2 暗雲

 長島工務店の資材置き場は、工場のすぐわきの敷地にあって、入り口のところには五台ものトラックが停車しており、それでもなお学校のグラウンドの半分ぐらいの面積がある。

 あちらこちらに木材が積み重なっていたり、ドラム缶やら大きなトタンやらが放置されていたりするが、基本的にはだだっ広い空き地で、ここで僕は夜な夜な金子さんに稽古をつけてもらっている。


 トラックのわきに自転車を停めて、黒川と二人で敷地内に入っていくと、木材の上に座りこんで談笑している男たちの姿がすぐに発見できた。

 カントクと金子さん、田代と野々宮――この長島工務店に所属する四名だけが、勢ぞろいしているようだ。残念ながら、サクラさんの姿はない。


「おお、早いな! 何だ、二人で仲良く登場か?」


 僕らの到着にいち早く気づいたカントクが、短く太い腕を振って差しまねいてくれる。黒川は愛想よく「こんにちは!」と言って頭を下げた。


「カントクさんたちこそ、ずいぶん早いですね? それにその格好、やる気まんまんじゃないですか!」


 カントクを始めとするアブラムの三人は、ドカジャンの下にすでに黒タイツを着込んでいたのだ。金子さんのかたわらには、『ケムゲノム』のぬけがらがくったりと横たわっている。


「ああ。こいつらがとっとと終わらせたがってるんでな。まったく、やる気があるんだかないんだか」


「そりゃあせっかくの休日ですからねぇ。夜には用事だってあるんですから、とっとと解放してくださいよ」


 へらへらと答えながら、田代がちょっと揶揄するような目つきで、僕と黒川の顔を見比べた。悪意は感じられないが、好意的とも言いがたい目つきだ。

 いっぽう野々宮は、相変わらず無愛想な面持ちで黙りこくっている。

 よく考えたら、僕はまだ彼の声をまともに聞いたことがないかもしれない。


「そういうわけなんで、アブラムのシーンを先に撮らせてもらっていいか? ストーリー上の順番的にも、どうせこっちが先だろうしな」


「そりゃあもちろん、おまかせしますけど……」


「そうそう。どうせ俺たちはザコキャラなんだから、とっとと蹴散らして、とっとと終わりにしてくださいな」


 と、田代がまた皮肉っぽくまぜっかえす。どうせ『イツカイザー』や『ケムゲノム』の役がやりたい、という熱意があるわけでもなかろうに。

 僕は田代のこういうところが苦手なのだが、他のみんなは慣れっこなのだろう。べつだん誰も気分を害した様子はない。


「そろそろ一時か。もういっぺん身体を温めておくかな。……ゼンくんも一緒にどうだい?」


 金子さんにそう声をかけられて、僕は少なからずほっとした。道中で黒川の相手をさせられたせいで、もうあまり気心の知れない人々とコミュニケートする気力が残っていなかったのだ。


 金子さんの代わりに黒川を加えたメンバーで談笑しはじめた四人から少し距離を取り、おのおのウォーミング・アップを始める。

 寒さはまだまだ厳しいから、金子さんも膝の調子がいまいちなのだろう。屈伸運動ひとつするにも、気を使っているのがわかる。


「……金子さんは、あの二人ともけっこう仲がいいんですね?」


 僕がこっそり尋ねると、足のストレッチを続けながら、金子さんはちょっと不思議そうな目で僕を見た。


「あの二人って、田代と野々宮のこと? そりゃあまあ、会社の同僚でもあるしねぇ。田代は格闘技好きで、野々宮はプロレスマニアだから、共通の話題もむしろ多いぐらいだし。……ああ、ゼンくんはあんまり相性が良くないのかな?」


「まだロクに喋ったこともないからわかりませんけど、もしかしたら、そうかもしれません」


「うん。まあ俺もあいつらと同世代だったら、そこまで仲良くはなれなかったかな。あいつらの良い面を知る前に、どうでもいいやってサジを投げてたかもしれない。田代はちょっとアマノジャクだし、野々宮は無口すぎるからなぁ。……でもまあ、そんなに悪いやつらではないよ。ああ見えて、この企画に参加することもそれなりに楽しんでると思うしね。そうじゃなかったら、カントクたちもあいつらを使わないさ」


