戦え!イツカイザー!

EDA

Work log of ItsuKeyser project

プロローグ

リハーサル

『カイザー・ブレード!』


 今はここにいないトモハルの録音された声が、夜の体育館に響きわたる。

 その真面目くさった掛け声に合わせて、僕は腰のベルトから引き抜いた刀剣の柄を、おもいきり下に振り降ろした。


 シャキーンッ、と小気味のいい金属音をたてて、柄しかなかったはずの剣に刀身が生える。なかなかのギミックだ。しかしこれは既製品にちょっと手を加えただけのもので、なんでも太極拳の剣舞に使われる伝統的なアイテムらしい。

 柄の装飾をパテやらプラ板やらで加工しただけだから、その工作自体にたいした手間はかかっていない――感心すべきは、こんなアイテムを見つけだしてくる、その嗅覚と行動力だろう。


 何はともあれ、僕はその『カイザー・ブレード』を大仰に振りかぶり、客席に向かって見得を切ってみせた。

 本日はリハーサルにすぎないので、そこにはいつものメンバーが四人、並んでパイプ椅子に座っているだけだ。


『おのれ、こしゃくな!』


 そのうちの一人、ネズミのような顔をした音響担当のオノディさんがノートパソコンを操作すると、苦労して壇上に設置したスピーカーから、怪人『ケムゲノム』の声が響いた。

 そのタイミングに合わせて、僕の正面にたたずんでいた薄気味悪い着ぐるみの怪人が、これまた薄気味悪い灰色の触手を振り上げる。


 右から真横にふるわれる触手は、頭をかがめてやりすごし、左上方からななめに打ち降ろされる触手は、横っ飛びにジャンプしてかわす。

 かわしざまに、相手の背中に無慈悲な右の中段回し蹴りを食らわせると、怪人は痛そうに『ぐわあ』とうめいた。


 段取り通りだ。

 さらにいくばくかの攻防を繰り返し、最後に僕が前蹴りを繰り出すと、『ケムゲノム』は怒り心頭の体で、両方の触手を大きく上方に振り上げた。

 すかさず僕は腰を落として、一気に相手のふところに潜りこむ。

 そうして、『カイザー・ブレード』を怪人の右脇腹から左肩へと、いわゆる逆袈裟斬りの格好で走らせた。


『カイザー・スラッシュ!』


 これが、なかなかに難しい。

 あまり深く刀身を当ててしまうと、ラテックスとかいうゴム製の体に刃がひっかかってしまい、スピーディに刀を走らせることができないし、かといって、露骨に空振りしてしまうと「迫力がない」と怒られてしまう。刀身が怪人の表皮に触れるか触れないかぐらいの絶妙な距離感を保ちつつ、一気に刀を振り上げなければならないのだ。

 なおかつ、斬り終わった後は怪人がもんどりうって倒れふすまで、決めポーズのまま固まっていなくてはならないのが、またしんどかった。


『うぎゃあああぁぁ!』


 夜の体育館にこだまする、『ケムゲノム』の断末魔。

 触手が苦しげに宙をかき、短い足がよたよたと死のステップを踏む。


 よたよた。

 よたよた。


 ……そろそろいいんじゃないですかね、金子さん?

 右足のモモが、もう限界です!


 僕の心の叫びが伝わったのか、毛虫をモチーフにした不気味な怪人はいつもよりちょっとだけ早いタイミングで、どさりとうつ伏せに倒れふした。


「倒れるの、早いよ!」


 とたんに、カントクの蛮声が響きわたる。


「もう二、三歩、後ずさってから倒れないと! スモークかぶって退場、なんだからさ! その位置だと、『イツカイザー』までスモークかぶっちゃうだろ!」


 舞台に倒れふしたまま、『ケムゲノム』こと金子さんがくぐもった声で「すいませーん」と応じる。

 演技指導は、僕の決めポーズを解除してからにしてくれないだろうか。


「ゼンくんも、足が震えてるよ! キープして! 生まれたての子鹿じゃないんだから」


 うるさいな。


「はい、再開!」


 カントクがパンと手を打ったので、ようやく僕は不自然きわまりない過酷なポージングから解放され、今度は仁王立ちになった。それと同時に、脚本担当ヤギさんの渋い声でナレーションが流れはじめる。


『強敵ケムゲノムの脅威は去った。今日も五街道の桜並木は守られたのだ。しかし、悪の組織ゲノミズムとの戦いは……』


 ようやくエンディングだ。

 あとは最後にポーズを決めるだけ――


「ゼンくん! 『見られ』を意識して! 脱力してるのが丸わかりだよ!」


 最後までダメだしか。

 僕は『イツカイザー』のマスクの下で、誰にも気づかれないように溜息をついた。


               ◇


「緊張感が、足りないよね」


 リハ後の休憩中にも、僕はグチグチと文句を言われた。


「セリフからアクションまでのタイミングも甘いし」

「流れをもうちょっと理解しないと」

「……台本、もっと読みこんで」


 そんな、三人がかりでまくしたてなくてもいいではないか。

 FRP素材のマスクとラバー素材のプロテクターを床に置き、パイプ椅子にぐったりともたれかかり、風呂上りのように濡れてしまった頭をタオルでかき回しながら、僕はそれでも「すみません」と謝った。謝らないとおさまらないのだ、この人たちは。


