第6話 母の行く先 ①

その手紙を発見したのは、まさしく偶然と言える。

整理魔ともいえる母は、手慣れた手順通りに自分の決めたルール通りに夫と自分の服も新聞紙もまとめていたが、アンティークともいえる美由紀の曾祖母が使っていたという文机の左下の引き出しから見つかった。

というか、見つけるべく探していたというのが本当だ。

見慣れない筆跡で母の名前が記された封筒が一通。

指紋がどうとかテレビドラマで見て知ってはいたけれど、気が逸るというのは自制心も常識も知識も吹っ飛ばしてしまうものらしい。

「あま、の…なつこ…さま……」


『天野 菜津子様

突然のお手紙をお許しください。

私は飯田遥香と申します。父は飯田吾郎と申しますが、覚えていらっしゃいますでしょうか?

父とは中学高校と同じ学校に通った同級生だったと、父のお友達に教えていただき、失礼を顧みずに、お手紙を差し上げております。

私事ではありますが、五年前にガンで母を亡くしました。それ以前から不摂生により糖尿病を患っていた父がさらにアルツハイマーを発し、今では私のことも忘れてしまうことが度々あります。

しかしながら、そんな父が「なつこはどこだ」と探し回るようになりました。母の名前は『奈津美』でしたので、単に名前間違いをしているだけと思っておりましたが、父の結婚生活を知る方から、以前父は『奈津子さん』という女性と結婚されていたことを知りました。

お恥ずかしながら、私は父に離婚歴があったことを知らず、いろいろと伝手を訊ねて奈津子さんのことを教えていただきました。

現在は奈津子さんも新しいご家庭があるとのことで、このようなことを申し上げるのは大変失礼とは思いますが、もし可能であれば、一度我が家へ父に会いに来て頂けませんでしょうか?

母と奈津子さんが別の人と認識できれば、少し記憶の混同が無くなったり、自発的に薬を飲んで、今の症状が多少は良くなるのではないかという一縷の望みなのです。

どうぞご返信いただけますと幸いです。

飯田 遥香』


美由紀は微かに声を出しながら読み上げていたが、自分勝手ともいえる手紙の内容に呆然としてしまった。


母が別の男性と結婚?いったいいつ?どこで?


父からそんな話を聞いたことはない。

それは手紙の主と同じである。

しかしその内容を美由紀も知らないとはいえ、真実ではないとも言い切れない。

母の中学時代の知人──

母の性格上、今まで来ている年賀状や暑中見舞いなどはすべて取ってあるはずだ。

それらをひっくり返せば、何か手掛かりがあるかもしれない。

全てが「しれない。かもしれない」ばかりで、美由紀はイライラする。

自己流で整理整頓している母と、とりあえず仕事や勉強は得意でも片付けは苦手な美由紀では思考や行動がまったく違って、どこから手を付けていいのかわからない。

どこをどうしたらいいかと思いながら引っ掻き回していると、さらに二通も見つけてしまった。

まさか……

嫌な感じを覚え、指先がサァッと冷たくなる。

自分でも止められない震えを感じながらも、やっぱりその手紙を開いて読んだ。


『お返事ありがとうございます。

父に会うことは難しいとのこと……そうですよね。本当に勝手を申し上げて、申し訳ありません。

ところで父の若い頃の写真などはお持ちではないでしょうか?実は父のアルバムを整理する際、何枚か剥がしていた痕があり、ひょっとすると奈津子さんも同じ写真をお持ちなのではないかと思いまして。年代にすると中学生時代から30歳ぐらいまでのものが抜けております。古い写真のため、ネガフィルムがあるかと思って探しておりますが見つからず、無くなってしまった写真がどんなものかもわかりません。もしお持ちでしたら、複製して分けていただきたいのですが…

どうぞよろしくお願いいたします』


『お返事ありがとうございます。

最近の父は徘徊がひどくなり、なかなか目が離せなくなりました。施設に入れればと思ってはいるのですが、費用の面だけでなく、本人が頑として自宅を離れたがらないため、どうにも家を離れられません。せっかく父のお話を伺うお時間のお約束を頂きましたのに、本当にすいません。できれば早いうちに父のめんどうを見てもらえる人を探して、またお会いする時間をお約束させていただければと思っております。

できれば元気だった頃の父のお話を一緒に語らせていただければと…本当にわがままですが、どうかその際は、お時間をいただければうれしいです』


「……なんなの?この勝手な人………」

美由紀はイラつきながら何度も封筒と手紙を見返す。

そのどこにも署名だけで、住所が書かれていない。

書かれて───いた。


それは行こうと思ったら、簡単に行ける──そんな距離ではなかった。

電車に乗り、飛行機に乗り、国境や日付変更線まで越えなければ行けないような場所ではないけれど、ひとりで生活できるとは思えない父を置いて何日も留守にはできない。

だけど行くには新幹線に乗って二時間半もかかり、気軽に何度も行き来できるような距離ではないのである。

頼めば夫が面倒を見てくれるだろうとは思うけれど、のんびりおっとりな幸一は、酒好きな父が呑みたいだけ呑ませてしまうかもしれないと、そこだけが心配だ。

それでも──やっぱり──

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