第6話 学校での日常

 制服に着替えて化粧を終えたお姉ちゃんの目は、パッチリと開いている。

 グレーのブレザーにチェックのプリーツスカートを身につけたお姉ちゃんは、まさに活力あふれる女子高生の姿だ。

 弟バカかもしれないけれど、すごく可愛いと思う。


「リボンがずれてるよ」

「まじで?」


 ぼくはお姉ちゃんの首元に手をのばして、赤いリボンをキュキュっと引っ張って整える。

 よし、バッチリだ。

 折角可愛く仕上がっているのに、服装に乱れがあったら台無しだ。

 着崩すこととだらしないことは全く意味が違う。


「あ、糸くずがついてる」


 ブレザーに付着していた黒い糸をはらって落とす。

 他にもゴミがついてるかもしれない。コロコロを取りに行こうとすると、


「もう良いから」

「あ、待ってよ」


 凝り性なぼくの性格を知っているお姉ちゃんが、そそくさと玄関へと向かう。

 茶色の革靴をつま先でトントンと蹴って履いた。

 濃紺のソックスの上で主張する、健康的なふとももがまぶしい。


「じゃ、行ってくる」

「お姉ちゃん、待って」


 慌てて出ていこうとするお姉ちゃんを呼び止める。

 寝起きはともかく、普段のお姉ちゃんはせっかちだ。


「なんだよ孝彦」

「はい、お弁当」


 イチゴ柄のナプキンで包まれた弁当箱を差し出す。

 お姉ちゃんは開きかけた扉を放り出して、弁当箱に釣られるように迫ってきた。


「忘れるとこだった」


 お姉ちゃんは、さんきゅーと礼を言いながら弁当箱を奪い取ると、黒のスクールバッグの中に放り込んだ。

 鞄を肩に担いで扉に手をかける。


「お姉ちゃん」

「まだなんかあんの?」


 母親にしつこく小言を言われる子どもみたいに、心底面倒くさそうにしている。

 お姉ちゃんにはガッカリだ。一番大事なことを忘れている。


「行ってきますのチューは?」


 ほっぺを差し出せば、お姉ちゃんは一瞬目を丸くして、呆れたように苦笑した。

 わざとらしく大きくため息をついて、


「このエロ彦が!」

「いてっ」


 ぼくの頭をチョップした。

 涙目になりながら両手で頭を抑えていると、


「反省してな」


 愛嬌のある八重歯をむき出しにして、ぼくをたしなめなて高校へと向かっていった。

 パタンと閉まった扉をしばらく見つめる。

 ドタバタなお姉ちゃんが出て行って、家の中はすっかり物静かだ。


「さて」


 ぼくもそろそろ準備を始めようか。

 高校生のお姉ちゃんは電車通学だけど、ぼくは近所の公立中学校に通っている。だから時間に余裕がある。

 一人になった家でのんびりと支度を始めた。




    ◆




 早く帰りたいなぁ。ぼくは数学の授業を受けながら、早く授業が終わってほしいと願っていた。

 お姉ちゃんの帰宅を迎える準備をするという大事な仕事が待っている。

 もちろん、そんな態度は一切表に出さない。ぼくは優等生で通っているのだ。

 先生が教科書の解説をしている間、うつらうつらしてる生徒や、完全に眠っている生徒、あるいはスマホか何かを弄っている生徒もいる。だが彼らのような不真面目な態度をとる訳にはいかない。

 幸代先生(三十歳独身)と目があう。彼女は微笑んだ後、掛け時計をチラっと見た。


「それではテストの返却をします」


 やる気のなかった生徒たちがざわつき始める。

 三十名ほどの中学生が一斉に浮ついて、教室は喧騒で包まれていた。

 あいえうえお順でテストの答案が返却されていく。

 生徒たちはその点数を見て一喜一憂して、先生はひとりひとりにそれぞれ褒めたりアドバイスをしたりしている。

 そして、ぼくの名前が呼ばれた。

 教壇の前で答案を返却される。


「おめでとう、白川君。先生とっても嬉しいわ」


 答案を手渡した幸代先生は、よくできましたと肩を叩く。

 先生は昔海外に留学していた経験があるらしく、スキンシップもグローバルだ。

 よくボディタッチをしてくる。

 別にとくに拒む理由もないので受け入れた。

 他の生徒たちにはあまりスキンシップは行っていないようだけど、これはぼくが特別気に入られているからだろう。

 日ごろの努力の賜物だ。

 はっきり言って中学生なんて馬鹿ばかりだ。ヤンチャ盛りなのだ。そんな中で真面目に授業を聞いて、ときどき質問して、目が合えばニコニコしていれば、それだけで先生たちの好感度は高まっていく。

