第25話 黒い鳥は旅立つ⑤

(1)


 ずっと、ずっと、茨の城で昏々と眠る姫君の気分だった。

 閉じ込められていたのは黴臭い地下牢、纏わりつくのは男達の欲望の渦。茨姫よりも最悪な環境――、かもしれない。

 黒い鳥の影もずっと感じていた。否、黒い鳥の存在など本当はどうでもよかったけれど。


 墓場鳥計画に乗じ心中で練り続ける、誰にも明かすことのない己の計画遂行のため駒を一つ。一つだけでいいから駒が欲しかった。

 先読みの能力はずっと先の未来までは視えない。せいぜい数か月先までが関の山。数か月先に見えたものによって利用できるかどうか判断を下す。


 だから脱走を止めた。魔血石=爆発物だと教えてやった。

 幼子のようにじゃれつき、懐いてやった。

 とどめをささず、一時的な仮死状態に陥らせて生かしてやった。だから。


 たった今目の前で起きたことくらい、わざわざ先を視なくてもある程度は予測できたこと。

 復讐を果たし、利用価値を失った男達は息絶え――、白い髪と肌が彼の血で汚されるのも予測していた、筈で――







 玄関ホール全体がかたかた揺れ始める。

 振動は徐々に強まっていき、瓦礫の山やひび割れた壁、天井から細かい欠片がぱらぱら落ちてくる。


「くっ、何だ?!」


 キィィィンと脳に直接叩き込まれる甲高い音に意識を強く引っ張られる。建物が大きく揺れる中、踊り場から上階へ続く階段に腰かけていたユーグは耳を塞ぎ、異変の元であろうかロビンに視線を巡らせた。足元の段差に横たわらせたスレイヴの亡骸も振動に合わせて微かに揺れている。


 ロビンは薄緑の防御膜で自ら護りつつ、凶弾に倒れたエンゾの頭を胸に抱えて歌っていた。庇われた際に浴びた血飛沫が白い美貌を汚し、今も尚、エンゾの右胸からは血がどんどん溢れてくるというのに。それでも尚、決して足元に下ろそうとしない。そして言葉にならない歌詞を、旋律にならない音に乗せて歌う。最早これは歌ではない、叫びだ。

 ロビンに銃口を向けていたヴァメルン兵達はいずれも頭を激しく床にうちつけ、のたうち回っている。特に、エンゾを撃ったであろう兵士に至ってはすでに発狂し、自らの指で両目を抉りだしていた。玄関ホールの正面扉に待機する兵士達も同じく思い思いに苦しみ、もがいている。

 ふと、冷静にヴァメルン兵の動向やロビンの様子を俯瞰で観察できる余裕があることにユーグは気がつき、次いで、柔らかな輝き放つ薄緑の防御膜に包まれ、歌が聴こえてこなくなった。


 ロビンの歌声で四方の壁に大きな亀裂が走る。亀裂が増えていくごとに、発狂の末に建物と共に崩れ落ちていくヴァメルン兵の数も増えていく。兵士達の亡骸は降りかかる瓦礫に埋もれていき、亀裂は遂に天井にまで達した。

 崩落する天井を防御膜がぽよんと跳ね返し、ユーグを、ロビン達をそれぞれ護ってくれるが、地響きを伴う振動のせいで倒壊に終わりが見えない。だが、落城は時間の問題だろう。

 崩れた壁の隙間から爽やかな夏空が見える。爽やかな美しい夏空が。驚異の叫びは澄み渡った空に悲しみを撒き散らすように、痛いまでに高く響く。セイレーンの歌声、叫びとはまさにこのことか。

 青空が見える範囲が徐々に広がっていくのを、ユーグは膜の中で力なく見届けるより他がなかった。











(2)


 爽やかな夏の光が降り注ぐ。少しだけ熱を含む風が頬を撫でる。

 高い天井は完全に崩落し、天井のみならず王城全域をも破壊し尽くした。

 自分が座り込んでいた階段も倒壊、一番下まで転がり落ちたヴァンサンの遺体がすぐ傍に転がっている。全滅したヴァメルン兵達の亡骸のほとんどが瓦礫の下敷きとなったのに随分運の良いことだ。

 光と風以外頭上から降り注ぐものがなくなり、防御膜を霧消させる。腕の中のエンゾの息は――、本当に微かではあるが、完全には止まっていない。

 しかし、ロビンは治癒回復の詠唱すらも口にできなかった。


「斬らないのですか、ジャン=ユーグ殿」


 細い首筋にひやり、冷たい感触。

 これまでと打って変わり落ち着いた語調に、背後から剣を突きつけるユーグの目が見開かれる。


「貴様、やはり」

あの刑去勢による心身の痛みに、僕の気が触れそうだったのは確かです。でも生まれながらに魔力を備える僕ならば、気づかれない程度に治癒回復魔法で痛みを軽減させられますから」

