第18話 墓場鳥計画③

 街道沿いには葡萄の段々畑が拡がっていた。燦然と輝く緑の間を縫うように、街道を一台の荷馬車がゆっくりと進む。

 未舗装の田舎道なので荷馬車は激しく揺れる。荷台に積まれた木箱数箱もガタガタ揺れる。揺れに合わせて荷台の板もギシギシ鳴る。木箱の中に収まるワインボトルもカチャカチャ音を立てている。

 大事な商品に割れてもらっては一大事。大して意味はないかもしれないが――、並んだ木箱の間に身体を収めていたエンゾは片膝立ちになり、それぞれの箱を順に手で抑えてみせる。


 汗がたらり額から顎へと伝う。喉もカラカラに乾いている。

 木箱から微かに漂うワインの芳香にごくり喉を鳴らす。その音が聞こえたのか、前方で馬を操っていたユーグがちらと横目で振り返った。


「何だよ、腐っても売り物なのに飲んだりなんかしねーよ」

「それならいい」

「つーか、こんなに揺れているのに飲んだら真っ先に酔うわ」


 今までだって実際に商品に手をつけたことなど一度足りとてない。ユーグに聞こえるよう、わざと大きく息をつく。やや酸味を帯びた芳香に誘われたのか、いつのまにか木箱やエンゾの傍を一羽の蝶がひらひら舞っている。視界を横切る鮮やかな翅の色はロビンの道化服を思い起こさせる。


「あぁ!くっそ!!」


 数か月経った今も時折思い出してしまう自分自身に苛立ち、小さく叫ぶ。

 あの時、地下牢で確かにエンゾの意識は途切れ、心臓は止まっていた。

 それなのに、エンゾは死体袋の中で息を吹き返し、再び目を覚ましていた。


 あくまでユーグの推測だが、歌で息の根を止める振りして、一時的に仮死状態に陥らせるような術を施したのでは――、あくまで都合の良い、良すぎる推測でしかないが――、とのこと。

 それでも、あれは悪夢だったとエンゾは思いたかった。だが、石床に打ち付けた額に残る深い傷痕が現実だという証拠になる。

 シッシッと手を振り、視界から蝶を追い払ってみせる。蠅やヨコバイなら躊躇うことなく叩き殺してやるが、さすがに蝶を駆除する気には到底なれない。やっぱり、綺麗ってのは得だよな、と自嘲し、袖口で顔を流れる汗を拭う。

 事実はどうあれ殺されかけたのは間違いないのに。なぜ、自分までロビンを気にかけてしまうのか。雨の日でもないのに前髪の下の傷痕がひどく疼く気がした。


 現在ユーグと共にエンゾが暮らしている場所は敵国ヴァメルンだった。

 どうせならオルレーヌと友好関係にある別の国にすればよかったのに。ヴァメルンとて国境警備隊がいるだろうに。


『道化の密入国方法を真似しただけだ』

『真似??』

『奴は東の国境沿いの黒い森の出口に近づいたところで転移魔法を使った』


 魔法ってやつはつくづく便利なものだ。

 振り向きざまにユーグの背中を一瞥する。

 この数か月、ユーグが用意していた路銀を(エンゾにしたら路銀というには相当な大金だった。これだから上流の人間ってやつは……)元手に馬と荷車を手に入れ、食料やワインなどの荷運び業で生計を立てていた。


「……飲むんじゃないぞ」

「だから飲まねぇよ!あんたも大概しつこいな!!大体、金持ちへの献上品ってことはワインでも高級な類だろ??えっと、確か、瓶の形がヤギのキンタ」

「山羊の陰〇と言え」

「あぁ、玉〇」

「陰〇と言え」

「呼び方なんてどうでもいいじゃねーか、これだからお上品な奴は……」

「下らんことばかり喋っていると今すぐにでも声を出せなくするぞ」


 表情こそ見えないが、明らかにユーグの背中から殺気立った気配が放たれている。相変わらず冗談が通じねぇ、と、その背中を軽く睨み、エンゾは大人しく口を噤む。

 荷馬車から降りたら嫌でも声を出せなくなる。だから、声を出せる時は下らない話でもいいから何か喋っていないと妙に落ち着かない。


 オルレーヌとヴァメルンの言葉の違いは僅かな訛りの違いだけ。ヴァメルン寄りの訛りを交えて会話すれば気付かれることはない。だが、エンゾがうっかりオルレーヌ寄りの訛りで話してしまうというボロを出すのを危惧したユーグによって、エンゾは二人でいる時以外は声を出せないよう魔法をかけられてしまうのだ。


 非常に気に入らないが、ヴァメルンとオルレーヌの訛りの違いを理解できていないのも事実なので仕方ない。気に入らないと言えば、ユーグが行く先々で女にもてるのも気に入らない。言い寄ってくる女達を誰一人決して相手しないところも気に入らない。

 上背はあるが特に美丈夫という訳でもないし、どことなく品はあるかもしれないが堅物すぎて面白みもないこの男のどこがいいのか。エンゾには皆目見当もつかない。ただ、瀕死の怪我人で完全なるお荷物でしかなかったエンゾを、何だかんだと見放さない辺りは面倒見だけはいいのかもしれない。

 だったら、寄ってくる女の一人、二人くらいこっちに回してくれれば――、残念ながらエンゾには誰一人として寄ってきてくれないけれど。目つきの悪さに加えて額の傷のせいで更に人相が悪くなってしまったし、表向きには口が利けない振りをしているのでこれもまた仕方ないことではある。


 葡萄の段々畑が延々と続く景色も見飽きてきた。

 荷馬車の揺れ、暑さによる怠さのせいで徐々に眠たくなってくる。


「ユーグ、悪いけど少しだけ寝ててもいいか??」

「好きにしろ。王都に着くまではまだ長い」

「んー」


 ユーグの言葉に甘えて木箱に寄り掛かって目を瞑る。

 道中何事も起きなければ、今日中にヴァメルンの王都に到着するだろう。

 オルレーヌの新国王が――、王位継承に関する黒い噂絶えぬヴァンサン新国王が滞在中との王都に。

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