翌日も荻窪署に来るよう言われていたので、俺は朝の十時からシオンの車で揺られていた。呼ばれていたのは午後からだったが、シオンの提案で垣内邸のある辺りを流すことになったのだ。

 シオンの車はホンダの古いコンチェルトで、シオンは探偵らしい丁寧な運転技術を身に着けていたが、車が古いせいで町中では目立っているようだった。細いハンドルを握るシオンが、助手席の俺を目の端で見る。


「死体は垣内優太郎だと思いますか?」

「多分な。死体が垣内邸のリビングにあったのは思わせ振りだが、他の誰かの死体だったのなら、優太郎の死体であると誤誘導させようとしたにしては処理が雑すぎる。指紋かDNAを調べれば、ある程度分かってしまうだろう。それに、死体をあんな風に放っておく意味が分からない。敷地内に埋めればよかった」

「そうとも言えませんよ。死体を優太郎と思わせるためには、死体を発見させる必要がある。優太郎が生きているとすれば、あの死体は誰なのか。調べれば分かるって言いますけど、あの屋敷に暮らしてたのが、そもそも優太郎とは限らない」

「つまり?」

「優太郎と他の誰かが、生前に入れ替わっていた可能性もある」

「その誰かがあの二人を監禁していたと?」

「可能性の話ですよ」


 信号で車が止まっている間に、シオンは片手で煙草を一本箱から出して咥えた。しかし、火を着ける前に目の前の信号は青に変わり、シオンは車を発進させる。俺は荻窪の町をフロントガラスから見ながら、陽夏のことを考えていた。


「ところで、白石さん。俺が話した連続殺人の話を覚えてますか」

「あの、赤羽と町屋と……、どこかのやつか」

「大泉学園です。その話を俺にした情報源の人間が、電話を掛けてきましてね。例の連続殺人の続きが荻窪で起きたかも知れないって言うんですよ」


 シオンはそう言って前を見たまま俺の反応を伺う。俺は内心舌打ちをしたかったが、それを表に出さずに反応する。


「このところ荻窪で起きた殺人と思われるような事案は、そう多くはないだろうな」

「ええ。ちなみにその情報源の人間はですね、俺が事件の現場にいたことは、知らないみたいでした」

「連続殺人。首の無い死体」

「被害者はどの事件でも、五十代の男みたいです。それプラス何か伏せられている条件で、捜査一課の一部の人間は、連続殺人の可能性も視野に入れて捜査をしている」


 俺はシートのリクライニングを倒して、フロントガラス越しに空を見上げた。シオンは前を見たまま話を続ける。


「連続殺人の死体は、どれも首が無かったのか。あるいは、死体の一部が切り取られていたのか。まさか被害者全員が人間を監禁していたとは思えない。まぁなんにせよ、何らかの共通項があって、昨日の事件が連続殺人の一部である可能性が出ています」

「俺の事務所に来た足を切り落とされた奴は、その連続殺人の被害者の一人かも知れないと?」

「でも、その霊は二十五歳くらいって言ってましたよね」

「その一件は、その後どう」


 俺がそう訊ねるのと同じタイミングで車はまた赤信号で止まり、シオンはずっと咥えていた煙草にライターで火を着けた。狭い車内に煙草の煙が充満し始めて、俺は助手席の窓を十センチほど開ける。


「死体は見つかりました。立川市です。見つかったのは一週間ほど前。変死も変死、足が切り取られた死体ですから司法解剖に回されて、その結果生きたまま足が切り落とされたことが判明した、とのことです。死因は出血性ショック死」


 シオンも運転席のドアを少し開けて、車内には風が吹いていく。信号は青に替わり、車は発進する。


「顔写真は?」

「さすがにそこまでは。ただ、立川ですからね。連続殺人とは、少し距離がある」


 俺は東京都内の地図を頭の中に広げ、立川と赤羽、町屋、大泉学園、そして荻窪にピンを刺していった。確かに立川は遠いか。


「連続殺人のその共通項が分からないと、そちらからの推理は出来ないか。ならやはり、死体の正体と殺人犯が誰かを考えるしかない」

「そうなんですよ……」


 シオンはハンドルに顎を乗せるようにして、車を走らせながら荻窪駅の辺りを観察し始めた。この道はさっきも通ったから、どうやら空いている駐車場を探しているらしい。


「さて、出頭する前に腹ごしらえと行きましょうか」

「出頭じゃない、任意の事情聴取だ」


 シオンは空いていたコインパーキングに車を停めて、まだ長い煙草を灰皿に押し付けた。

 俺とシオンは車を出て、並んで荻窪駅前を適当に歩いた。やはり混濁としていたその町を、俺は嫌だとは感じなかった。

 ここにしましょう、とシオンが指さしたのは、店先のショーケースにおにぎりの並ぶ店で、どうやら店内で定食も食べられるらしい。だが、シオンが持ち帰りで買って車の中で食べよう言い出し、どちらでも良かった俺はその提案を受け入れた。

