3 異変

 白いスモークがちりぢりに霧散すると、そこには絵の具で塗ったみたいに真っ青の空と、大勢の観客たちが待ち受けていた。


 百脚ほどのパイプ椅子は、七割がた埋まっている。

 そして、椅子には座らずに立ち並んでいる人々も、ちらほらと見受けられる。

 それらの人々の前で、僕は何百回と練習させられた決めポーズを披露していた。


 拍手と歓声が、鳴り響く。

 そして、録音されたトモハルの声。


『五街道の平和を乱す、ゲノミズムの怪人め! このイツカイザーが相手になるぞ!』


 その声と同時に、アブラムたちへと向きなおる。

 三人のアブラムたちは、ひるんだ様子で後ずさり、その背後にたたずむ『ケムゲノム』は、そんなアブラムたちを叱咤するように触手を振り回した。


『来い!』


 トモハルの声を合図に、アブラムのひとりが襲いかかってくる。

 その攻撃を受け流すと、アブラムはたたらを踏んで立ち止まり、残りの二人も『イツカイザー』を取り囲むように立ち位置を移動させた。


 アブラムたちは両腕をひろげてじりじりと動き、僕はファイティング・ポーズを取って、それらを順番ににらみまわしていく。


 まずは、右手にいたアブラムA。

こいつが両腕をつきだして突進してくるので、その腕をはじき、顔面に手刀を叩きこむ。


 すると、カントク演ずるキャプテン・アブラムが『ぎいっ!』とわめきながらつかみかかってくるので、そのずんぐりとした胴体に右足刀蹴りを食らわせる。


 そうして、背後に忍び寄っていたアブラムBに、左拳のバックハンドブロー――

 その手首に、思わぬ衝撃が走りぬけた。


 本来ならば、その攻撃に当たったフリをしてアブラムBが後方に吹っ飛ぶはずだったのだが、距離の取り方を間違ったのだろうか。アブラムBは、自分の腕か何かで僕のバックハンドブローを防御してしまったようだった。


 しかしまあ、これぐらいのハプニングは稽古でもしょっちゅうだった。僕の立ち位置は最初から変わっていないので、これはアブラムBのミスだ。


どちらが田代でどちらが野々宮かは忘れてしまったが、顔面でこの攻撃を受けてしまわなくて幸いだ。そのまま威力におされた格好で後方に飛んでくれればなおいいのだが、そこまで求めるのは酷だろうか。


 何はともあれ、この次はまたアブラムAが逆側から殴りかかってくるはずなので、僕にはアブラムBの行く末を見届ける余裕はなかった。


 アブラムAに向きなおり、右腕をかかげて、上段受けのかまえを取る。

 アブラムAが、大きく腕を振りかぶる。

 その動きが、途中でぴたりと停止した。


 どうしたのだろう。

 これまた、段取りと違う動作だ。

 ――そう思った瞬間、背中に思わぬ衝撃が走りぬけた。


 一瞬、呼吸が止まり、僕は思わずその場に膝をついてしまう。

 そして――視界のすみに、ものすごい勢いでせまりくる黒い爪先がちらりと見えた。


 反射的に、僕は頭をガードしていた。

 左の上腕に、鈍さと鋭さをあわせもった痛みが炸裂する。

 骨が、みしりと嫌な音をたてた。


(何……?)


 まったくわけもわからないまま、左腕をおさえて起きあがる。

 それと同時に、今度は右ストレートが飛んできた。

 上体をそらしてそれをかわすと、今度はフック気味に左のパンチ。

 容赦も遠慮もない連続攻撃だ。

『カミキリゲノム』じゃあるまいし、『戦闘員アブラム』にこんな鋭い攻撃の役割は与えられていない。


 僕は、戦慄していた。

 何かが――何かが、おかしい。


 世界が、しんと静まりかえっていた。

 段取りと違う攻防が繰り広げられているために、オノディさんも音響を操作することができないのだろう。


 僕は奥歯を噛みしめながら、さらに腕を振り上げようとするアブラムBのみぞおちに、かなり強めの前蹴りを食らわせてやった。


 とにかく、距離を取らなければならない。

 アブラムBは、「ぐっ」と地声でうめきながら、数歩、後ずさる。

 とたんに、ちょっとした歓声が客席から聞こえてきた。


 違う。

 こんなアクションは、台本にはない。


 背後にはアブラムAや『ケムゲノム』たちがひかえているはずだが、そちらに視線を送ることもできない。


 アブラムBは左手でみぞおちをおさえながら、腰を落とし、またじりじりと距離をつめようとしてきていた。

 その不吉な姿を見すえながら、田代の険のある顔と声を思い出す。


(大事な主役様が途中退場にでもなっちまったら、ヒーローショーもへったくれもないんだからなぁ)


 まさか――本当に、芝居をぶち壊す気か?