「あと、動いてないときの緊張感ね」

「お客がいるときは、わりと出来てるんだけどね」

「……それは普通に緊張してるだけ」


 口を開けば文句ばかりで。誰ひとりねぎらいの言葉をかけてくれようともしない。

 今は四月。気温のほうはほどほどだったが。夕方まで降っていた雨のせいか、何だか湿度が尋常でないのだ。そんな中、全身タイツを二重に着こんで、ドタバタのアクションシーンを演じることがどれほどしんどいか。この汗の量を見て、わかってもらえないものだろうか。


「だって、それがゼンくんの仕事だろうが?」

 カントクが、あっさりと言う。


「まだ四月だし。夏になったら、こんなもんじゃないよ?」

 オノディさんが、それに同意する。


「……集中力」

 ヤギさんは、陰気につぶやく。


 僕は再び溜息をつきながら、背中のファスナーを全開にして、とりあえず上半身だけでも解放することにした。

 火照った体に、夜気が気持ち良い。自前のTシャツは、もちろん汗だくだ。本当に、今から夏が思いやられてならなかった。


「体を冷やさないように気をつけてね。風邪なんて引いたら大変だよ?」


 と――鈴をころがすような心地良い声が、背後から近づいてきた。

 振り返った僕に、スポーツドリンクのペットボトルが差しだされる。


「おつかれさま。本当に今日は、すごい湿度だね」


 疲れがいっぺんで吹き飛ぶような笑顔が、そこにはあった。

 このプロジェクトの中核メンバー、最後の一人、サクラさんだ。

 あちらの三人は全員、僕の親とそう変わらない年齢であるはずだが、サクラさんだけは同世代――正確には一歳年長で、十七歳の高校三年生だった。


 夏を先取りしたような白いワンピース姿で、腰までのばした艶やかな黒髪がいっそう見事にきわだっている。化粧気がなく、またその必要がないぐらい端正な顔立ちに、ワンピースに負けないほど白い肌、つかんだら折れてしまいそうな、ほっそりとした手足。

 本当に、きれいな人だ。

 その白い腕にひっかけた可愛らしいバッグからは、いつものように相棒の黒猫エドガーがひょっこり顔をのぞかせている。


「じゃあ、十分休憩したら、もう一回頭からだな」


 カントクの無慈悲な宣言に、僕は不満の声をあげた。


「ちょっと、また頭からですか? 体育館の貸し出し時間終了まで、あと三十分もないですよ?」


「だったら、休憩は五分に短縮!」


 そう言いたてるカントクのかたわらで、オノディさんもヤギさんもうんうんとうなずいている。


「本番まで、あと三週間もないんだからな!」

「散々だった初公演のリベンジ戦だしねぇ」

「……あの時は、本当にひどい出来だった」


 鬼だ、この人たちは。

 僕と同じ犠牲者たる金子さんはいずこに? ――と視線をめぐらせると、呆れたことに、彼は『ケムゲノム』の着ぐるみを着こんだまま、ひとりで殺陣の練習に打ち込んでいた。


「この着ぐるみが、一番動きにくくて難しいんだよ。『カミキリゲノム』は身軽で良かったなぁ」


 元プロレスラーの金子さんには、このていどのアクションシーンは苦にもならないのか。

 だけど、僕はシロウトの男子高校生にすぎないのだ!


「素晴らしいプロ根性だ」

「ゼンくんも見習わないと」

「……主役なんだから」


 いや、主役は『イツカイザー』の素顔である『五十嵐道いがらし・どう』役のトモハルだろう。

 それに、僕も金子さんもプロじゃなくて、ただのアルバイトにすぎないはずだった。


「給与が発生する時点でプロだろう?」

「それぐらいの気概は持ってもらわないと」

「……学生だからって、甘えは許されない」


 そうは言っても、この稽古にはギャラなど発生しないではないか。お給金がいただけるのは、舞台の本番の日だけなのだ。時間外労働にもほどがある。


「だいたい、練習が一番必要なのはゼンくんだろう?」

「そうそう。我々だって多忙きわまりない中、ゼンくんを指導するために集まってるんだから」

「……台本、ちゃんと読みこんで」


 僕の演技は、そんなにへっぽこなのだろうか。

 不測の事態で負傷した左腕も完治して、今日はそれなりに動けていると思うのだが……


「決めポーズにキレがないよね」

「動きの緩急が甘いんだよ」

「……もっと指先にまで神経を集中させて」


 うう……


「もちろん殺陣もまだまだだし」

「寸止めなのがバレバレなんだよね」

「……本当に当ててもいいぐらいの気持ちで」

「あ、俺なら当てちゃってもいいよ? ビクともしないから」


 ついには、金子さんまで加わっての四重奏になってしまった。

 僕が救いを求めるようにサクラさんを見上げると、黒髪の美少女は白い面に天使のような微笑みをひろげながら、言った。


「もうちょっと、頑張れるといいね」


 パイプ椅子にへたりこんだまま、僕はがっくりと肩を落とすことになった。

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