 ショーケースの中に並ぶおにぎりを適当に三つ選び、支払いを済ませて店先から離れる。ゴールデンウィークが開けたばかりの荻窪の町は、平日だというのに人がまばらに歩いていて、俺はその光景に平和さを感じ取りそうになった。

 少し待つと、おにぎりを一抱え程も持ったシオンが俺の横に並んだ。俺とシオンはまた荻窪の町を歩き始める。


「やっぱり、白石さんの方が時間かかるでしょうね、聴取」

「あのときは仕方なかったが、お前を呼んだのは結果的に怪しまれる原因を増やしたかもしれない。その辺り警察は、俺と陽夏とお前の言っていることを突き合わせて、矛盾が無いか考えるんだろう」

「それは考えるって言いませんよ。考えるってのは、想像力を使って混沌の渦から秩序の欠片を取り出すことなんだ」


 俺はシオンの探偵としての素質を買っているが、実際にやっているのは浮気調査が殆どだと言う。それを本人がどう思っているかは、俺は知らない。

 俺とシオンはパーキングに戻って車に入り、おにぎりを食べ始めた。手を洗っていないので、ラップで包まれたそれを直接触らないようにする必要があった。

 おにぎりは美味かった。梅干しの酸味と渋みが白米と上手くマッチしている。どこか郷愁を誘う味だった。それが想起させた訳でもないだろうが、俺は監禁されていた二人を思い出した。


「あの二人は回復したかな」

「栄養失調がどの程度かですね。回復して医者の許可が出次第、事情を聞かれるでしょう。何歳だか知らないけど、警察の怖いお兄さんに睨まれることになるなんて、大変ですね」

「問題は少年の方か」


 シオンはおにぎりを頬張ってから、何度か頷いた。腕時計を見ると十一時半で、警察署に呼ばれたのは十三時。シオンの食事はまだ時間が掛かるだろうから、丁度良いかもしれない。

 俺は食事を終えていて、これからの展開を予想しようという気になっていた。

 陽夏もまた事情聴取に呼ばれるだろう。俺やシオンよりは短い時間かも知れないが、いまの精神的ショックを考えると、事情聴取もダメージになるだろうと思った。

 そして俺は、何を追えばいいのか。陽夏の依頼は友人の星那を助け出してほしいということだった。俺はそれを果たしたのか。

「何が目的なのか」

 俺はそう呟き、着ていた薄い生地のジャケットのポケットを弄る。煙草は見つからなかったがそれもその筈で、俺は禁煙していたのだ。いや、煙草を止めた、と言ったほうが、寧ろ正しい。

 事務所を出るときにポケットに突っこんだジッポライターだけが俺の手の中には収まり、俺はそれを手遊みに弄び始める。かち、かち、と音を立てながら何の脈絡も無く思考を広げていると、何かの弾みにある考えが降ってくる。


「優太郎が連続殺人犯を独自の捜査で見つけ出して、殺害し、頭を切り落としたってことはないかな」


 シオンは口の中におにぎりを詰め込んだま、俺の方を見て、目だけで先を促してくる。


「あの首の無い死体は連続殺人犯だった。優太郎は殺人犯を殺し、それを自らに偽装して、自分は姿をくらます」


 おにぎりを缶コーヒーで飲み下したシオンが、眉間に皺を入れる。


「そんなことして、なんになります」

「うーん、そこなんだよな」

「矢岸探偵事務所の名が泣きますよ」

「俺は探偵事務所を開いた覚えはない」

「こんなのはどうです。連続殺人犯は垣内星那だった。それに気が付いた垣内優太郎は、自分の手によって連続殺人を終わらせると同時に、自らにその連続殺人の罪を着せることによって、娘を救おうとした。あの死体はやはり、垣内優太郎ではない」

「あの少女に五十男を何人も殺せるとは思えない。それに、監禁されていた」

「監禁は本物でしょうが、四六時中監禁されいたかは分かりませんよ」

「お前、普段からそんなこと考えて仕事してるのか」

「普段の仕事は推理の翼を広げる必要が無いんですよ」

「まあ、いい。それより、そろそろ荻窪署に向かおう」


 シオンは口元だけで笑って、パーキングの料金を払うべく車から出る。支払い機に硬貨を入れるシオンを見ながら、俺はいまの話をどの程度信じるべきか考えた。

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