 金子さんがそう言うなら、きっとその通りなのだろう。なんだか僕は、自分の心のせまさを思い知らされた気がして、少し落ち込んだ。

 と、今度はそんな僕の様子に気づいて、金子さんは優しげに目を細める。


「しかしまあ、あいつらも相手が年上か年下かで態度が違うから、ゼンくんとの相性までは保証できない。何にせよ、別に無理矢理仲良くする必要はないさ。時間がたてば、そのうち打ち解けられるかもしれないしな」


「そうですね。……あのトモハルって人も、僕にはまだよくわかりません」


「ああ、トモハルくん。彼に関しては、俺も全然わからない」


 そう言って、金子さんは珍しく苦笑した。


「彼、サクラさん以外の人間とはほとんど喋ってないからなぁ。あとは、オノディさんがちょっと世話をやいてるぐらいか。……ま、ある意味、素直な性格なんだろうね」


 そんなことを話していると、ちょうど「電器のオノディ」というペイントの入った軽ワゴンがうなりをあげて資材置き場に突入してきた。

 カントクたちが談笑している木材の山のかたわらで急停止して、そこからあわてふためいた様子のオノディさんと、いつでもクールなヤギさんがそれぞれ姿を現す。


「すみません! 遅くなりました! ……って、あれ? ボクらが最後じゃなかったか」


「サクラくんとトモハルが、まだだな。トモハルはともかく、サクラくんが遅刻とは珍しい」


 いつのまにか、時刻は約束の午後一時を過ぎてしまっていた。

 どのみち、サクラさんと個人的に話すチャンスなどなかったのだ。僕は誰にも気づかれないように、そっと溜息をついておいた。


「おお。金子くんにゼンくんも、ご苦労さま! それじゃあ、できるところから、ちゃっちゃと始めちゃいますかね!」


 今日も元気なオノディさんのもとに、僕と金子さんも集合する。

 オノディさんは軽ワゴンの後部座席からデジタルビデオカメラと三脚、それに一冊の小冊子を取り出し、その場にいる全員の顔を見回した。


「午前中にヤギさんと台本を練りなおして、カンペキに仕上げました! 内容自体は短いですし、ボクらが把握していれば問題ないと思うので、みなさんにはあえて台本を渡さずに、ボクらが指示をする感じで効率よく進めていきたいと思います! ……それじゃあまずは、あやめちゃんがアブラムに襲われるシーンからいきましょうか!」


「わ、いきなりあたしからですか」


 そう言いながら、それほど物怖じした様子もなく、黒川が進み出る。

 その姿を見て、オノディさんは「うーん」と難しい顔をした。


「あやめちゃん。舞台は春という設定にしたいので、ダウン・ジャケットは脱いでもらえるかなぁ? ちょっと寒いんで申し訳ないんだけど」


「あ、全然いいですよ。でも、おもいっきり普段着で来ちゃったなぁ」


 その白いダウンの下から現れたのは、明るいパープルのカーディガンと、こまかい花柄の可愛らしいブラウスだった。

 全体的にカラフルで、華やかなことこの上ない。最近の流行りなどまったくわからないけども、そのままファッション誌の表紙でも飾れるんじゃなかろうか、とか思ってしまうのは僕だけだろうか。


「ゼンくんも、今のうちに変身しといてもらえる? トモハルくんが遅いようなら、『イツカイザー』と『ケムゲノム』の対決シーンを先に撮っちゃうから!」


「わかりました」


 今日はまたオノディさんのテンションがいつも以上に高いように見える。なんだか、新しいオモチャを買ってもらったばかりの子どもみたいな表情だ。

 それに、気のせいかもしれないが、無表情なヤギさんも静かに闘志を燃やしているように見えなくもない。だいたい、わざわざ午前中から集まって台本を練り直すなんて、「ちょっとした予告動画」のわりには、なかなかの入れこみようではないか。