 刃がほんのわずかに首に食い込む。透けるような白にぷつり、朱が滲む。

「ヴァメルン王家への復讐という目的は果たされました。オルレーヌ王家までほぼ全滅させてしまったのは少し想定外でしたが」

「では、オルレーヌ前王陛下、新国王陛下の反勢力の者達も」

「えぇ、ヴァンサン様の命で僕とスレイヴが……、つっ!」

 更に食い込んだ刃が薄く肉を切る。つつーっと一筋の朱が首筋を伝う。

「首を刎ねられる覚悟はできています。ただ、その前に彼を……、エンゾに治癒回復を施させてください。そのあとでなら、大人しく貴方に殺されてあげます」


 ユーグは剣を下げない。引き下げるやいなや、魔法で反撃される可能性を疑っているのだろう。ロビンが胸に抱えたエンゾも、もう、ほとんど息をしていない。


「ジャン=ユーグ殿、お願いします」


 ユーグは剣を下げようとしない。


「お願いします。治癒回復終えたと同時に僕の首を刎ねてくれればいい」

「息を吹き返したはいいが、身を挺して助けたお前の首と胴が分かたれればエンゾの方が発狂し兼ねない。それに」

 皮膚に食い込んでいた刃が少し離れ、ユーグの声に陰りが帯びる。

「……エンゾはこのまま命果てた方が幸せ、かもしれない」

「なっ」

「貴様は当然ながら、この場に居合わせた私とエンゾも今後はヴァメルン・オルレーヌ両国から反逆者と見なされるだろう。命を狙われることも有り得る。貴様と私は高い精神力と魔力を備えているからどうとでも生きていけるが、エンゾは??私かお前と行動を共にすれば危険は回避できるかもしれないが、常に助けてやれるとは限らない。仮に、自分の身は自分で守る強さを持てたしよう。それはそれで、襲撃者を殺めてしまうこともあるだろう。だが……、スレイヴを手にかけてしまったエンゾの様子を見たか??気性が激しくとも彼は案外脆い。いや……、脆いのではない、ごく普通の者であれば自然な反応だ。そんな彼が罪悪感を抱えながらいつ捕縛されるか、命を狙われるか分からない過酷な日々に耐えられると思うのか??」

「だからといって……、あぁ!」


 ロビンの顔が文字通り青褪めた。

 エンゾの分かるか分からないか程度の浅い、浅い呼吸が、消えかけている。


「ま、待って……!」

 腕の中で大きな身体をがくがく揺さぶってみる――、が、それで呼吸が戻る筈もなく。

「い、いやだ!君、君だけ、君だけは……!!」


『きみは死んじゃダメ、死んじゃダメだからね!ずっと、ずっとここにいてね!!そしたら、死なないからねぇー??』




 罅割れた床(なのか、倒壊した階段なのか判断し難い)が再びかたかた揺れだす。揺れが大きくなるごとに、ロビンとエンゾを護る盾のようにぐるぐる風が巻き起こる。

 細かな粉塵と瓦礫片が風で舞い上がる。風力を増していく風は旋風に成長し、煽られても尚踏み止まろうとしたユーグを薙ぎ倒した。

 勢いに押し流され、這い蹲りながら顔を上げたユーグは、風の中心から眩い程の濃黄色の光と禍々しい赤黒い靄が同時発生するのを見た。黄色の光は治癒回復魔法。そうまでしてエンゾを助けたいのか。

 エンゾへの執着じみたロビンの想い、行動に理解がまるで追いつかない。しかし、それ以上に気になる赤黒い靄の正体は――


 風が止むと自動的に光と靄が止み(偶然一緒に止んだのか、人為的に止めたのか)、身を起こしたユーグはそこで目にしたものにしばし言葉を失った。ユーグが起き上がる気配を感じ取ったのか、振り返ったロビンは満足そうに笑っていた。


「エンゾは助かりました。この姿ならば容易に命を狙えないでしょうし、仮に襲撃されても簡単に撃退できます。万が一、襲撃者を殺めてしまっても罪悪感を抱えず生きていけます」

「これ、は……、本当にエンゾ、なのか??」

「えぇ、紛れもなくエンゾです」


 ロビンが大事そうに腕に抱え直した頭は元の大きさの三倍近くになり―、頭だけじゃない、身体も三倍近く成長し、頭から爪先まで玉虫色に輝く鱗で覆われていた。

 口角が下がり気味の不貞腐れた口は鰐のように細長く且つ頑丈、ダガーの切っ先に似た鋭い牙が垣間見える。ほんの少し開かれた栗色の瞳の瞳孔は細長い。四本脚を折り曲げた伏臥の姿勢は、一見休息する軍馬にも見える、見えるのだが――、明らかに違う。そもそも、馬には羽など生えていない。


 そう、あれは――、緑竜リントヴルムだ。

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