第8話 お見合いはお断り


 各国から集められた肖像画たちが、侍女たちによって並べられてゆく。


「ルイーズ。違います、そちらの大きな肖像画は王女殿下のすぐ近くにと言ったでしょう」

「申し訳ありません、マチルダ様」

「私に大きな声を出させないで。あなたも違いますよ、カリス。こちらは国王陛下より少し離した位置になさい。近づきすぎると帽子の羽根飾りがぼやけてしまうではないの」


 神経質にマチルダが注意すると、侍女たちは一瞬うんざりしたような顔をするが、すぐに無表情にたちもどる。


 マチルダは小さな声でちまちまと侍女に注意し、興奮でほてった顔を扇であおぎながら、小鳥のようにあちこちをとびまわった。


 王宮で一番広い談話室には、レースのテーブルクロスを敷いたいくつかの丸テーブルと、椅子が並べられている。

 中央の席にはマーガレットに座り、美術館よろしく運び込まれた肖像画を、ぼんやりとながめた。


 マーガレットのかたわらで笑みをうかべるシーガンと、退屈そうに控えるエドマンド。

 そして摂政たちは離れたテーブルから、この様子を見守っているのであった。


「お前のために集まった紳士の肖像画たちだ。好みの男性はいるかね。その右の絵をもっとよく見せておくれ」


 シーガンの指示で、侍女が絵を持ち上げる。大きすぎるので、よろめいている。

 かわいそうになったので、マーガレットは首を横に振った。


「エドマンド、助けてあげて」


 エドマンドは不承不承したがって、侍女に手を添えて絵をおろさせた。

 侍女の頬が一瞬赤く染まる。

 やれやれ、といった具合でマーガレットはため息をつく。


「お父さま……結婚の話なんだけれど、こうも急に進めなくてはいけないの?」


 ラドクリフ伯が、咳払いをする。


「マーガレット殿下が困惑されるのはもっともなことではございます。しかしながら、こういったことは事前の準備が大事。早めに目星をつけてかなくてはなりません。マーガレット殿下がご結婚されるのはこの国の未来の王配となり、リカー王国にとっても重要な人物となるでしょう。国王陛下と共にお選びになられたほうがよろしいかと……」


 言いながら、娘のマチルダに視線をやる。


 ――また、マチルダの進言によるものというわけね。


 とうのマチルダは遠慮がちに目を伏せている。

 マーガレットは心の内でため息をついた。


 マチルダのやることは間違っていない。

 国王の考えではマーガレットは将来的に摂政と夫にすべてをまかせ、事実上引退するのだ。

 ならばその夫はシーガンがまだ健在のうちに選んでおかなくてはならない。


 しかし、マーガレットはそうなることを望んではいない。

 自分の手でリカーの民を救う。

 そのためにエドマンドに協力をあおぎ、摂政と良好な関係を築きながらも、なんとか手綱を自分のもとへ引き寄せようとしているのだ。

 それなのに、結婚話が具体化してしまえば、計画が崩れる。


(マチルダも、侍女ならばもう少し私の意図をくんで協力的になってくれても)


 父のラドクリフ伯がマーガレットの摂政になっているので、マーガレットの自立を応援できないのだろう。

 むしろ家の問題にとらわれず、マーガレットに協力的なエドマンドのほうが異質なのかもしれない。


 彼女に悪気はなく、国王の望んだ通りに王女を支えているだけだ。

 シーガンが健在のうちは、マチルダの行動を制限することはできない。

 エドマンドがなにか言いたげな目でこちらを見ているが、マーガレットはうなずいてみせた。


 今結婚するわけにはいかない。

 ここは、どうにかきりぬけなくては。


「この男たちの中で一番若い男はどなたです?」


 エドマンドがたずねると、ラドクリフ伯が、短い指を一生懸命動かしてリストをめくった。


「えー……カバラ共和国のグラン公、御年四十六歳であります」

「おお、なるほど」


 エドマンドはそう言ったきり口をつぐんだ。

 ――四十六歳! アリスがいやがっていた、三十歳も年上の男との結婚が、まさに他人事ではなくなるではないの!


