扁平教室

九谷康夫

第1話 扁平教室・第1回前半

                 1

 俺の名前は橘和歌士(たちばなわかお)、ごく平凡な男子高校生だ。大都市郊外の共学校1年生。

 今は昼下がりで、校内の中庭で全校集会の最中。お定まりの校長の話に、周囲のクラスメイトたちもあくびを噛み殺している。

 立っているほかには何もできず、せめて空でも見ようと顔を上げたところ、風に舞う白いものが視界に入った。五月の青空にはとても目立つ。何なのか目を凝らすと、

 (パ、パンティ?)

 そう、主に女性が下半身につけるあれだ。洗濯物が風に乗って飛んできたのかな、と思っていたら、

 ふいに、風が強く吹いてきた。

 パンティが風に乗って、一枚また一枚と飛んでくる。俺以外にも気づいた生徒がいたのか、周囲がざわつきはじめた。

 「おい、あ、あれは」

 誰かが指差した先では―

 その場にいた女子生徒全員のスカートが、強風のせいでめくれていた。一瞬固まってから、絶叫した。

 「いやあああああ!」

 「うおおおおおお!」

 男子生徒たちが歓声を上げ、女生徒の叫びと混じりあう。中庭は大騒ぎになった。

 その瞬間にも空を舞うパンティは増え続ける。白いのだけではなく、ピンクや水色、ごくわずかではあったが、赤や黒まで。

 立ちつくす俺の視界に、上からさらにおおいかぶさってきたのは、色とりどりのパンティに包まれた―

 「きゃっ!」

 「ふごっ!」

 俺は柔らかくて温かい何かに押しつぶされ、倒れこんだ。

 「て、天使?」

 「わたしのことそう思ってくれてたんだ」

 隣の家に住む清水奈実子―俺とはいわゆる、幼なじみという関係だ。


                    2


 全校集会が大騒ぎになった日から、一ヶ月前。まだ四月、始業式から何日もたたない春の日。

 朝、俺が登校の準備をしていると。

 「おはよう」


 窓から見ると、奈実子が手を振っていた。家が隣なので、昔からよく知っている。いわゆる幼なじみというやつだ。

 「おはよう」

 「おはよう、わたし、お弁当を作ってきたんだ」

 「マジで?ありがとう」

 「お父さんたちが海外で、いろいろ大変だろうから」

 「ありがたいよ、俺、あまり料理はしたことなかったから」

 以前にも、奈実子は料理のおすそ分けをしてくれたことがあった。でも、弁当を作ってくれたのは初めてだ。

 「気にしないで。今朝はたまたま早く目が覚めたから―早く行こっ、きゃ」

 と、言っていたのにつまづいた。

 俺は奈実子の手を掴んで支えた。

 「大丈夫か」

 「うん、平気」

 「奈実子は昔から、しっかりしているかと思えば抜けてるとこがあったよな」

 「そしてきみは、ぼんやりしているようで、どこか鋭いところがあったよね」

 「ぼんやりは余計だ」

 そのときふと思った。

 「俺たち、いつまでこうしていられるかな」

 きっとどこかで、変わっていかなきゃいけないのだろう。

 「何か言った?」

 「何にも―さっ、行くぞ」

 桜が散りかけている道を、俺たちは歩いていく。


 奈実子と一緒に通学した、四月の放課後のこと。

 俺‐橘和歌士‐は、ホウキとチリトリと雑巾を手に、神社へ向かった。学校の敷地の隅にあり、学校の一部となっている。なお校舎から神社の境内までは、一旦外の道路へ出て数分歩かなければならない。来るだけで面倒だというのに、なんでこんなところの掃除をしないといけないのかね、などと思ってしまう。何でも学校の創立者が信仰していたとかいう話で、一年生は日直の義務として全員が掃除をやらされる。

