第19話 (いけ。誘え。送信ボタンを押せ)


 夏休みは、週末以外のほぼ毎日、朝九時から夜の七時まで部活がある。

 練習のしすぎによる怪我と、学力低下を防ぐため学校の意向で、日曜日だけは休みになっていた。


 夏休みになっても、颯太は毎日変わらず自転車に乗って学校に行っていたが、変わったこともある。


 篠から毎日、なんてことのないL1NEが届くこと。

 なんだかんだで、おはようからおやすみまでの篠のL1NEを心待ちにしていること。


 そして――今日は、篠と初めて学校外で会うということ。






[ 一緒に買い物行こう? ]


 休みの日を伝えた後、送られてきた白色の吹き出しに、颯太は見事に固まった。


 いつものように送られてきた何気ないメッセージに、颯太はいつものようにすぐに返事が出来なかった。


 L1NEを開いているので、すでに既読をつけてしまっている。


 いつもは既読をつけたらすぐに返事をするのだが、颯太は柄にも無く、戸惑っていた。颯太が頭を抱えていることに篠も気付いたかも知れない。


「いや、二年に誘われたんだから『はい』以外ねえだろ……」


 大きな手のひらで顔を覆いながら、指の隙間でスマホの画面を盗み見る。

 いつものように「はい」と送ればいいのに、何故このメッセージにだけ、こんなにも緊張しているのか、さっぱりわからなかった。


 一時間後、ようやく送った「はい」の二文字に、すぐにスタンプが返ってきた。




***




 涼しげな素材のプルオーバーシャツに、黒のジーンズ。

 キャップを被り、腕時計をつけ、バッグを肩にかけた颯太は、玄関を出た。


 自転車に乗るか迷ったが、自転車ではすぐに駅に着いてしまうだろう。そっと見た腕時計に、待ち合わせ時刻まであと一時間は必要なことを教えて貰う。


 駅までは、歩いて十五分だ。颯太は今日何度目かわからないため息をつくと、家の門を静かに開けた。





 歩けば十五分かかるはずだった駅まで、十分で辿り着いてしまった。今から五十分、何をして時間を潰せばいいのかと途方に暮れる。


 ひとまずお茶でも買おうと自動販売機に向かった颯太は、ピタリと足を止めた。駅のベンチに、男が三人群がっている。注意深く見ると、ベンチに座った誰かを取り囲んでいるようだった。

 男が邪魔で見えなかったが、覗く足から、ベンチに座っているのは女性だとわかった。


 嫌な予感がして、颯太は歩き出した。

 ベンチにいる女性を見るために、迂回する。


 キャップを深く被っているが、そこに座っているのは間違い無く篠だった。男に視線さえ向けずに、片手でスマホをいじっている。


「篠先輩?」


 俯いていた顔が上がり、篠が顔を見せる。


 颯太を見つけた篠は、いつものようにぱぁっと顔を輝かせると、男達の隙間を縫ってベンチから飛び出した。


「颯太!」


 走って来た篠が、颯太の腕に抱きついた。そのままぐるりと、颯太の背に回る。


 腕を掴んだままの篠は、颯太の背に隠れた。颯太は篠の掴んでいる手と反対の手で、彼女の背をぽんぽんと叩くと、男達を睨み付けた。


「なんすか」

「んだよ、男待ってるなら言えよ」


 颯太が睨み付けると、男達は一言二言文句を言うと去って行った。颯太は篠をへばりつかせたまま、壁のあるところまで歩く。


「待たせてしまってすみません」

 駅の端で立ち止まり、声をかける。篠はひょこっと颯太の陰から出て来た。

 颯太の腕を両手で持ったまま、篠が颯太の前方に回ってくる。


「家まで迎えに行くべきでした。こうなるって、考えりゃわかったのに」

 後悔に苛まれる颯太に、篠はふるふると首を横に振った。


「人のいるところで待ってたし、相手にしなかったし、大丈夫。怖くなかったよ。颯太が来たから」


「っ……」


 咄嗟に飛び出そうだった気持ちは、言葉になる前に消えた。にこにこと笑う篠に、颯太は苦笑を返した。

 颯太の下手くそな笑みを見た篠は、やはりにこにこと笑って、颯太の腕にしがみつく。


「でも、やっぱり少し怖いから、手、繋いでていい? 手繋いでたら、変なのに声かけられないし」


「あ、はい。もちろん」


 そのぐらいで篠に安心を与えられるなら、腕でも手でも足でも、好きなところにしがみつけばいい。軽く手のひらを差し出すと、篠は手を這わせた。颯太の太い指と指の隙間に、篠の細い指が入り込む。そして、ぎゅっと小さな手で篠が握りしめた。


 繋いだ手を、嬉しそうに篠が振る。嬉しそうな篠を見て和んでいた颯太は、はたと思い当たった。


『手繋いでたら、変なのに声かけられないし』


「……いつもは誰と繋いでるんですか?」


 篠は顔を上げ、ふふっと笑った。答える気が無い時の笑みだと、わかるくらいには一緒にいた。


(もう一度聞けば、答えてくれるかもしれない)


 だがもう一度聞くことが、何故か出来なかった。





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