 政略結婚は覚悟していたとはいえ……。

 肖像画の男たちはどれもぱっとせず、髪がはげあがっていたり、目がおちくぼんでいたり、すでに初老にさしかかっている者もいる。


(リカーの国力が見えるというものね。大国の姫君が結婚するなら、このような人選にはならないはず)


 自分のことよりも、国の未来を考えるだけで、憂鬱になるというものだ。

 シーガンは、マーガレットの様子をうかがいながらぼそぼそと言った。


「えー……マーガレット、男は年齢ではない。お前を力強く引っ張ってくれる男で、身分ある立場の者となると……それなりに……年齢が上になるのはたしかなことだ」

「あまり年かさの夫では子作りに影響すると思うのですが、計画は本末転倒では?」

「エドマンド。口を慎みなさい。王女殿下の前でそのような!」


 かんだかい声でマチルダが怒りくるう。


「その……参考までにグラン公の経歴を」


 マーガレットが問いかけると、ラドクリフ伯はまたしても短い指で神経質にページをめくりはじめた。

 このちまちまとした動きは、マチルダと共通するものがある。 


「王女殿下、申し上げます。グラン公はごらんの通り、男前というわけではありませんが……」


 どこかから、くすくすと笑いがこぼれる。

 それを咳払いでさえぎると、ラドクリフ伯は続けた。


「カバラ共和国では広大な葡萄畑を所有しております。我が国にも流通しているグラン・ワインをご存じでありましょう。あの素晴らしき芳醇な葡萄酒は、このグラン公が作らせたものです。いまや大陸中がグラン・ワインを愛飲しており、各国王室御用達の味。大型船もいくつか所有しており、未開拓の地へ使節を派遣、国際交流などもお手の物でございます。しかもグラン公はカバラ共和国の王位継承権もお持ちでいらっしゃいまして――」

「カバラ共和国の?」


 マーガレットが興味をしめしたようなので、ラドクリフ伯は大きくうなずいた。


「さようでございます。三十六番目の王位継承者でございます」

「前の三十五人が、死んでしまえば王というわけですね。謎に死んでしまえばね」


 わかりきったことを繰り返して言うエドマンド。

 グラン公が王位を手にすることは、まぁ……どう見積もっても……ほとんどない、と言い切って構わないだろう。

 だからこそリカー王国への婿入りで、自分の王国を持つことを夢見ているのかもしれない。


「わかったわ、それでは次の人」


 エドマンドがそばの肖像画をかかげる。

 「お前はその整いすぎている顔を絵の後ろにぴったり隠せ。絵がひどく見える」と小声で注意されている。


「おほん。こちらはイリス帝国のリボン伯爵でございます。御年五十一歳で……その……陛下と同い年ではございますが……いや、イリス人は長生きですからね。あと三十年は大丈夫でございましょう。ご趣味は庭園造りということもあって、優しげで柔和な方でございまして、評判もすこぶるよろしいですね。ただし亡くなった奥さまとの間にお子さまが十六人いらっしゃって、婿入りの際は全員をリカー王国に連れて行きたいとおおせなのですね」


 シーガンが渋面になる。

 ラドクリフ伯は、勢いのまましゃべり終わることにしたらしい。


「しかし、しかしですよ。彼はすこぶる優秀な方でございます。帝国の軍隊組織を改革し、士官学校をいくつも作りまして、帝国の頼れる軍事力はリボン伯爵によってもたらされたようなもの。その一方で芸術にも深い理解を示し、リボン伯爵の支援で多くの文化が花開き、著名な画家や彫刻家が集まり……イリス帝国がただの血なまぐさい国とならなかったのは、こういったわけがあったからでありまして。強く推したいのは、彼がとてつもなく愛妻家なところです。いや、お子さんも十六人いらっしゃって、末っ子はまだ二歳というわけですから、その……まあ、男としてはまだまだ十分ということで」


 ラドクリフ伯はこぼれでる汗をハンカチでぬぐう。

 エドマンドはこっそり絵をずらして顔を見せ、口をぱくぱくさせて「やめておけ」と伝えた。


 実力にも人柄にも問題はないのかもしれないが……十六人も子どもがいて、それをリカーに連れてきて、なんの職にも就かせないわけにはいくまい。

 男の子は王宮内のなんらかの要職につかせることになるだろうし、女の子は、ただでさえ今の男にあぶれたリカーの女たちをおしのけて、有望な貴族と結婚させなければならないだろう。

 頭が痛くなってきた。


「あの……他には?」

「次は、ですね……非常に申し上げにくいのですが、いや、私としてもそういうわけには、と言ったのですがどうしても肖像画を送りたいとのことで、一応ここへ絵を運ばせた次第でありまして」

