フラジャイル・コクーン

文長こすと

一:ふたつの感情の間で

「……応答願えますか。おーい。もしもーし……」

 急に、前席に座るセンのハスキーな肉声が響き始めた。

 長丁場の移動に疲れてうたた寝しかけていたわたしは、そこで不幸にも目が覚める。



 夢を見ていたんだ。

 わたしもセンも、いつものごついミリタリーブーツなんかじゃなく、休みの日に男と出かける嬢子みたいなぴかぴかの赤い靴を履いていた。

 地上を染める若芽たちの匂いが風に溶け、全てを撫でるように陽射しが降り注いでいた。古い絵本の世界のような、いいお天気。そのみずみずしい光と匂いの中で、わたしのくだらない話にけらけらと笑ってくれる、向き合ったセンの笑顔。


――なんてくだらない夢。

 わたしの中の何が見させた夢かは知らないけど、ずいぶん幼稚で悪趣味だ。

 その程度の幸福に似せた脆弱な幻影で、繭のようにわたしをくるもうったって。



 この世のどこにもありはしない生ぬるい夢の世界から、荒廃が支配するアヴァクール山岳地帯の現実に舞い戻ったわたしの意識は、鋼鉄の装甲にくるまって、その時を待っている。

 ここは直列2人乗りの第6世代 戦術機動機甲T.M.Aのきゅうきゅうのコクピット。高速水上艇をすこし傾けたような流線形の本体部の前後には、小さめの自動車ぐらいの太さのある前後2対の脚を備えた4脚型。山でも谷でも走破できるのはいいけれど、がしゃがしゃとせわしなく縦揺れする乗り心地は快適とは言えなくて、居眠りできるようになったのも酔わなくなったのもつい最近。まるでオタク好みの変態的な脚が生えているのも構わず、“コクーン”なんて愛称のついた、センの愛機の中。


「カルハさん、少しいいですか」

 前席からぐるっとこちらに振り向いた彼女の顔半分が、消灯中のコクピットで唯一輝きを放つ前席のモニターディスプレイからの蒼光に照らし出された。「あ、仮眠中でした?」

 さっと目をこすったら、指先が何かに濡れた。

「いいえ」

 ずっと起きていたかのようによそおうのが、せめてもの強がり。「何かあったの?」

「それがですね、さっきから通信の様子がおかしくて……」


 センの説明する子細はほとんど頭に入ってこなかった。

 それよりも、わたしの意識を無作法なほど撫でたくるのは、こちらを見つめるその切れ長の眼に、微かに枝垂れる艶やかな前髪に、薄い唇に、真っ直ぐな鼻筋。

 いつ見ても、センはきれいだ。

 なんだってこんな人が、戦術機動機甲T.M.Aなんかに囚われているんだろう。

 こんなにも忌まわしい、“コクーン”なんかに。



 センの報告を聞き流しながら、モニターに映された機外の景色を見る。

 そこにあるのは、防疫機関と軍によって、むごたらしく破壊された山々の姿だ。火と薬に蹂躙され、燃えかすのような枯れ木と瓦礫を残して、剥き出しとなった赤い山肌が痛々しい。

 でも、こういった破壊も仕方がなかったんだ。

 全ての元凶は、“クラウド”と呼ばれる、あの気味の悪い生命体だ。その繁殖が確認されてから、そろそろ20年が経とうとしている。





 目の前の虚空には何もない――ように見えて、実際にはチリ、飛沫、ばい菌といった無数の微粒子が浮遊している。

“クラウド”の最小構成単位である微生体もその中に潜んでいる。だから肉眼では見えない――見えないけれど、その微生体同士はあたかもネットワークで結ばれたように互いに感応し合っていて、何らかの集合的な意思の下で、恐ろしく巨大な群体を構成している。群体がどれぐらい巨大かと言えば、この大陸をすっぽり覆ってしまうぐらいにはでかいと言うのだから恐れ入る。

