第2話 出会い

 見渡す限りの岩場。それが眼前に広がっていた。


「…………えっ何処ここ。……洞窟……?」


 思わず零れだす独り言。

 ここが洞窟だと判断出来たのは、見上げた頭上に天井が見えたからだ。その天井というのもめちゃくちゃに高く、とても人間の手は届きそうにない。ただの洞窟と表現するには些か広大過ぎるようにも思えた。


 横幅、と評していいのかは分からないが、縦だけでなく全体として見ても非常に広い。振り返れば後ろはすぐ岩肌だが、ここから奥に進もうと思えば一体全体どれくらいの奥行きがあることやら。想像すら付かない。

 学生時代、修学旅行か何かで鍾乳洞に入った記憶はあるが、ざっくり言えばそれの数十倍以上は広かった。


 おかしいなあ。

 俺は確か、いつものように目覚ましに叩き起こされ、寝ぼけ眼をこすりながらスーツに着替え。幾分か踵をすり減らした革靴を履いて、自宅の玄関を開いたはずなんだが。


 何度瞬きしても、何度目を擦ってみても。目に入るのは見慣れたマンションの共用部ではなく、あまりにもあんまりな、洞窟であった。


「いやいや。いやいやいやいや。…………えぇ……?」


 いやね、確かに彩りが欲しいとは思ったよ。それは否定しない。何か面白くて心躍るようなイベントが降って湧いてこないかな、なんて淡い希望を抱いたりもした。それも否定はしまい。


 だからって次の日自宅のマンションのドアを開いてこれはないでしょ。

 控え目に言って意味が分からない。


 確かに昨日、普段からクソうるさい住人の喧噪も聞こえなかったし、寝る前に何となく部屋がぼんやりと青白かったような気が、しないでもない。俺は昨日疲れてたんだ。正直あまり周囲の様子は覚えていない。

 とは言っても、いきなりこんなアナザーワールドに放り込まれるなんて誰に予想出来るのか。出来るわけがないでしょうが。


「待って待って待って。携帯は……ダメか……」


 一縷の望みを賭けて懐に忍ばせたスマートフォンに手を伸ばすも駄目でした。普通に圏外である。どうしろってんだ畜生。


「うーん……俺の部屋は普通だな……」


 現状の整理も感情の整理も覚束ないままとりあえず自分の家に戻ってみたが、部屋は昨日寝る前に見た状態のままであった。

 うーん、どういうことだろう。まさかこれが明晰夢というやつなのだろうか。ドア一枚を挟んで向こう側に荒涼とした異世界が広がっている現実は、出来れば御免被りたい。


 途方に暮れたまま居ても仕方が無いのでちょっとだけ歩いてみたのだが、目に見える岩壁、流れる空気、足場の感触、それらすべてが現実となって強烈に殴りかかってくる。


 つまり、夢じゃない。現実というやつだ。

 これがVRか何かであれば俺も喜んでいたかもしれないが。


「……わぁお……」


 ちなみに。

 我がマイホームがどうなっていたかというと、ドアだけを残して壁に埋まっていた。


「最大限現実的に考えれば……俺が寝ている間に誰かがマンションの壁ごとくり抜いてここに埋めた……ってところか。ワンチャン有り得るか……?」


 自分で言っておいてなんだがワンチャンなぞあるわけがなかった。出来る訳ねーだろそんなこと。夢なら早く醒めて欲しい。どう考えても現実なんだけどさあ。

 というか、これから一体全体どうすりゃいいんだ。いきなり意味の分からない土地に飛ばされて開幕詰みゲーはいくら何でも勘弁して欲しい。



「――――。――――――――?」


 一ミリも現状への理解が進まないままに初手から詰んだ。さてどうしようかと悩んでいたところ、そう遠くないところで女性のものと思われる声が耳に届く。


 声は確かに聞こえたがしかし、響きが明らかに日本語じゃあない。というか聞いたことがない。完全に理解出来ない音の羅列だった。かろうじて声だということは分かったが、それだけである。

 英語や中国語みたいにそれっぽい雰囲気だけでも聞き取れればよかったんだが、サッパリ分からないぞ。スマホの翻訳アプリとか使えないかな。


 自分でも一から十まで意味不明な状況に放り込まれておきながらいやに冷静だな、とは思うが、何というか一周回って驚きを超えた感じがする。

 ちょっとしたホラーどころじゃない、あまりにも不可解な事象に巻き込まれたら、人間思いの外思考が切り替わるもんである。小心者の俺でもそうなんだ、間違いない。多少冷静になったからって別に現場の状況は何一つ変わらないんですけどね。



「――――――! ――――――――?」


 先程よりも大分声が近くなっている。

 方角が分かったのでそっちに目を向ければ、女性が居た。


 うわあ、はちゃめちゃに美人。


 見た目は中学生くらいだろうか。身体つきはスレンダーだが、とにかく肌がめちゃくちゃ白い。そして、そんな肌色と対になるような漆黒のワンピース。腰に届くほどの綺麗な金髪と、燃え盛るような深紅の双眸が実に印象的だった。


 うーん、高得点。

 俺は別にロリコンじゃないが、美人というのは年齢に関係なく絵になるものだ。素晴らしい。

 正直目を奪われている場合ではないのだが、何も出来ない上に何も分からん以上はどうしようもない。未だ落ち着きを取り戻せていない俺の頭では、眼前の眼福を甘受するくらいしか出来なかった。


 で、どうやら声の主はその女性で間違いない様子なんだが、相変わらず何を言ってるのかが分からない。明らかに俺の知っている言語じゃないので、コミュニケーションをとれる自信が一ミリも湧いてこないぞ。

 ていうか冷静に考えたらこんな場所に中学生の女の子一人ってやばない? さっきから全ての事象がかっ飛ばし過ぎていて、まるで理解が追いつかない。


「……――――? Allo? 你好? こんにちは?」


「こ、こんにちは! こんにちは!!」


 などと思っていたら、彼女の言葉が段々聞き覚えのある言語になってきて、最後に俺の母国語が出てきた。

 驚きとか感動とか安心とか、色々な感情がごっちゃになって思わず変てこなリアクションを返してしまった。恥ずかしい。出来の悪いロボットかよ。


「おっ。あー、あー……あいうえお……。ふむ、これか。今回はこれか」

「あ、あの、えーっと……? は、初めまして……?」


 この子いったい何ヶ国語喋れるんだろう。何リンガル?

 ていうか今回はって何さ。今までにもあったのかよこんな超常現象。


 しかし、この子と日本語で会話が出来るという情報はありがたいが、現状に対する情報は何一つ増えていない。謎のままだ。正直今すぐ夢から醒めておうちに帰りたい。いや多分これは現実だしおうちはすぐ後ろにあるんだけど。そういうことじゃなくて。


 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか。

 お互いの表情が容易に読み取れる程度にまで距離を縮めた彼女は、目が眩みそうな微笑とともに言葉を続けた。


「やあ。君が今回の跳躍者か。確かこの言語は……ニホンゴ、だったかな。何百年振りだろうかね」

「は? えっ……跳躍……何て?」


 おおっと、日本語は分かるが日本語が分からないという珍事態が発生。

 俺、大混乱。

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