第7話 熊さんに出会った

 ツキノワグマ。食肉目クマ科クマ属に分類される食肉類で本州最大の哺乳類。胸部には三日月型の白い斑紋はんもんがある。


 それが、三十メートルほど離れたところにいて、花咲く森の木々の間から私の方をジッと見ていた。


 熊さんが私に何の用? 白い貝殻の小さなイヤリングを届けに来た? わけじゃないわよね。


 ということは……


「キャー!」


 私は思わず悲鳴を上げた。


「どうした!?」

「く……く……熊!」

「なに! 銃だ! 銃を向けろ!」

「え? あ! はい」


 そうだった。私は銃を持っていたんだ。


 一応使い方は知っている。安全装置を外して、こっちへやってくる熊に銃口を向けた。


 え? 私、銃を向けてどうするの? 引き金を引くの? 撃ったら熊さん、死んじゃうのだけど……


「何をしている!? 早く撃て」


 いや! ムリ! ムリ! ムリ! 私に熊さんを撃つなんて無理ぃぃぃ!


 ドーン!


 銃声が響いたのは、熊さんが私まで三メートルまで迫ったとき。


 熊さんは、そのまま倒れて動かなくなった。


 え? 私が撃ったの? 撃った覚えがないけど……


 いや違った。


 倒れた熊の後にドローンが浮いていたのだ。


「あなたがやったの?」


 私はドローンに話しかけた。


「はい。私が熊を撃ちました。お怪我はありませんでしたか? 各務原情報管理官」


 このドローン、私を知っている!


「あなた、どうして私を知っているの?」

「私は警視庁所属無人巡回機、武蔵野二十八号です。武蔵野自然保護区に入った人はすべて把握はあくしております。私は保護区内に入った人の護衛を任務としております」


 そんな事になっていたんだ。


 私は倒れている熊に視線を向けた。


「死んじゃったの?」

「いいえ。今、使用した弾丸は電撃弾です。熊の皮膚を貫通する威力はありませんが、熊を気絶させられるだけの高圧電流を発生させます」


 よかった。


「なんだ、生きていたのか?」


 え? 声の方を振り向くと、朝霞さんが血塗れの包丁を持って立っていた。


「せっかく、熊料理が作れると思ったのに」


 食う気だったんかい!


「それにしても、環境省なら分かるが警視庁のドローンが巡回しているとは思わなかった。武蔵野二十八号と言ったな。おまえら、いつから自然保護区を巡回するようになった?」


 朝霞さんの質問にドローンは丁寧に答えた。


「はい。我々無人巡回機に指令が発せられたのは、三百三十六時間前になります」

「それは総統括AIからの指示か?」


 総統括AIと言ったら、日本のすべてのAIをまとめているAIよね。こういう事って警視庁のAIが指令を出すのじゃないかしら?


「はい。総統括AIから警視庁AIに指示された命令です」

「そうか」


 朝霞さんは私の方を向いた。


「熊が目を覚ます前にここを離れよう」

「え? でも和牛は……」

「もう解体は終わった。後はポータブルスキャナーで牛肉の三次元データを読みとるだけだ」

「肉は持ち帰らないのですか?」

「データさえ取ってしまえば、プリンターでいくらでも出せるだろ。肉は電撃で痛い思いをさせてしまった熊へのびに置いていく」


 それでも、保冷バッグに入れて運べるだけの肉は持って帰ることにした。


 湿地帯の上に設けられた木道を、私と朝霞さんは無言で歩いていた。朝霞さんは何か考え事をしているようだ。


 熊のレシピでも考えているのかしら?


 朝霞さんが口を開いたのは、自然保護区の出口が近づいてきた時の事……


「ヘパイストスの正体が、なんとなく分かってきた」


 え?


「俺が以前にここで狩りをした時、イノシシに襲われたと言ったな。あのとき、ここには環境省のドローンがいた。だが、環境省のドローンは武装がない。人が襲われても助ける能力がない。だから武装している警視庁のドローンが巡回するようになった。二週間前からな」

「そのようですね」

「そして、同じ二週間前に大規模なデータ更新があり、ロボットが料理事故を予測できるようになった。ヘパイストスがサイバーテロを仕掛けたのはその直後」

「つまり、ヘパイストスはそういう体制が整うのを待ってから、テロを行ったという事ですか?」

「そうだ」

「死傷者を出したくないから?」

「少し違う。死傷者を出したくなかったのではない。死傷者を出すことが、最初からできなかった。ヘパイストスとはそういう存在だ」


 え? という事は、ヘパイストスは人に危害を加えることができない存在という事?


 でもそれって……

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