第2話 文例集には需要あり

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 いと誉れ高き、王国の柱石にして人の世の範たる徳高き_________ 様。

 

 杏の花が夕霞のように山の端を彩るころとなりました、お変わりなくお過ごしでしょうか。

 先ごろご案内いたしましたところの私ども、すなわちビスヴィー侯爵長女エルマ・シュトレンとホイル伯爵三男ジェラルド・ホイルとの婚礼に、ご列席の快諾を頂きましたることにまずは改めて心よりの感謝を申し上げます。

 そして、この婚姻において新たに出来いたしました事情についての釈明と謝罪を、ここに謹んで述べるものであります。

 

 約束されたる新郎であるジェラルド・ホイルには、この婚約が結ばれるよりも以前から、曇りなき情愛によってつなぎ合わされた唯一無二の伴侶たるべき女性がありました。不幸にしてシュトレン家の側はこの事実を知らず、また子女の幸福を願う全くの善意から、花婿の身辺にかかる障害がありうることを念慮の外に置き、十全なる調査を怠っておりました――そう申さざるをえません。

 

 上記の事由を持ちまして、私共並びに両家はこの婚約を白紙に差し戻して解消し、ご来臨を願いましたる貴顕の皆様方に婚礼の中止をお伝えするものであります――


 

 

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「ああああもう!! 面倒くさい」

 

 エルマは途中までしたためた書簡用羊皮紙を放り投げかけて、辛うじてそれを思いとどまった。

 青天の霹靂としか言いようのないジェラルドの告白から数時間、やっとのことでどうにかそれらしい断り状の文面をまとめ上げ、手本を一枚づつ書き上げて、二人がかりで断り状の量産に移ったところだ。彼女はそのまま勢いよく席を立った。

 

 ダン!!

 とばっちりを受けたのは書斎に置かれたモミ材の華奢な文机である。使い古しの鵞ペンがペン立てごと横倒しになり、空になった古いインク壺が一インチほど跳びあがる。

 だがいま作業をしているのは書斎中央に置かれた長テーブルの上であり、エルマの腹いせは状況に何のダメージも与えないで済むのだった。

 

「ああ、エルマ、エルマ。落ち着いて、大丈夫です。私は一枚なんとか二十分で仕上げられる……貴女の分も引き受けられますから」


 おめえ、ついさっき「エルマ」呼びを断ったやろうが――エルマの胸の内で、メイド頭のキャサリンから伝染った王都市街のベックリー訛りが渦を巻いた。


(あらいやだ、あたくしとしたことが!)


 そこへ、ドアの外からどたばたとけたたましい足音がした。そこそこの重さの物が床の上に叩きつけられたような、鈍い響きがそれに続く。

 

 ――モゴッ…な、何なんですか! ここはいったいどこです? なんで私、連れて来られてるんですか!?

 

 マホガニーの分厚いドアがバァンと音を立てて開かれ、口元にさるぐつわの跡があるのを別にすればこぎれいな身なりの少女が現れた。彼女はジェラルドを見つけるとものすごい剣幕で彼に詰め寄ったものだ。 

「ジェラルド様!? これは……説明をお願いします!!」


「他人の家でそんなに大声で騒ぐものではございませんでしてよ、ロザリンド・ホートン様」


 エルマが大貴族令嬢の貫禄と身から発するオーラを完全解放してロザリンドに対峙した。気押された少女がズッ、と一歩下がる。

 

「あなたをここへ呼んだのは、私とジェラルドです。貴女にはもちろん何の恨みもありませんし、お二人の恋は心から祝福したく思っているのですよ。でも……」


「でも――?」


 オウム返しに訊き返すロザリンドの頬を、大粒の汗が伝い落ちた。

 

「後始末だけはきっちり手伝っていただきますからね」


 高らかに宣言するエルマだった。


 

         * * * * * * *

         

「ロザリンド様。今何通目を?」


「えっと、これで二十通目ですね」


「もう少し、速度を」


「はい……」


 ロザリンドがどんよりとした表情で、親指と人差し指の間をぐいぐいと揉んだ。

 鵞ペンは繊細な筆記具である。定期的にナイフでペン先を作り直さなければすぐに書けなくなってしまうし、羽根の軸をそのまま握る構造上、手が非常に疲れるのだ。

 エルマよりも筆記に慣れていないはずのジェラルドが一通あたり二十分の速度を維持できるのも、彼の末端まで鍛えられた筋肉組織と腱の健全さゆえであった。

 

 ロザリンドはと言えば、役に立ってはいるが速度はエルマにやや劣る。徐々に早くなってきているのでそこは褒められても良いところだったろう。

  

「それにしても……さすがは一流の教育を受けられた方々の文章は違いますね。これ、まさかこの一件きりで反古にしたりしませんよね?」


「手が止まっておいでですよ、ロザリンド様。で、それはどういう意味なのかしら」


 訝し気な顔をするエルマを、ロザリンドは少し苛立ちをにじませた表情で見つめた。こういうことに何の着想も湧かないなんて、やんごとない方々の頭の中はどうなってるのだろう?


「あのですねえ……商売になりますよ、これ」


「商売に?」


「貴族の方々の間ではどうかわかりませんけれど……私たち平民の結婚はですね、急に親が死んだり、荷を満載した船が沈んだりとかで、延期や中止が珍しい事じゃないんです」


「そうなのですか」


「ええ……ですからね、そのたびにこういう文面は、公証人や代書人にお高い料金を払ったり、読み書きのできるものが必死で頭ひねったりしますけど。その、できばえの方は必ずしも」


 だから、ありそうな事例ごとに文面のひな型を作っておけば。そういうものを集めて本を編み、「文例集」とでもいったものを売りだせば。

 必ずや儲けられるだろう、とロザリンドは踏んだのであった。

 

「これ済んだら、私このひな型を頂きたいです」


「……なんて虫のいいことを。いいですか、その文章をひねりだしたのは私とジェラルドの共同作業です。いわば二人の作品ですし、それをまとめるために必要な教養と常識は、私たちが生まれてこの方十数年の貴族としての生活と修養によって培ったものですよ。差し上げるなんてとんでもない」


「えー。で、では買い上げで……「笑止!!」


 エルマが間髪入れずにさえぎった。

 

「その本を出す計画に、私たちを参画さ噛ませなさい。歩合は後で決めるとして、文面一つの作成につき、都度ふさわしい稿料を。本が売れるごとにその売り上げの一部を分配することを要求します」


「ひええ……しっかりしていらっしゃることですね……」


 ため息をつきながら再び作業に戻るロザリンド。三人がカリカリとペンを走らせる音だけが書斎に響き――その静寂が、不意に来訪者を告げる呼び鈴で破られた。

 

 はずみで、エルマが取り組んでいた羊皮紙にインクのしずくがぼたりと落ち、大きなシミを作った――

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