 なんとチョロい。

 そして、普段から先生の好感度を上げておけば、いざというときに便宜を図ってもらうことができるのである。


「皇さん」


 ぼくの次に呼ばれた女の子が元気よく返事をして立ち上がる。

 彼女の名前は皇ニーナ(すめらぎにーな)。

 イギリス人とのハーフで、美しい金髪の持ち主の帰国子女だ。

 ちんちくりんな少女には興味がないけれど、他の男子たちが言うには凄い美人であるらしい。

 彼女は人生一度の大勝負にでも臨むかのように、青い目をギラギラと燃やしていた。


「くっ、うふふ」


 答案を受け取り、笑いがこらえきれないという感じで席へと戻っていった。後ろの席に座る生徒がドン引きしている。

 彼女の家は佐倉さん家に匹敵するようなお金持ちである。私立のお嬢様学校へ通うような身分であるが、社会勉強のために市立の中学校へ通っているそうだ。

 本来なら備わっているはずの上品さはどこかへ消えていた。強いていうならば、お姫様ではなく意地悪な継母のようであった。

 そして全員の答案を返却し終わったころ、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 クラスメイトたちは、テストの結果を周りの人と比較し合っている。


「白川さん!」

「なに?」


 窓際の席に座るぼくの元に、皇が近づいてきた。

 彼女は肩まで伸びた髪を大げさな動きでかきあげる。

 自然なウェーブがかかっている長髪がふんわりと揺れた。


「見なさい!」


 どどん、と効果音がつきそうなほど力強く、皇はぼくに答案用紙を差し出した。

 97点と赤字で書かれている。

 先生は平均点が63点と言っていたから、かなりの高得点だ。彼女が自信満々になるのも当然だろう。


「おぉ、凄いね」

「ふふん。この程度、ニーナ様にとっては当たり前よ!」


 テスト用紙を突きつけながら、もう片方の手を腰に当ててふんぞり返った。

 胸を張っているけれど彼女は貧乳だ。

 おっぱいではなく胸としか表現できないまな板っぷりだ。佐倉さんと比較すると月とすっぽんだ。

 ぼくの哀れみの視線に気づかず、皇はドヤ顔をする。


「あなたはどうだったのかしら」

「はい」


 鞄の中に閉まっていたテスト用紙を取り出して皇に渡す。

 そこには100点の文字と、大きな花丸マーク。

 超一流の弟を自負するぼくにとっては、当たり前のことだ。


「ひゃ、百点……」


 皇は後ずさり、柔らかそうな髪をクシャクシャっとしながら頭を抱えた。

 イギリス人の血がそうさせるのか、一つ一つの動きが仰々しい。

 眺める分には面白いけれど、一々相手をするとなるといささか骨が折れる。


「また負けました……」


 ぼくの机に突っ伏して落ち込んでいる。

 周りの生徒たちが、その様子を見てザワついていた。

 皇の肩を叩いて起こす。目が少し潤んでいた。


「ぼくのライバルがそう簡単に落ち込まないでよ」

「わ、わたくしをライバルと思ってくださっているのですか?」

「勿論だよ。皇がいるから、ぼくも頑張ろうって思えるんだ」


 ニッコリと笑う。

 ちなみに、笑顔はぼくの特技の一つだ。我ながら完璧と評するにふさわしいスマイルである。

 皇はボンと一瞬にして顔が真っ赤になり、頭の上から煙が出ていた。


「……お、お、お、覚えてなさい!」


 まるで脱兎のごとく、猛スピードで教室を去っていった。

 次の授業はサボるのだろうか。


「はぁ」


 ぼくはため息をついて、窓の外に目を向ける。

 あんなチンチクリンの女はどうでもいい。

 皇は優秀だ。僕がいなければクラスで一番は彼女だっただろう。

 でも僕がいる限り決して一番にはなれない。

 僕と彼女に差が出る要因ははっきりしている。ずばり、皇には姉がいないからだ。


「早くお姉ちゃんに会いたいな」


 次の授業が始まるまで、ぼくはお姉ちゃんが通う高校がある方角をぼーっと眺め続ける。

 遠くにあるから見えるはずもないけれど、少しでもお姉ちゃんを感じていたかった。

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