「ラドクリフ。すぐに出してみせよ」


 シーガンは、はっきりしないラドクリフ伯にいらだっている。

 ラドクリフ伯は布をかぶせられたいっとう大きな肖像画を指さし、エドマンドが布を取り払った。


 そこには、銀髪のすらりとした青年が描き出されていた。

 年の頃は二十代の半ば程度に見える。

 勲章がたっぷりとついた上着を身につけているところから、軍人であるとわかる。

 薄青の瞳の爽やかな男だ。今までで一番の美丈夫である。


 しかし、シーガンは不機嫌になった。


「これは、シラナ国のアシア王子ではないか」


 マーガレットはすぐにぴんときた。

 七十年前、グレイ家の娘がシラナ王国へ輿入れしたという。

 シラナ国の王に見初められた公爵令嬢アン・グレイは、単身大国へ嫁入りした。

 そのアン・グレイの血を引くのが、シラナ国のアシア王子である。


「アシア王子はもうご結婚されていると聞いたけれど」


 同じケネス国王の血を引く者として、彼の経歴くらいは知っている。

 実際には会ったこともないし、肖像画を見たのは初めてだが。


「さようで……ございます。一昨年、ご結婚されておりまして……しかし、同じケネス国王の血を引かれておりますし……第二妃として、「マーガレットさまを迎える」というかたちでしたら、どうかという条件つきで……」

「話にならん!!」


 シーガンはこぶしでテーブルを叩きつけた。

 ラドクリフ伯は恐縮しきったように頭をさげ、いつまでもアシア王子の肖像画を掲げ続けるエドマンドに、「さっさとしまえ!」と怒鳴りつけた。


「ラドクリフ伯、どうもありがとう。期待できそうな殿方ばかりで退屈しなかったわ」


 マーガレットはうんざりしたように言った。


 王位にはどうあがいても手が届かない四十路過ぎの男。

 十六人の子持ちの男やもめ、そして「婿になるのは冗談ではないが、国ごと嫁いでくれるならまったく構わない」と図々しくものたまう男である。


 マーガレットは深く息を吸った。

 この人選なら、問題なくひっくり返せる。


「みなさん、ごらんになりましたか? この男性たちに、次のヴィア王朝をまかせられますか?」


 摂政たちは首を横にふる。

 この状況では、そうするのが正解である。


 ラドクリフ伯には悪いが、ここはマーガレットの都合の良いように事態を誘導させてもらう。


(結婚したら夫に王冠を奪い取られる。それに結婚しろと言われたら、したくなくなるのが私の性格なのよ)


 ――私のあまのじゃくさを、甘く見てもらっては困るわ。

 自慢じゃないけど、ずっとマザー・グレイスの頭痛のたねだったんだから。

 それでも、周囲の圧力をはねのけるからには、自分の正義に反する行いはしないつもりよ。


 結婚を拒むからには、責任をもって国政を行ってみせる。


 マチルダに一瞥をくれ、マーガレットは熱っぽい口調で言った。


「父の戴冠は私にとっては思いがけないことでした。それでもみなさんのご尽力があったからこそ、父は玉座に座ることができたのです。事情が多分におありのよそ者の男性がたに、このリカー王国を治めることができるでしょうか? 私の夫となるからには、王配は政治と無関係ではいられないはずです。今一度考えていただきたい」


 摂政たちはひそひそと話し合っている。

 王配の人柄や経歴は摂政たちの立場に大きく関係する。

 ラドクリフ伯はこうして王配の紹介者となっているから、結婚後も女王の夫に恩を売ることはできるだろうけれど、他の側近たちはそうはいかない。

 王宮の勢力図は変わるだろう。


(そこに揺さぶりをかける)


 マーガレットはとどめに付け加えた。


「今だに安定しているとは言いがたい政府に、外国から夫を迎えたらどうなるか……私が頼りにしているみなさんが、未来の夫の手によって王宮を追い出されたりしないか、不安なのです! みなさんがいなくなったら、私はどなたを頼りにすれば良いのでしょう。まだ見ぬ夫よりも、今私に手を差し伸べてくれるみなさんのことを考えてしまうのは、当然のことではありませんか」


 エドマンドが、肖像画の横であほくさいと言った顔をしている。

 すぐその顔をアシア王子の裏にしまえ、とマーガレットは右手を払ってみせた。


「ワインの方は届かなかった王位を手にして有頂天になるでしょうし、十六人の子持ちの方はその子どもたちで私の周囲を固めるはずです。アシア王子にいたっては、もうリカーが支配されるも同然ではありませんか!」


 すでに前半二人は名前も忘れてしまったのだが、マーガレットの言葉に摂政たちは「それはいかん」「息子たちが得るはずだった土地や地位もなくなっては」「なによりリカーの危機でありますぞ」と思い思いに感情をあらわにしている。