 しかしまあ、田代や野々宮のシラケムードに気勢をそがれていた身としては、オノディさんたちの暑苦しいぐらいの熱情は、むしろ心地いいぐらいだった。

 数週間前までは、「どうしてこの人たちはこんなにマジなんだ?」とハタ迷惑に感じていたぐらいなのに。僕もだいぶん毒されてきてしまったのだろうか。


「あ……ゼンくん! 遅れてごめんなさい!」


 そんなことを考えながら、『イツカイザー』の衣装が眠っているはずの倉庫に向かって歩いていると、突然、横合いからサクラさんの声に呼びかけられた。


 ようやく会えた――と喜び勇んで振り返った僕は、そこにサクラさん以外の人物まで見出してしまい、愕然とすることになった。


 それが誰か、なんて言う必要もないだろうけども。黒いロングコートにほっそりとした身体を包みこんだサクラさんのかたわらに、小洒落たジャケットを着たトモハルが、うっすらと笑いながら立っていた。


「遅刻だよね? 本当にごめんなさい! もう撮影は始まっちゃってる?」


「ええ……いや、ちょうど今から始まるところですよ」


「そっか。ごめんね。じゃあまた後で!」


 白い息を吐きながら、早足に僕の横をすりぬけていってしまう。

 僕は――正直なところ、けっこうなダメージを食らっていた。


 トモハルが一緒にいたことではない。そんなことは関係ない。

 こんな間近で、おそらく十日ぶりに、はっきりと言葉を交わしたのに、サクラさんの目は一度も僕と視線を合わせなかったのだ。

 これは、かなりのショックだった。


(僕は……サクラさんに、嫌われてしまったのか?)


 たった一度、期待を裏切ってしまっただけで?

 もう二度と同じあやまちを繰り返すまいと、心に誓ったのに?


 今までは漠然としていた不安感や喪失感が、一気に現実味をおびて、僕の頭上にのしかかりはじめていた。

 よって、トモハルがサクラさんの後を追わず、その場にとどまっていたということに、僕は声をかけられるまでまったく気づくことすらできずにいた。


「楠岡禅二郎くん……だっけ? そういえば、キミとはまだ個人的に話したこともなかったね」


 長い前髪を気障ったらしくかきあげている細面を、僕はぼんやりと見返した。


「オレは、安倍智治。まあ何て呼んでもかまわないけど、キミよりは一歳年長のはずだから、少しは敬意をはらってもらえると嬉しいかな?」


 こいつは、何を言っているのだろう?

 雑誌のモデルみたいに気取った微笑を浮かべているが、腹の底がまったく読めない。


「さしでがましいことを言うようだけど……キミ、サクラと一回衝突してるんだって?」


「……え?」


「サクラは温和な性格だから、それを聞いたときはビックリしたけど。でも、別にその内容自体は大したことじゃあないんだろ? キミだって反省して、真面目に稽古に取りくんでるって話だしさ」


 僕はますます混乱しながら、トモハルの顔を見返すことになってしまった。

 どうしてそんなことを、こいつが知っているのだ?

 誰が話した? サクラさんか? それとも、他のメンバーなのか?


「……だけどね、彼女はそんな風に人とぶつかることになれてないから、ずいぶん気に病んでしまってるんだよ。彼女が元気を失くしてしまっていることには、いくら何だって気づいているだろ? ……気づいてないなら、まあ別にそれでもかまわないけどね」


「あなたは……何が言いたいんですか?」


「オレの気持ちや考えなんて、別にキミには価値のないものだろう?」


 くすりと笑って、また前髪をかきわける。

 その細い指先を茶色い髪にからめたまま、トモハルは少し上目づかいになって、僕を見た。

 足は長いし、スタイルもいいけれど、身長はほとんど変わらない。舞台上において、僕たちは同一人物という設定であるのだ。


「だから、サクラの気持ちを代弁してあげるよ。……キミとはできるだけ、接したくないらしい。嫌いになったとかそういうわけじゃなく、ただ、衝突するのが怖いから……衝突して、またキミに嫌な思いをさせてしまって、それでこのアルバイトを辞められたりしたら、他のメンバーに顔向けできなくなってしまうから、キミとは関わりたくないんだってさ」


