第3話 机の上


内科健診から2週間ほど経ち、他の学年からの見学も落ち着いたころ、芽衣に新たな困難が降りかかる。クラス中には既に芽衣のおむつのことはバレているのだが、ある程度クラスの中でのグループ分けが済んだこともあり、友達のいない芽衣がターゲットにされ始めたのだった。わかりやすい弱点のある芽衣がいじめやイジリのターゲットになるのも自然なことなのかもしれない。


その日は係の仕事で職員室に呼ばれており、芽衣が戻ってくるころにはすでにお昼ご飯の時間になっていた。公立の中学なので、小学校のように給食はない。各自がお弁当を持参し、班ごとに机をくっつけてお弁当を食べることになっている。担任の手前、さすがの芽衣も班からハブられることはなかったが、今日は担任が席を外していた。芽衣が教室に戻ってくると、芽衣の席以外はみんな班になっており、ポツンと芽衣の机だけが端っこに置かれていた。

すぐにクラスの異様な雰囲気に気が付く。あの健診の時と同じ、クラスのクスクス笑いだった。


「白崎さ~ん、食事中にオシメは不快なのでしまってくださ~い」


クラスでも人気のある男のコがわざとらしい口調で叫ぶ。普段まともに名前で呼ばれない芽衣は、一瞬ドキッとしたが、同時に机の上を見て凍り付いた。教室のロッカーの中にあるポーチに入れてあったはずの替えのおむつが、芽衣の机の上で広げられていた。おむつを見て固まる芽衣の後ろからは、「きたな~」、「くせーんだよ!」と聞こえるように罵詈雑言が飛ぶ。もちろん使用済みではないので汚いもなにもないはずではあるが、芽衣を貶めるためにやっている者たちにとってはそんなことは関係ない。


「だ…、誰?私の荷物勝手に触ったの…」


ここで大きな声で怒鳴ることができたら、いじめも少しはマシになってかもしれない。芽衣にはそんなことはできず、誰に向かって言うでもなく、乾いた言葉は教室に響くだけだった。


「知らねーよ!誰もきったないオシメなんて触りたくねーよ!」


いつもの女子が口汚く芽衣を罵る。彼女の言葉やクラスの雰囲気を諫める生徒は一人もいなかった。芽衣は、ここには味方はいないんだと思うしかなかった。芽衣は机の上の紙おむつを手に取ると、丁寧にたたんで再びロッカーの中に戻した。振り返ると、何事もなかったかのようにお弁当タイムが再開していた。芽衣は机を班の形にすることなく、そのままの位置でお弁当を広げて急いで口の中に押し込んだ。






芽衣が登校すると、教室の中が騒がしいのに気づいた。朝に弱い芽衣が教室に来るのは、いつも後ろから数えた方が早いくらいだった。教室の扉を開けると、「来た来た…」と、薄笑い浮かべた視線がいくつも突き刺さった。おむつを勝手に持ち出された日から、学校にポーチは置いておかないようにしている。今日は前みたいにおむつで何かされているわけではないと思った。


「白崎さん、またおむつ忘れてるよ?」


芽衣はクラスの誰とも仲がいいとは言えないが、小学校も違う、話しかけられたことすらない女子に、うすら笑いでのぞき込まれるように言われた。芽衣が、その子が指さす先にある自分の机を見ると、やはり紙おむつ置いてあった。しかし今回は芽衣のおむつではない。近づいて見てみると、うさぎのキャラクターが入った子供用の紙おむつだった。ビッグサイズと書かれているのが見える。このためにわざわざ誰かが買ってきたのか、兄弟姉妹のいる子が家からふざけて持ってきたのかはわからない。


子供用の紙おむつには、名前を書くスペースがある。黒のマジックで、「1-4白崎芽衣」と汚い字で書かれていた。クラスの誰かが書き足したのだろう。


「芽衣ちゃんのパンツだから、メイーズパンツだね!」


お調子者の男子がふざけた調子で言うと、クラスに大爆笑が起こった。机をバンバン叩いて笑う合っている子もいる。普段から芽衣のことをターゲットにしている子は別にいい。普段はこういったいじめに参加せずに傍観者を気取っている大人しい子たちも、芽衣の方をチラチラ見ながら友達同士で笑っていた。それが芽衣にとっては一番つらかった。自分のおむつなら前みたいにロッカーに戻すのだが、今回は自分のものではない。持ってきた当事者に返すにも、名乗り出るわけもない。芽衣は仕方なくおむつをつかんで教室のごみ箱に捨てた。背中から「おむつだからトイレに捨てろよ」と吐き捨てるように言った声が聞こえたが、無視した。もうすぐホームルームが始まるので、それ以上何か言われることはなかった。



しかし、話は朝の時間だけで済まなかった。昼食後の休憩時間は40分ほどある。その間に校庭に出て遊ぶ子もいれば、机に突っ伏して寝る子もいる。芽衣のクラスはトイレのそばにあったが、廊下が騒がしいのに気づいた。


「おい、白崎呼んでこいよ」

「いやだよ、お前が行けよ」


人が集まり、ざわざわが大きくなる。騒がしい声の中に、自分の名前が何度か出てくるのが聞こえる。芽衣は、またか…と思いながらイヤイヤ廊下に出た。


人だかりの中心では、一人の男の子が手に白いものをぶら下げて、まわりの生徒たちに近づけたりしていた。近づけられた生徒は、叫び声を上げながら逃げ回るため、余計に事が大きくなる。「やめてよ~」、「きたない」、「くさい」などの言葉が飛び交っていた。その男の子が手にしていたのは、朝芽衣がゴミ箱に捨てたはずの子供用の紙おむつだった。しかも、そのおむつは水分を含んで膨らみ、茶色とも黄色とも知れない色をしている。誰かがふざけて水筒の麦茶か何かを入れたのだろうが、傍目にはおしっこかうんちで汚れたおむつにしか見えない。


芽衣が廊下に出ると、さあっと人だかりが避けて、おむつを手にした男の子と相対するような形になった。露骨に汚いものを扱うようにおむつの端を指先でつまみ、他の生徒の顔に近づけては、悲鳴を上げて逃げ出すというのを楽しそうに繰り返した。その子は芽衣とは違うクラスだったが、この学校では芽衣のおむつのことを知らない生徒の方が少ない。


「白崎さん、だっけ?おもらししたら自分で片付けしないとだよ?」


とぼけた調子で聞いてくる。


「私のじゃない…」


と、芽衣も精一杯の反論をする。


「でも名前書いてるじゃん、早く片付けてよ」


それ以上を言い返せず黙ったまま睨みつけていると、その子は手に持ったおむつを床にぼとんと落とした。水分を含んだおむつはどさっと音を立てて廊下に落ちた。その瞬間、床に転がったおむつを、芽衣に向かって足で蹴り上げた。とっさのことで避けることもできず、濡れたおむつがべちゃっと音をたてて芽衣の胸にぶつかった。蹴った拍子におむつが広がったようで、芽衣の白いセーラー服は、麦茶(?)の色がくっきりと汚れてしまった。呆然としている芽衣をよそに、廊下には予鈴のチャイムが鳴り響く。それをきっかけにおむつを蹴り上げた男の子ややじ馬たちもさって教室に戻っていった。廊下に残された芽衣は、汚れたおむつをトイレのサニタリーボックスに捨て、保健室へと向かった。「その制服どうしたの?」と養護の先生に聞かれたが、「お茶をこぼしてしまって」としか答えられない自分の弱さを呪った。

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