 不安や動揺が怒りとなりラドクリフ伯に向かう前に、マーガレットはすかさず彼に言葉を向けた。


「ラドクリフ伯。私のためにこうして求婚者を調べてくださったことには感謝いたします。しかし、ヴィア王朝はまだ始まったばかり。私がしっかり夫の手綱を握れるようになるまで……外国から夫をまねくことは控えたいのです!」

「し、しかしですな、マーガレット殿下。諸外国から夫を、というのは国王陛下のご意志でございまして……」


 わかっているわ、ラドクリフ伯、あなたもとんだはずれくじだったわね。


「私や父のためを思い奔走してくださったこと、心から感謝しているのです。それはまぎれもない事実です」


 マーガレットはうなずくと、父の方へ向き直った。


「お父さま。私を頼りなく思っているのは十分理解しております。ですが、お父さまが命を賭けて手に入れた王位だからこそ、守りたいと思っているのです」

「マーガレット……」

「王宮にきて、初めて実感しました。国王の責任の重さを! お父さまが命を削って平和のために剣をふるう姿を見て、私は感銘を受けたのです。玉座にはジギタリスの花を咲かせ続けないといけないと」


 反省室に入るたびにしおらしくなるアリスの演技上手っぷりがうつったのかしら、と心のすみで思ったが、マーガレットは流れに身をまかせ、父に訴えかけた。

 こうなったらもうなるようになれである。


 シーガンはマーガレットの手を握りしめる。


「お前の思うようにしなさい」

「国王陛下! それではマーガレット殿下にとって、とてつもない負担になりますわ」


 見守っていたマチルダが抗議した。


「結婚し、子を生むこと。慈愛の国母になることがマーガレット殿下のお役目なのでございます。それを……」

「マチルダ、お前の言うことは正しい。お前がマーガレットを慈愛の女王にせよと言ってくれたときからそう思っていたのだ。王家の確執にこの子をまきこむのが不憫でな。だがマーガレットの覚悟は親の予想以上のものであった! 今後はマーガレットの意思を尊重し、女王の統治を視野に入れて摂政たちにも力添えをしてもらおうと思う」


 シーガンの言葉に、マチルダは絶句している。


 マーガレットは父の言葉を聞き逃さなかった。

 あの「慈愛の女王」計画は、マチルダによってもたらされたものだったのか。

 どうりでマーガレットとかけ離れた女王像が生まれたはずである。


「国王陛下……私は、マーガレット殿下が心配なのでございます。同じ女として……」

「わかっておる。ただ子の可能性を信じたい、おろかな父親の望みだ」


 なおも言いつのろうとしたマチルダだが、マーガレットは口をひらいた。


「マチルダ。私のためを思ってのこと、感謝するわ。でも私は国を守ることを負担などと思いません。それに一生結婚しないと言っているわけじゃないのよ。ここにいるみなさん、なにか勘違いしてらっしゃらない? 他ならぬお父さまも」


 わざとおどけてみせると、シーガンや家臣たちはほっとしたように笑い出す。


「今は外国から夫を迎えることはできない、それだけよ。肖像画は大事にとっておきましょう。ラドクリフ伯の仕事がむくわれるときがくるかもしれないもの」

「もったいないお言葉でございます」


 引き時を見いだそうとしていたラドクリフ伯は、心底ありがたそうにマーガレットの言葉を受け取った。

 マチルダが涙をこぼし、エドマンドは仕方なさそうにしわしわのハンカチを取り出している。それを拒否すると、自分のポケットから端のそろったきれいな水色のハンカチを取り出して、目頭に押し当てた。


「出過ぎたことを申しました。私をお許しください」


 こうも素直に謝られるとなんだか拍子抜けしてしまう。


(マチルダの考えが父の意向に沿っていたのも事実。私のためというより、父のために動いてしまうところは困ったものだけれど……それも王宮に不慣れな私を支えるため、彼女に与えられた役割のひとつなんだわ)


 マーガレットは苦悩したが、ほほえんだ。

 マチルダとは長い付き合いになるのだ。

 これから時間をかけて自分の考えをわかってもらえば良い。


「わからずやの主人でごめんなさいね、マチルダ。それでも私を助けてくれるわね?」


 マチルダはぱっと顔を輝かせる。


「もちろんでございます、マーガレット殿下」

「良い侍女を持ったな、マーガレット。さあ、肖像画は片付けさせて酒宴とこう。すぐに運ばせて。ああ、くれぐれもグラン・ワインは持ってくるなよ」


 シーガンの一言でどっと笑いが起こる。

 役目を終えた肖像画は侍女たちによってすぐさま退場させられたのだった。

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