第8話 道化と奴隷④

(1)

 

 結局、エンゾは鉛のように重い身体を引き摺って渋々地下室へと向かった。

 自室から廊下に出て歩いていると、他の使用人達の何人かと擦れ違う。

 それとなく一応は目礼してみるが、皆知らん顔して横を通り過ぎていく。

 まるで彼がここに存在していないかのように。

 使用人達の態度に違和感と苛立ちを感じながら、昨日の記憶を頼りに地下牢へ続く扉を探して城内を歩き回った。

 廊下を挟んだ両側の壁、湾曲した天井にかけて蔦や貝殻を模した非対称の彫刻が施され、壁と天井の境界を曖昧にさせている。

 白や淡い黄色、金色を基調とした優美な内装でただ一点だけ、異様に暗く浮いて見える扉が――、そう、だ。が地下室へ続く扉だ。


 一見すると、『森を背景にした少女の手首にコマドリが止まっている』一枚の大きな絵にしか見えない。

 だが、絵の中のコマドリを押すと、がしゃりという硬い音と共に絵の裏側に隠された扉が開くのだ。


 太陽光がほとんど入らない地下は昼夜の区別がつかなければ、時間の概念も存在しない。

 湿った石階段を照らす篝火の光のみを頼りに、昨日と同じように階段を下っていく。

 篝火の朧な赤い光に混じって魔血石の赤が妖しく輝いている。

 絶えず明滅する首元の赤が癇に障って仕方ないが、嫌がったところでエンゾに呼び出しを拒否する権利はない。


 二つの牢の手前まで来てみたものの、果たして自分を呼び出したのはスレイヴと道化、どちらなのか。

 道化の方はまだ会っていないので何とも言えないが、スレイヴの方だとしたら――、魔女みたいな高すぎる鷲鼻や冷たい目、高飛車な物言いを思い出すだけでも更に気分が滅入ってしまう。

 手前側の牢をそっと注視してみる。

 半分以上が闇に覆われた牢内、闇に向けて目をよく凝らしてみてもスレイヴの姿は見当たらない。

 呼び出したはいいものの、自分がここに訪れるまでの間にが入りでもしたか。

 正直話しかけたくはないが――、鉄格子の目の前まで近づく。

「あのさぁー、俺を呼び出したのはスレイヴ……さん、かよ??」

 闇に向けて幾分声の調子を落として話しかける。反応はない。

「おーい、用があって俺を呼び出したんだろー??」


 エンゾの声は虚しく牢内の闇に吸い込まれていく。

 ふと、嫌な予想が脳裏に浮かぶ。


(ひょっとして、あの、高慢ちきな性悪奴隷野郎……。俺への嫌がらせのつもりで、本当は用事がないくせに呼び出したんじゃないだろうな?!しかも、仕事で牢内から出ることを分かった上で!!)


 やられた……!と、スレイヴの牢の鉄格子を両手できつく握り込み、ガシャガシャと力任せに揺さぶった時だった。


 奥の牢からもガシャガシャと鉄格子を揺さぶる音が聞こえてきたのだ。






(2)


(もしかして、道化の方……、なのか??)


 面識の有無でつい、スレイヴに呼び出されたのだと思い込みかけていた。

 奥の牢で鉄格子を掴んでいるのは、透明に近い真っ白な手だ。

 事前にユーグに教えられた道化の情報--、『ヴァメルン国王の右腕だった魔女の一人息子で強力な魔力の持ち主』『歌で魔法を行使する』『清廉な美貌と美声を保つために去勢された』『去勢の後遺症によって狂人と化した』

 スレイヴの拷問殺人を目撃した後に淡々と説明されたせいで、その時はほぼ聞き流していたが――、情報のみから予想する道化はスレイヴ以上に始末が悪いのではないだろうか。


「ねーえ!!おなかすいたー!おなかすきましたぁぁあああー!!」

「うお?!?!」


 奥の牢でどがしゃん!!と鉄格子に人が派手にぶつかった音に吃驚したせいで、エンゾは思わず牢とは反対側へ、壁際へと飛びずさってしまった。

 彼を呼び出したのはスレイブではなく、道化、もといロビンのようだった。


「あのー、ごはんー、ごはんを!くださいなぁー!!」

「…………あれ、」


 鉄格子越しに初めて見た道化、否、見たのは初めてではない。

 限りなく透明に近い白い髪と肌、透明がかった薄青の双眸。

 同じこの世に生きる者とは思えない、神秘的なその美貌、忘れられる筈がない。


「おま、お前……、昨日の、あの時の……!」

「あっれー??おそろい!おそろい!!」


 道化、もとい、ロビンに思い切り指を差すエンゾに、ロビンもまた彼に向けて白く細い指先を差してきた。

 その先が示すのはエンゾの首元の魔血石だ。


「おそろい、おそろい!!あなたのチョーカー、僕とおそろいだねぇ」

「っつーことは、お前が」

「僕、お前くんじゃないよ??ロビン、ロビンって呼んで??」

「わーった、わーった!」

「あなたのおなまえはー??」

「エンゾ、俺はエンゾだよ」

「エンゾ!エンゾ、エンゾ……、エンゾー、エンエンエン、ゾゾゾ~」

「おいこら、歌に乗せて人の名前で遊ぶんじゃねぇ。てか、ほんとうにあんたが俺を呼び出した訳??で、俺への用事は??」

「えっへへへ、魔血石きれーだよねぇ。僕、魔血石の赤すきぃ」

「ちょ、話が通じねぇ……」

「でも、これ、きれーなのに爆発する。ヴァンサンと同じ!こわぁい!!」

「爆発?!」

「うん、そーだよぉ」


 ロビンが口にした聞き捨てならない不穏な台詞に思わず耳を疑った。

 エンゾの心境などお構いなしに、ロビンは自らの首元で妖しく光る魔血石を撮み上げて更に言葉を続けた。


「みんな、死んじゃったぁー」

「ちょ、どういうこと……」

「きみは死んじゃダメ、死んじゃダメだからね!ずっと、ずっとここにいてね!!そしたら、死なないからねぇー??」


 ふくふくと無邪気に笑い、こてんと小首を傾げる姿があんまりにも可愛らしいものだから。

 こいつは男、男だよ!と言い聞かせながらも一瞬見惚れてしまったが、ふと、あることに気付く。

 もしかしたら、ここから逃亡を図ろうものなら魔血石が爆発して命を落としてしまう、とか??

 そして、昨夜のロビンはそれを止めてくれたのだろうか??


「ねぇねぇ、それよりも早く!早くごはんをー、くーださい!!」

「わかったわかったっつーの!!とりあえずお前のメシを今から貰ってきてやるから大人しく待ってろ!!」


 次々に湧き上がる疑問の数々は、しきりに食事の催促をするロビンの騒がしさによって掻き消されていく。

 物事を深く考えるのは苦手だし、とりあえず、まずはロビンの食事を運ばなければ。


 細かい話はそれからだ。

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