八日目 晴天 【無心】

八日目 晴天 


 春の心地良い風が、頬を柔く撫でていく。花弁の減った梅の木は何処か物悲しく、しかして儚さの裏に芯のある美しさを秘めていた。

 人の居ない静けさが、古来の風流で雅な情景を引き起こす糧となる。寂れた遊具が風で軋む音と共に、何時のまにか開いていた桜花が、風に揺られて舞い散るのを、碧は静かに目で追っていた。

 ここは、公園だ。碧が小さい頃、両親と頻繁に訪れていた、ただの公園だ。

 古くなった木造の遊具は、腐食と倒壊を危惧して、近いうちに取り壊される予定だったらしい。碧はこの公園のブランコでよく遊んでいた。

 それでももう、ただの公園に過ぎなかった。

 公園を抜けた先、鄙びた鉄柵沿いに続く公道。路肩に止まる無数の乗用車のうちの一つに、碧はゆっくりとした足取りで近寄った。黒塗りの外車だ。車窓から内部を覗こうとも、その運転席に人の姿は無い。鳴り続けていたはずのラジオのノイズも、既に消えて無くなっていた。ただの鉄塊に過ぎないものに成り果てたそれに、碧はもう用などなかった。

 街の景色からはすっかり、春の色が染まり始めていた。この季節が終われば何時かは、初夏の頃が始まるのだろう。艶やかな桃色を散らす桜は、青々と茂る葉桜へ。穏やかな日差しは照りつける陽光と代わり、海浜の熱砂を焦がすことだろう。春風も止んで、夏の熱風が吹き荒ぶに違いない。

 季節の移り変わり。やがて葉も色づき、秋が来て、夜は虫の音に耳を澄ませる。葉が落ちて生身の枝が露出すれば、いつかはそこに雪が積もり、銀の大木へと変わるのだ。さぞかし美麗なことだろう。

 そしてまた、春が訪れる。桜花爛漫咲き乱れ、風と共に花達が謳うのだ。きっとこの先の世界の生物構造は大きく変わるだろう。虫媒花は交配の術を失くす

 春が。出会いの季節が、もうじき──

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る