか?」

「うん。折れてないよ」


 ほら、と両足を見せられ、颯太は顔を逸らした。そこは今日、直視できないゾーンである。


「考え事してて……」

「そんな謝らないで。悪いこと考えてたの?」


 別に悪いことはしていない。

 だが、元カノのことを考えていましたとは、何故か言えなかった。


 颯太は視線を左右にさ迷わせた後、「何を頼もうか考えてました」と苦し紛れに告げる。嘘だった。でも、嘘をつくべきだと思った。


 篠はじっと颯太を見つめた。じーーっと音が鳴りそうなほどに見つめてくる篠から、颯太は視線を逸らした。だらだらと、冷や汗が流れる。


「……マンゴーにしたら?」

「え?」

「私はパイナップルを頼むから、颯太はマンゴー」

「はい。わかりました」


 颯太は神妙に頷いた。

 確実に、これで手打ちにして貰った気がした。




***




「これで買うの?」


 食券を見慣れていないのか、篠は興味深そうにフレッシュジュースの発券機を見た。

 どこにでもある食券機で、ボタンのところに「メロン&バナナジュース」「いちご&りんごジュース」など、品名が書かれている。


「篠先輩はパイナップルでしたっけ」

「うん」

「何か混ぜてるのがいいです?」

「パイナップルだけのがいい」


 篠は手を解き、リュックから財布を取り出す。販売機の文字を見るためか、颯太の腕に寄りかかりながら、自分の分の金額を硬貨投入口に入れた。


「颯太、ボタン押して」

 押し間違えるのが怖いのだろう。言われるままに「パイナップルジュース」を押す。


「ありがとう」

 いつの間にか颯太の腕に巻き付いていた篠が、にこにこと笑って礼を言う。

 財布から札を取り出した颯太は、発券機に吸い込ませた。


「俺はマンゴーでいいんすか?」

「うん。嫌いだった?」

 今更になって不安になったのか、篠が眉を下げて聞く。颯太は軽く笑って、ボタンを押した。

「どれも同じぐらい好きですよ」


 マンゴージュースの券が、取り出し口に落ち、二枚の券が重なった。


 店員のお姉さんに券を渡し、受け渡し口で待つ。颯太の腕を掴んだままの篠は、そわそわと店員の方を見ていた。ミキサーに氷と共に果物が入れられ、力を加えてガーッされる様を、ちらちら見ている。


「前に行きます?」

「いや、いいの。いいの。恥ずかしいでしょ?」


 慌てて小さく手を振って拒否すると、篠は前髪を手で整えた。

 そんな篠を、面白くない気持ちで見る。


(「恥ずかしい」なんて、俺言ったこと無いけど)


 誰がいつ、「果物ガーッてするところ」を見て恥ずかしいと言ったのだろうか。ろくな男じゃなかったに違いない。


 篠がしたいという突飛も無いことを、颯太はこれまで全て受け入れてきた。今更「恥ずかしい」などと言って、断るわけが無い。


「見ましょう」

 カウンターに寄りかかっていた体を起こし、颯太はショーケースの前まで歩いた。腕を組んでいたため、篠もとことことついてくる。


 ジュースを作る店員に近付くと、颯太達に気付いた店員がにこりと微笑む。


「お待たせしております。今作りますね」

「あっ……その、おかまいなく」


 店員に話しかけられた篠は、片手で頬に手を当てた。珍しいことに、少し焦っている。


 じっと見ている事に気付いた篠が、少し唇を尖らせて、颯太を上目遣いに睨んだ。


「だから、恥ずかしいって言ったのに」


『前に行きます?』

『いや、いいの。いいの。恥ずかしいでしょ?』


 さっきのは、自分が恥ずかしがっていただけなのか。

 ムカムカとしていた胸が、驚くほどに軽くなる。


「連れてきてよかったです」

「えっ……? 颯太、意地悪……?」

「知らなかったんすか?」


「知らなかった」と篠が小さな声で零す。困ったように眉を下げ、俯く篠に不安がよぎった。


 背を曲げ、篠と腕を組んだまま、俯く彼女の顔を覗き込む。


「……意地悪な俺は嫌いですか?」


 篠はぽかんと唇を開いた。

 学校で見る時よりも、色づいた唇がすぐそばにある。


 颯太が顔を見つめていると、篠は更に顔を伏せた。あまりに垂直すぎて、流石にもう覗き込めない。


 嫌だと言い難かったのかもしれない。颯太は身を起こし、頭をかいた。


「颯太なら、どんなでもいい」


 掠れた小さな声で、ぽつりと呟かれた。


 見下ろすと、つむじが見える。


 颯太は手を伸ばし、篠の髪に触れた。びくりと震える篠の髪に指を通し、耳にかける。


 形のいい篠の耳が出てきた。その耳はほんのりと赤く染まっている。


(赤い)


 その色が嬉しくて、颯太はもう片方も髪を耳にかけた。

 しかし篠は怒った顔をして、ぶんぶんと首を横に振り、耳から髪を下ろしてしまった。


 その様子がやっぱり可愛くて、颯太は破顔した。





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