「…………」


「勝手な言い分に聞こえるかもしれないけど、それだけ彼女は繊細で打たれ弱いんだよ。それに、心底からこのプロジェクトを大事にしている。それぐらいは理解してもらえると、オレもありがたい」


「…………」


「どうせ特撮なんかには興味もないキミとサクラじゃ、性格も考え方も、何を大事にしているかも噛み合うはずはないし。プライヴェートな部分では、なおさら関わりを持ちたくないんだってよ。だからまあ、もちろん業務的な会話をする必要はこれからも出てくるだろうけど、どうでもいいような世間話は少しひかえてもらえるかな?」


「そんなこと……あなたに口出しされる筋合いはない」


 ようやくそれだけ、僕は言い返すことができた。

 トモハルは前髪から指を離して、口もとだけで笑う。


「今まで話した内容に、オレの意見なんてのはこれっぽっちも含まれてはいないよ。オレはただの、代弁者なんだからね。サクラは自分の気持ちを言葉で伝えるのが苦手だから、オレが代弁してあげただけさ」


「…………」


「サクラはね、プロジェクトの一員としては、キミのことを高く高く評価しているんだと思うよ。だからなおさら、プライヴェートな部分でぶつかりたくないんだろう。彼女たちは、友達づきあいをするためにキミを雇ったわけじゃないんだしね」


「それは……」


「たとえば、キミとサクラのいざこざで、このプロジェクトが崩壊したとする。キミの立場だったら、どうせバイトなんだし辞めちまえば後のことなんて知ったこっちゃない、で済むだろうけど。サクラのほうは、そうはいかない。いくらお遊びとはいえ、これだけの労力と費用をかけたプロジェクトなんだ。少しぐらい臆病になったところで誰もサクラを責めることなんてできないと思うんだけど、どうかな?」


 僕は、そこまで無責任な人間じゃない!

 そう怒鳴り返してやりたかったが、言葉が喉喉につかえて、うまくいかなかった。

 そんな僕の姿を見返しながら、トモハルは優雅に肩をすくめる。


「要するに、キミとサクラじゃ立場も責任も違いすぎるってことだよ。何せ、主催者と雇われのアルバイトなんだからねえ。サクラと友達づきあいをしたいんならプロジェクトを辞めればいいし、プロジェクトに残りたいんだったら仕事仲間に徹すればいい。高校生のキミには理不尽な話に聞こえるかもしれないけど、これって割と当たり前の話だよ。もし友達づくりや恋人探しで始めたアルバイトなんだったら、せめてアルバイト同士で話をおさめてくれないかなぁ?」


「…………」


「幸い、キミはあの黒川って娘とウマが合うみたいじゃないか。彼女は、いいコだよ。……まあちょっと考えなしで尻軽なところもあるけれど。少し前まではあの田代とかいうガサツな男と仲良くしてたみたいだしね。でもまあそっちはきれいにスッパリ終わったみたいだし、むこうも傷心で人恋しい時期だろうから、かまってあげれば喜ぶと思うよ?」


 もう、いい。

 これ以上こいつと話していると、僕は頭がどうにかなってしまいそうだった。

 だから僕は無言のまま、トモハルに背を向けることにした。


「あ、判断はまかせるけど、オレの言ったことは忘れないでくれよな? オレはこんなプロジェクトに思い入れはないんだけど、サクラには悲しい思いをさせたくないんでね」


 もちろん僕は、その言葉にも返事をしなかった。

 いや、返事をすることができなかった。

 最初のほうに聞いたトモハルの言葉が、頭の中で乱反射を繰り返し――僕は何も考えられないような状態に追いこまれてしまっていた。


(キミとはできるだけ、接したくないらしい)


 やっぱり、そうなのか。

 僕は目眩がするほどの絶望感にとらわれながら、『イツカイザー』に変身するために倉庫へと走りだした。

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