第15話 墓場鳥計画・序⑥

(1)


 話を終えるとユーグは立ち上がり、剣を鞘に戻して扉へと進む。重く軋んだ音を立て、再び牢の扉が開かれる。しばらくして複数人分の足音が牢内に響いてきた。


「ご苦労、ユーグ」


 視界に映り込む靴先、長い上着ジュストコールに金糸の刺繍があしらわれている。薄闇で場違いにちらちらきらめく金が未だぼやけた視界には少し、煩わしい。床に転がされているので顔は見えないが、目の前に佇むこの人物こそが、王太子ヴァンサンなのか。

 せめて顔だけでも拝んでやろうか。痛みと怠さに耐えて態勢をずらそうとしたが、パタパタと駆け寄ってくる足音で動きを止める。


「あ!エンゾ!こんなところで寝たらカゼひいちゃう!!」

「……ロ、ビン……??」


 ロビンはエンゾを引き起こそうと腕を掴みかけて――、できなかった。

 腕を掴み取る直前、横からさりげなく手を伸ばしたヴァンサンが引き止めたからだ。


「大丈夫だよ、ロビン。彼は風邪なんか引かないさ」

「だって、ここ、さんむい!!さんむいよぉ~??」

「大丈夫。眠ってしまえば寒くもなんともなくなるだろう??だから、彼が深く眠れるよう、子守歌代わりにあの歌を唄っておくれ」

「うたぁ??」

「この間から私の部屋で練習しているじゃないか。スレイヴと一緒に」

「んんんんん~??」

「スレイヴ」


 扉近くの壁際に寄り掛かっていたスレイヴはスッと姿勢を正すと、壁際から数歩分離れたところで立ち止まった。そこは扉の前で、扉を守るようにユーグが佇んでいた。そのユーグに、スレイヴはヴァイオリンケースを徐に押しつけ、軽く顎先を振ってみせる。

 一瞬眉を寄せたものの、ユーグは黙ってケースの蓋を開く。スレイヴは愛機を手に取り、一言の礼すら口にせずヴァンサンとロビンの元へ静かに歩み寄っていく。

 全身黒に包まれた背中、さらさらと流れる赤い髪に醒めた視線を向けると、ユーグは耳栓を耳孔に捻じ込んだ。下衣のポケットの中、エンゾから取り上げた耳栓の存在を感じながら。


 ユーグに倣いヴァンサンが耳栓をした直後、美しく荘厳さを湛えた、けれど、不協和音の塊のようなヴァイオリンの音色が牢内を満たしていく。

 冷たく嫌な汗が全身を伝う。人を狂わせる音への恐怖と緊張に苛まれながら、エンゾはつい先程のユーグと会話を思い出していた――









『ヴァンサン様が奴隷、道化を従えてもうすぐこの地下牢へお越しだ。拷問用の新曲の効力を貴様で試すために』

『なっ……』

『さすがの暴れ馬の貴様でもあの効力を知るだけに青褪めるのか。残念ながら、いくら道化が貴様に懐いていようとも、貴様のために手を抜いてくれるなどと淡い期待は一切抱くな。特に、今回はヴァンサン様自ら拷問を見学されるとあれば、余計に、だ。仮に、万が一、道化が手を抜いたところで奴隷はそうもいかない。まぁ、あの二人や貴様に関してはともかく……、ヴァンサン様についてだが――……』


 ユーグはここで一度口を閉ざした。

 だが、数瞬の後、迷い、苦悩を大いに滲ませつつ深い嘆息混じりに話を続ける。

 エンゾに語りかけるというより人知れず独り言を零すように。静かに、静かに。


『近頃のヴァンサン様は、奴隷と道化の力に感化され過ぎているのが気掛かりで仕方ないのだ。彼らの力を利用しているようですっかり溺れてしまわれている。罪人やヴァメルンからの密入国者ならともかく、貴様のように厄介者であれど決して罪人ではない者まで、実験と称して平気で命を奪うのだから――……』

『……つまり、王太子様への抗議の意味合いで俺を助けるってか??』

『……そんなところだ。貴様の耳栓は取り上げざるを得ないが、その代わりに防音の効果をもたらす魔法をかけておいてやる。貴様はそれを悟られぬよう、狂った振りをした後死んだふりをしろ。拷問による死体は私が処理しているから、処理する振りして貴様を城外へ逃がしてやる。路銀もたっぷり持たせてやるから、あとはどこへなりとも好きな所へ行けばいい。その代わり、いくつか条件がある』