 主役である『イツカイザー』を叩きのめして、何もかもを無茶苦茶にする気なのか?

 僕は心底、ぞっとした。


 アブラムBの動きは、素人のものだ。不意打ちされなければ、こんなやつに遅れを取ることはない。

 しかし――それで、どうしたらいいのだろう。

 アブラムたちを全員やっつけないと、『ケムゲノム』との対決シーンに移行できない。このままでは、僕が無事でも芝居は台無しになってしまう。


(やめろ……馬鹿な真似は、やめてくれ!)


 そんな僕の願いもむなしく、再びアブラムBは襲いかかってくる。

 上体の泳いだ右ストレートを受け流し、僕は体を入れ替えた。

 アブラムBも、すかさず僕へと向きなおる。


 体を入れ替えたことによって、ようやくみんなの姿が見えた。

 アブラムAは、困惑したように立ちつくしており、

 キャプテン・アブラムは、両腕を振り上げた体勢でフリーズしており、

『ケムゲノム』は、何かを迷うように、ゆらゆらと触手を蠢かせていた。


 彼らが背後からつかみかかれば、アブラムBの暴走をくいとめることは容易だったろう。

 しかし、芝居が台無しになることに変わりはない。どうして怪人たちが急に仲間割れをはじめたのか、お客さんにはさっぱり意味がわからないだろうから。そうすることによって、これが不測の事態だということがバレてしまう。


(どうすればいいんだ……?)


 ズキズキと痛む左腕をおさえながら、僕はマスクの下できつく唇を噛んだ。

 そのとき――

 しばらく無音だった世界に、突然ばかでかい声が響きわたった。


『頑張れ、イツカイザー!』


 あやめだった。

 クイズに参加した三人の子どもたちとともに、巨大スピーカーのかたわらにまで退いていたあやめが、突然マイクを使って声援を送ってきたのだ。


 アブラムBの肩ごしに、その少し青ざめた顔がちらりとうかがえる。

 さらにあやめは、その手のマイクをひとりの子どもの口もとに差しむけた。


『……がんばれぇ!』


 青い帽子をかぶった五、六歳の子どもが、少し心配そうな声で叫ぶ。

 とたんに、客席からもちらほらと「負けるなぁ」「やっつけちゃえ!」という子どもの声があがりはじめた。

 アブラムBは「くそっ!」とまた地声で怒鳴り、頭から僕に突っ込んでくる。


 駄目だ。

 僕にはもう、たったひとつしかこの状況を打ち破る手段が思いつかなかった。


 それが正しいのか、間違っているのか――僕には、まったく判断がつかない。

 だけど僕には、そうするしかなかった。


 僕はバックステップしてアブラムBから距離を取り、そのがら空きの顔面に、おもいきり右足を繰り出した。

 右の、上段回し蹴りだ。

 ブーツの重さで破壊力も上乗せされた僕の右足の爪先が、真横からカウンターでアブラムBの下顎を撃ちぬく。


 アブラムBの身体が吹っ飛び、そのまま仰向けに倒れこみそうになったところを、すかさずキャプテン・アブラムがキャッチする。

 今までで一番大きな歓声が、客席から上がった。


「おい! 退場するぞ!」


 カントクの声が響きわたり、呆然自失としていたアブラムAがびくりと全身を震わせる。

 アブラムBは、カントクの太い腕に後ろから羽交い絞めにされたまま、ぐんにゃりとしてしまって動かない。

 カントクはアブラムBの身体をひきずって退場し、アブラムAも夢遊病者のような足取りでそれに続いた。


 舞台に残されたのは、僕と『ケムゲノム』のみ――

 そして、観客の歓声。


『おのれ! 今度は俺様が相手だ!』


 怒りに震える、『ケムゲノム』の声。

 ワンテンポ遅れて、金子さんが触手を振り上げる。


 さらにわきおこる歓声に心を苛まれながら、僕は力なくファイティング・ポーズを取った。

 そうして僕は頭の中が真っ白のまま、『ケムゲノム』との対決シーンを演じることになったのだった。

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