第28話 美しい花

 マーガレットは友人を抱き起こすと、マチルダに憎しみを込めたまなざしを向けた。


「マチルダが怪しいということは、トマスから聞いていました。アリスに正直に罪を打ち明けてくれれば、寛大な処置をしようと思ったわ。でも私が考えていたよりもずっと、危険に手を染めていたようね。それにアリスを殺そうとした」

「エドマンド」


 マチルダがあわれっぽく夫にすがりつく。


「助けて。すべて誤解なの。あのシスターの言いがかりなのよ。私はいつだって女王陛下のために尽くしてきたわ」


 はらはらと涙をこぼし、エドマンドの胸に顔をうずめる


「私、怖かったわ。冤罪なのよすべて。女王陛下の宝剣のことなど、とんでもない。各地の反乱のことだって知らないわ。なにもかもあのシスターが仕組んだことなのよ」

「言いたいことはそれだけか?」


 エドマンドは冷めた目でマチルダを見下ろしていた。

 マチルダは驚き、離れようとした。

 だがエドマンドは彼女を抱きしめて離さない。

 マチルダは捕食者から逃れようとする哀れな子ウサギのように、身をばたつかせている。


「あなたのせいで何人の兵士が犬死にしたことか。余計な争いを起こし、国を乱した。私は戦が好きだが、この戦はただ胸くそが悪くなるだけだ。洗脳され、食う糧を失った若者を一方的に殺しただけだった。ひとりのつまらない女のために」

「エド……マンド、ゆるして……」

「許して? 否定はしないのか? いつもみたいに自分は違うと泣いてみろよ」


 エドマンドは、マチルダの首に手をかける。

 マーガレットはあわてて止めに入った。


「エドマンド、やめなさい」

「あなたが私のことをどう思っていたかなんてとっくの昔に知っていた。鍛冶屋の息子、殺人鬼、悪魔の申し子だ。私は女が好きだが、あなたは別だ。出会ったときからすでに女ではない「なにか」だった。爵位ほしさに目をつむったのは私の責任。だがあなたは私の妻だ。せめて私の腕の中で殺してやる」


 マチルダが声にならない声をあげ、マーガレットはエドマンドの腕をつかんだ。


「やめなさい!」

「女王陛下」


 エドマンドの紫色の瞳が、残酷なほど暗い光を宿している。

 マーガレットは息をのみ、それから続けた。


「宝剣のありかを聞いていません」


 こういうときは、淡々と、彼女が必要な理由を述べた方が良い。

 エドマンドは予想通りつきものが落ちたかのようになり、「それもそうですね」と腕を放した。

 マチルダはくずおれ、全身を弛緩させた。


「彼女をとらえて、口を割らせて」

「陛下……ご慈悲を……お願いいたします、陛下だけがたより……」


 マチルダは蚊の鳴くような声で、マーガレットの足にすがりつく。


「マチルダ」


 マーガレットはぞっとするほど美しい顔をしていた。

 アリスはその表情にしばし見とれていた。


 ジギタリスの花は、下を向いて咲くのだ。

 哀れなマチルダを見下ろすその表情。

 青い瞳は夜空のように暗く輝いている。

 その星々がうごめくようなまなざしは、向けられる対象によってまるきり印象を変えた。


 愚かな人々を見捨てた魔女のようでもあり、誰かれかまわず救いの手をさしのべる聖女のようでもあった。


「私を王と認めなさい」


 マチルダはしばし地面を見つめていたが、けたけたと笑い出した。

 マーガレットは彼女を助け起こさない。

 誰も自分の涙に同情しないと、理解したのだろう。


「誰が認めるか、娼婦の子孫が」

「……連れて行きなさい」


 控えていたエドマンドの部下が、彼女を立たせ、縄をかける。

 聞くに堪えない呪いの言葉を吐きながら幌馬車に乗せられる彼女を、アリスは息をのんで見送った。


「マーガレット」


 大丈夫、とは聞けなかった。

 彼女は毅然としていた。

 アリスの知らない四年間で、とぎすませた才覚。

 父の死と民の拒絶は彼女をより強くしたたかにさせた。

 ライオネル・グレイにおびえていた王女マーガレットはどこにも存在していない。

 アリスは言い直した。


「……女王陛下」


 マーガレットは、アリスを見て目を細めた。


「その呼び方はやめてって言ったじゃない……大丈夫だった? あなたも医者に診せないと」


 その表情に、修道服を着て共にかけまわっていたころの、マーガレットが重なった。

 いくらマーガレットが強くなっても、女王として美しく咲いても、国民は彼女の力をちっとも理解していない。

 下を向いて咲く花の、その美しさに気づかない。


 アリスは、マーガレットをきつく抱きしめた。


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