『……じょう、けん??』

『どこへ行ってもいいが、貴様の生存をヴァンサン様達に悟られぬよう少なくとも半年から一年は一か所に留まらず各地を転々としろ。そして、移住した先でこの非人道的な実験の噂を流せ。市井の者達からの実験への批判が高まれば、ヴァンサン様はを中止せざるを得なくなる。王位継承を第一の目的とされている御方ゆえ、国民からの反発を買う事態は避けようとされる筈』

『けい、かくって』

『……話せば長くなるし、貴様は知らなくてもいいことだ。とにかく、私の言う通りにすれば、少なくとも貴様は自由の身になる』















(2)


 釈然としないながらも、『自由の身になれる』『金は用意してくれる』という言葉の魅力には抗えない。

 気掛かりがあるとすれば、噂が広まったのちのロビンの処遇について。

 自国民のスレイヴならいざ知らず、ヴァメルンの密入国者であるロビンまで噂の帳消しと共に存在を消されたりしないだろうか。

 ユーグの言葉に乗ることにしたが――、否、この状況下では首を縦に振るしかないじゃないか――、ロビンを見捨てることに繋がるようで胸の奥がじくじくと痛んだ。だが、事態は悠長に感傷に耽っている場合ではない。


 ユーグの防音魔法は、確かにスレイヴが奏でる音を全て消してくれている。

 問題はどう狂った振りをし、死んだ振りにまで行きつかせるか。

 以前に見させられたおぞましい拷問現場を、嫌々ながら思い返してみる。

 狂っているロビンや拷問など見慣れていなさそう(に見える)なヴァンサンは騙せても、妙に鋭そうなスレイヴを騙すには??

 とりあえず、この石床に頭をぶつけてみる、か……??、と、思っていたところで、天使の歌声が聴こえてきた。


 途端に薄闇がぐらぐらと揺れ動く。ヴァンサンの靴と上着の刺繍の金がちかちかと目に痛いほど輝きだす。目を閉じてさえも脳が揺さぶられる感覚に、たちまち強烈な吐き気が込み上げる。

 衛兵達から受けた暴行で散々吐き散らし、胃の中に吐くものは残っていない。僅かに絞り出した胃液が数滴、ぽとぽと石床に垂れたのみ。

 胃だけでなく全身の内外を捩じ切られる痛みにエンゾは石床を転げ回り、獣の咆哮に似た悲鳴をあげる。暴行による痛みなど比ではない。


 途切れそうな意識を総動員し、仰向けになったところでカッと目を見開いて周囲を見渡してみる。


 僅かに顔を強張らせて事態を凝視するユーグに『てめぇの防音魔法、全然効果ねぇじゃねーか!このポンコツ野郎!!』と睨みつけ、涼しい顔でヴァイオリンを弾くスレイヴ、苦しむエンゾを愉快そうに上から見下ろすヴァンサンをも順に睨みつける。

 その一方で、ロビンの姿だけはどうしても見ることができない。彼がどんな顔して自分を痛めつける歌を唄っているのか、確認するのが恐ろしかった。


 もしかしたら、ロビンへの裏切り行為に加担しかけた自分への罰、なのか。


「ぐわぁあああっっ!!!!」


 張り裂けんばかりの大きな悲鳴が自らの喉の奥から飛び出す。

 頭を石床に強く叩きつけると視界が朱に染まる。何度も何度も叩きつけ、朱も深みを増していく。

 歌声と一緒にヴァンサンの高笑いが牢内にこだました。


「ユーグ。私への造反の嫌疑により本日限りで親衛隊長の任を解く。お前は以前から墓場鳥ナイチンゲール計画に反対しているし、ロビンが教えてくれたのだよ。『こわぁいおにいさんがねー、ヴァンサンをこらしめたいみたぁい!こわぁい、こわぁあい!!』と。予言の力も備わっているロビンが騒ぎ立てるのだから真実なのだろう。本来ならば、お前の一族全員処罰を与えるところだが、これまでの功労を顧みてお前只一人を国外追放に処すのみに留めてやろう」


 ヴァンサンのこの言葉とユーグが漏らした低い呻きを最後に、糸が切れるようにエンゾの意識はぷつり途絶えた。

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