第3話 直球勝負

 部屋着を着たお姉ちゃんがリビングで宿題を解いている。

 うんうんと唸る姿をしり目に、ぼくは晩御飯に使用した食器を洗っていた。

 今日はカレーだったから、臭いが残らないように念入りに洗う必要がある。

 お父さんとお母さんが長期の海外出張に行っているため、食器を洗うのは弟であるぼくの役目だ。

 ちなみに言うと、料理、洗濯、掃除などの家事は全部ぼくがこなしている。

 だって弟だから。

 そもそも任せたら大変なことになってしまうから、任せる訳にはいかないのだけれど。お姉ちゃんの家事力は壊滅的だ。

 食器を洗い終えて、お姉ちゃんの横に座った。


「どこが分からないの?」

「おぉ、孝彦。全部分からねぇ」


 ニッと八重歯をむき出しにしながら自信満々に笑う。自慢するようなことじゃないんだけど。

 相変わらず馬鹿だなぁ。呑気なお姉ちゃんを見ていると心が温かくなる。

 机の上に目を落とせば物理の教科書が広げてあった。お姉ちゃんの苦手科目は理数系だ。


「宿題はどこからどこまで?」

「ここからここ」


 問題をざっと眺めて、お姉ちゃんの理解度を考慮しつつ、頭の中で計画を練って頷く。

 なんとかなりそうだ。


「じゃあ、まずはね――」


 宿題は敵だ。お姉ちゃんとの時間を奪うものだ。

 でもぼくは超一流の弟だ。超一流は敵を利用する。

 つまりは発想の転換だ。宿題に時間を奪われるなら、宿題を憩いの手段にすればいい。

 お姉ちゃんへの愛の力で高校レベルの内容は全てマスターした。今ではぼくがお姉ちゃんの教師になっている。

 お姉ちゃんに教える役になることで、宿題に取り組んでいる時間も、一緒に過ごす時間に様変わりだ。

 宿題に関連する単元について、猿でも分かるほどに優しく懇切丁寧に解説していく。

 お姉ちゃんは授業でやっているはずなのに初めて聞いたように感心していた。

 また授業中は寝てたんだろうな。

 呆れつつも一通りの説明を終える。次は実践だ。


「この問題を解いてみて」


 文武両道という言葉があるけれど、お姉ちゃんの文と武の割合は1:9ぐらいだ。

 女子ハンドボール部のエースとして活躍する一方で、授業の成績はとてもお粗末なものだ。

 でも勉強する気が全くない訳ではない。部活を優先してしまうだけなのだ。


「むむむ!」


 ソファの上で胡坐をかいて腕を組みながら真剣に考えている。

 その様子を観察して微笑ましくなっていると、急にガックリと項垂れた。

 ギブアップの合図だ。どうやら全く解法が思い浮かばないらしい。


「さっき教えた公式を使えば良いんだよ」

「ん? んん? おぉ!」


 手でポンと閃きを表現すると、ノートに解答を記入していく。

 うむ、とぼくは隣で頷いた。

 お姉ちゃんはやればできる子なのだ。勉強に対する意欲が低いだけで、頭が悪い訳ではない。

 そして、およそ2時間の間、宿題というツールを用いた交流が続く。素晴らしい交流の時間だ。

 姉と弟が触れ合う時間はどれだけあっても足りることはない。


「くぅ~、終わったぜ。ありがとな、孝彦」


 宿題を終えたお姉ちゃんはおっさんみたいな伸びをした。

 お姉ちゃんは基本的にガサツだ。佐倉さんからの情報から判断すると、学校ではもう少しマシなようだけど、家の中では特にひどい。もうちょっと女の子らしくしてほしいものだ。


「風呂入ってくる」


 その言葉を耳にしたとき、お姉ちゃんには見えないようにニヤリとほくそ笑んだ。

 待ってました!

 ぼくはデートと引き換えに佐倉さんの協力を取り付けた。

 二人で相談したところ、まずは自然にお風呂に誘ってみようということになった。

 佐倉さん曰く、「綾乃は重度なブラコンだから、案外誘えば入ってくれるかも」とのことだ。

 ぼくはできるだけ平静を装ってお姉ちゃんを呼ぶ。


「お姉ちゃん」

「何だ?」

「ぼくも一緒にお風呂に入る」


 お姉ちゃんが口を開けてポカーンとした。

 ちょっと間抜けな顔も微笑ましい。中々お目にかかれないお姉ちゃんの表情だ。


「中2にもなって何言ってんだ、このエロ彦」

「いてっ」


 頭のテッペンを叩かれた。地味に痛い。

 お姉ちゃんの得意技である脳天かち割りチョップだ。

 曰く、「孝彦の頭は叩きやすい」とのことでよく叩かれる。理不尽である。

 涙目になりながら両手で頭を抑えていると、


「反省してな」


 お姉ちゃんはお風呂に入っていった。

 ぐぬぬ。

 反省すべき点など何一つない。

 ぼくは頭をさすりながら自室へと戻った。

 ベッドに寝転がってスマホで佐倉さんにメッセージを送る。


『駄目だった』

『そっか。残念だったね』


 一瞬で返事が来る。

 相変わらず無駄に早い。メッセージを送ればいつも即応である。暇なんだろうか。


『次は絡め手かな』

『うん。明日挑戦してみる。それじゃ』

『頑張ってね』


 佐倉さんとスマホのメッセージアプリでやりとりするときは、用がすんだらさっさと終わらせることが重要だ。

 彼女はメッセージアプリでのやりとりが好きなのだろう。こちらが終わらせない限り、いつまでも続くから大変なのだ。

 タイミングを見失って徹夜する羽目になって以来、多少強引にでも終わらせるようにしている。

 明日は勝負のときだ。今日は早めに寝よう。

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