 そして、奴らは人畜無害な存在なんかじゃなかった。例えば、微生体の高濃度エリアに生身の人間が突っ込めばしてしまう。自覚症状も外見的な症例もないまま、奴らの集合的な意思の支配下に置かれて、文字通り「人間の皮をかぶった端末のひとつ」にされてしまうというのだから、たちが悪い。

 といって高濃度エリアを放置すれば、微生体同士が雪だるまのように結合し始め、乗用車ほども大きな蜘蛛に似た「職体」――いわば“働き蜂”みたいなもの――が生育する温床になってしまう。この職体は“クラウド”群体の手足となって自身に危害を及ぼす存在(例えば、わたしたち人間とか)を攻撃する。対処できるのは、完全武装した軍隊だけだ。


 そこで対処方法として打ち出されたのが、薬剤散布による空間の絨毯消毒か、あるいは空間ごと吹き飛ばす熱殺措置だったのだけれど、どちらにしたって山は死ぬ。


 赦してほしいと身勝手にも請いながら、人間たちは山河を焼いたのだ。


 でも、これでも全く充分じゃない。

 あらゆる国が、防疫機関が、軍が――その手と手を携えて、“クラウド”の瀰漫する空間を焼きに焼き、溺れるほどの消毒液をまき散らしても、微生体の感染者は増加の一途を辿っている。奴らの職体はますます増殖し、駆除にあたる正規軍を返り討ちにするほどの戦術的成熟も見せている。高濃度エリアをちまちまと焼き払っていてもらちがあかないのだ。空気中に浮遊する微生体の、最後の一粒まで完全に消し去らない限り。例えば、熱核攻撃なんてうってつけだけど、誰もそんな愚行を「やろう」とは言えずにいる。

 


 そんな痛ましい世界の底を、ブルドーザーより2回りは大きいわたしたちの“コクーン”は、その頑健な四つ脚で礫だらけの悪路を蹴りつけて、時速35km/hの巡航歩行を維持している。

 ここからもうひと息進んだ先の、アーヴィクス基地での哨戒活動を支援するために。

 ところが、センによれば通信不調が生じて、既に5分が経過しているという。





「……それで、アーヴィクス基地お客さんに呼びかけても返事がありません。統合総軍の交信もぱったり拾わなくなりました。機器の異常は検知されていませんから、ハードの故障ではなさそうなんですが」

 センの声にまだ焦りはないが、不安と言うよりも純粋に不思議そうだった。「せっかく基地の手前まで来たのに。どうしましょう?」

 ため息をひとつついた。

「――ひとまず、進行停止して」

「了解」と即座に彼女も応えた。

 百戦錬磨のセンがこうして疑問も呈さず指示を聞いてくれると、未だにわたしも少しほっとする。



 セン・アスカシアルは、わたしの唯一の部下だ。ただし、わたしの7つも年上で、戦術機動機甲T.M.Aの操縦技能も実戦経験も判断力も、何もかもがずっと優秀。

 センがG.G.ストライク社うちの会社にやってきた時、社内にいる先任かつ女の戦術機動機甲乗りT.M.Aオペレーターがわたしぐらいだったという理由で、彼女はわたしの部下になった。


 女性としてのセンは、社内のどの男よりも優しくて、勇敢で、美しくて、頼れる人だ。経験の劣る年下上司のわたしに対しても、鼻にかけるところもない。そんな彼女に、わたしは憧れも尊敬も抱いている。もっと仲良くなりたいし、もっと認められたいとさえ思う。

 だけど、部下としてのセンは、歳上で、有能で、常に臆せず正しい意見を述べて、美しくて――それでいて、誰にも言えない爆弾のような秘密を抱えて転がりこんできた、訳ありの人でもあった。

 だから、この密閉された鋼鉄の“コクーン”の中で、訳ありの彼女とふたりきりでいるわたしは、常にふたつの感情の間で揺れている。

「敬愛」と、「疑念」。

 その葛藤の中、わたしは遂に、自分自身の良心に従って、ある重大な決断を下していた。その覚悟を持ち、わたしの決断が招くであろう顛末を待ちながら、この先にあるアーヴィクス基地という、因縁の場所へと向かっているのだった。

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