檜扇忠臣の八百万屠殺記

神崎 ひなた

第1話

 ――それは戦乱の世。


 淡雪あわゆきおどる、名も無き山村。家屋は崩れ去り、人はたおれ、僅かな残雪が血に染まり、東風あゆわびしく吹き抜ける、立春の日のことだった。


 檜扇忠臣ひおうぎただおみは、その村の中心で憤怒ふんぬの形相で何事かをわめきたてていた。

 一方、彼の腕に抱かれた老婆は、うなされたように何事かを呟いている。


「ああ……ああ……神様……仏様……どうか私めを極楽浄土へお連れください……」


「この大莫迦者がァァァァァァァッ!!!」


 檜扇忠臣は、いよいよ激昂げっこうした。ぐったりと項垂れる老婆を強く握りしめながら、よく響く声を中天ちゅうてんとどろかせた。


「貴様をここで見捨てるような神仏になどすがってなんになる!? 死ぬならばせめて神仏の奴隷ではなく、確固たる己を掲げて死ね!! 自らの生き様を誇りながら死ね!! 神仏になど寄らず生き抜いてきたという気概きがいを見せんか!! このまま死ねば貴様は一生、神仏のために生きて死んだのと同じだぞ! いま貴様が大層に祈りを捧げている神や、仏という連中が一体何をしたというのか!? 貴様がこうして死にゆく様をただ眺めているだけの木偶でくぼう共に、この期に及んでしがみつくとは何事か!?」


 それは激昂げきれいであり、激励げきれいであった。弱者として死んでいく命に対する彼なりの敬意であり、またそうならざるを得なかった、そう祈らざるを得なかった、弱い人間に対する、神々への憤りでもあった。

 そんな彼の心中を知ってか知らずか、老婆はただゆるやかに微笑みを浮かべるだけだった。


「神よ……どうか……どうかこの子にだけは……幸せな……」


 そう言い残して、老婆はがくりと項垂れた。それからもう、何も言わなかった。

 忠臣は、歯を食いしばって喚いた。


「よりにもよって……今わの際に残す言葉が……神に向けての言葉かァァァァァァァ!!!!!」


 彼は怒号と共に、己が腰に提げた一振りの刀を力任せに振りぬいた。閃いた軌跡が空を舞ったかと思うと、この世ならざる歪な金切り音が響いた。かと思えば、倒壊した家屋が二つに割れた。そのようにして彼は、眼の行き届くすべての家屋、その残骸を薙ぎ倒した。


 それでも怒りは未だ収まらず、肩を震わせながら喚いた。


「なぜ人は人として死ねぬのだ! なぜこのような下らぬ、なんの意味もない、価値もない、何もできない神仏に、己が信念を乗っ取られなければ生きられぬ! 死ぬことすらもできぬ! 弱きものは寝ても覚めても祈ることしかできない! 弱きものは神仏のために生まれて神仏のために死ぬようなものだ! 信じる者は巣食われるとは全くよく言ったものだ! 神仏などという虚構に支配されるだけの人生ぞ! ならば人の意志はどこにある!? 人として生まれてきたことに一体なんの、何の意味があるというのだ!」


 彼は慟哭した。血を吐きながらもなお慟哭した。とうに喉は潰れているのに、それでも彼は叫ばずにいられなかった。


「ゲハッ、ゲハッ、ゲファ……フン! よかろう。信じるものが巣食われるのが世の理ならば――余が、この世に蔓延るすべての信仰を殺そうではないか」


 そうして初めて弱きものは人として、初めて己を生きることが出来るのだろう――檜扇忠臣ひおうぎただおみの目に、仄暗い光が灯る。


 そう、この時だ。この時――檜扇ひおうぎ忠臣ただおみは、漠然と抱いていた疑問を初めて信条として掲げた。そして決意した。

 必ずや、この世に蔓延る信仰の全てを駆逐せしめんと。彼の瞳からは、その決意の強さを物語るように、大河のごとき血涙があふれ出していた。それは、自らの決意が遅きに失したばかりに死んでいった、弱き者たちに向けた追悼であった。



 ――それは戦乱の世。


 かつて小さな山村があった場所で、


 かつて母だった亡骸を抱えた男が、


八百万やおよろず屠殺ほうさつすべし」と呟いた。

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