デラシネのあかし

雪ノ瀬氷

序章A - 宵闇パレード

 内側からナニカが膨れ上がって、頭蓋骨を圧迫しているようだった。眼球の奥の方で赤いものが弾けている。突き動かされるように足が動いた。脳が沸騰している。目の前が揺らぐ。前頭葉が痛む。――よくよく慣れた感覚だった。でも堪えられない。堪えようとする必要性が感じられなかったし、そもそも堪えるという発想がない。だってその衝動に身を任せてしまえば、甘露のような享楽に浸れることを、知っていた。


 怒声が体を突き抜けていった。びぃんと皮膚が震えるのが心地いい。


「はら£へったボQスねこ ねす ゛みをみつけыた

あεわれ◇なねずみ ちゅうち〃ゅう泣いて逃げ出した

逃kげるねず@み かДべ穴へ

はらへ ったボスね$こおっ∀かけて 穴にか+おがはまっちまった

かしnnこいねずみ ち§ゅうとわら●◎って

ばかなボスねこ¶の目ンΔ玉にかΥみついてやったのжさ」


 うたうのは意味の破綻した不協和音。

 赤い飛沫。喚く口からは汚い唾が巻き散らかされ、次の瞬間にはその首ごと吹き飛ぶ。べったりと皮膚が熱い血潮に濡れる。その感触に哂った。脊髄から歓喜が沸き上がって、全神経が震える。血の匂い、死の匂い。神経が肌の上を走っているかのような、鋭敏な感覚。爛、と狂気に輝く瞳は野生のもの。は、は、は。漏れる吐息に哄笑こうしょうが混じる。

 背後から気炎。ぐりん、と眼が回る。大振りに振り回された斧は体に触れることもなく、あっさりと懐へと潜り込めた。唇を湿らせる。見上げた先には驚愕に見開かれた瞳――怯えが混じるが、もう遅い。剣を振るえば、でっぷりと膨れた腹が両断された。噴き出す血、溢れ出る腸。豆腐を切るように滑らかに、骨まで断たれ、剥き出しになる綺麗な断面。


 怒号。絶叫。呻き声。悲鳴。音が、まるで鼓行パレードの音楽のように心地よく響く。ぞわぞわと背筋を這い上がる興奮。それは、歓喜の熱い岩漿マグマに叩き落とされたような。

(もっと、)

 もっと聴いていたい。もっと浴びていたい。恐怖を、戦慄を、阿諛追従あゆついしょうを、無様極まりない断末魔を。客の要望リクエストには応えるべきだろうが、劇団員。拍手喝采ならいくらでも浴びせてやるから。


 逃がさない。

 逃がさない。

 逃がさない。


 お前はまだ生きてるだろう。

 生きてるんだから、まだ死ねるだろう?

 まだ、俺に殺されることができるよなぁ?


 頭部をはねた。首をはねた。上半身と下半身をバラバラにした。心臓を串刺しに。肺を一突き。腸を裂いて。喉骨を踏み砕いて。口腔から脳を貫通。

 血飛沫。血の匂い。鉄錆の味。重い肉の塊が倒れる音。濁声の混じった呼吸がだんだんと弱くなり、やがて消える。動くものはもういない。自分の荒れた呼吸だけが鼓膜を打つ。まだ、興奮は醒めやらない。腹の奥でぐるぐると、消化できない感情を抱えている。腸を踏む。眼球を踏む。舌を踏む。脳みそを踏む。踏みにじる。ぶちぶちと。ぬちゃりと。


 服が血を含んで重たかった。でも疲労はなく、心は軽やかで、――でも足りない。


「は、はは、はははははっ、ふっ、く、はっ、あはぁっ、ひははははははっあはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――!!」


 殺したい。殺したい。

 まだ足りない。まだ殺し足りない。




 ヒトを、コロすのハ、キモチ、イイ、か、ラ。




 闇の中に、黒い獣。爛々と金色の瞳をかがやかせて、高らかに吼えた。

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