ということは、春休み以降最初の当番になった俺が面倒な役になったわけか…

などと考えつつも、俺は作業を続けた。落ち葉をホウキで集め、古ぼけたお宮は雑巾でホコリを落とし、

 「どうだ、少しはマシになっただろう」

 なぜか強がってしまった、瞬間‐

 お宮が光り輝き、巫女の格好をした女性が現れた。

 「掃除をしてくれてありがとうございました。お礼として、現実世界にいながら。

 二次元世界のようなイベントを体験できるようにしてあげましょう」


 俺は言葉を返せなかった。

 「ちょっと待ってくれ、いや、神様だから、待ってください、か」

 さすが神様だけあって、俺のうろたえぶりを気にせずに

 「あら、何かありますでしょうか」

 「二次元世界のようなイベント、っていうのは」

 神様は微笑んで、

 「それはお楽しみです」

 「お楽しみ?」

 「はい、あなたが今までどおりに生活していくことで、自然に分かってきます」

 神様は脇に目をやる‐俺もつられて視線を動かす‐と、犬のような耳としっぽをした少女が現れた。

 「この子はわたしの眷属で、タマと申します」

 少女が待ってました、とばかりに一歩前に出て、胸を張って話はじめた。

 「そもそもわたしはこちらの妹姫の眷属にして、正確には名前を…おいお前、耳を

 触るなっ!」

 タマは俺の胸くらいまでしか背丈がなく、俺の目の前にふさふさした耳が動いているので、つい触ってしまった。

 「わたしは耳を触られるのが苦手なのじゃ…そもそもわたしの名は」

 おお、しっぽは耳以上に触りごこちがいいぞ。

 「耳を触るなって言われたから、しっぽならいいかと思った」

 「耳もしっぽも触るなっ!‐お前というやつはいつもそんなに鈍感なのか、近くに

 いるものは災難じゃな」

 神様は俺とタマを見回し、

 「ではタマ、お願いします。ただしイベントをどう使うかは、あなた次第ですよ」

 こうして俺は神様から二次元世界のようなイベントが起きる能力をもらい、それと

 ともにタマが家にやってきたのだ。


                    3

 次の日。


 「おはよう和歌士」奈実子が迎えにきた。

 「うおーい」かろうじて玄関から出てきた俺に、

 「おはよう、今日は三人だね」奈実子が笑顔で言った。

 「三人?」驚いた俺が横を見ると、

 「はじめまして奈実子どの、わたしは妹神の眷属。名をタマともうす」

 「あ、はじめまして。わたしは清水奈実子です。和歌士の幼なじみです」

 「そうか、よろしくお願いもうしあげる。幼なじみとはいいことじゃな」

 「えへへ、ありがとうございます」いつの間にかタマと奈実子がなじんでいた。

 「昔から和歌士は手がかかって」

 「そうじゃろそうじゃろ、いくら妹姫さまの命令とはいえ、こやつのような鈍感で

 は苦労が絶えぬ」

 「待ってくれタマ、俺が鈍感というのは」

 「こういうところじゃ」

 「こういうところなんです」

 二人の話に割り込めない。

 「でも和歌士は、いざというときは頼りになるんです」奈実子が一瞬、目を伏せた

 気がした。

 「たとえば、あんなことがあったら和歌士は放っておけないところがあって」

 見ると道端には、子猫が入った段ボール箱が置かれていた。箱には『拾ってください』とある。

 「放っておけないといってもだな、今は授業が」

 「わたしは妹姫様の使いじゃからな、行いの良いものには良いことを、良くないも

 のにはそれなりのことを起こすようにしておる」

『良いこと』はともかく、奈実子の期待するような視線に、俺は弱っていたが、

 「お前ら、早くしないと遅刻にするぞ」

 一見するとスポーツマンらしい男が、俺たちにからんできた。学校にも行かずにそこらへんにたむろしているチンピラ―ならよかったのだが、

 「十道先生、おはようございます―でもあの子が」

 不幸なことに、こいつ―十道浩は、俺たちの高校の教員なのだ。体育の担当で、どういう奴かは言いたくない―それだけで説明は十分だろう。

 「こちらが何とかする」

 てっきり『猫一匹なんぞ死んでもいい』とか言うのかと思ったが。

 「本当に助けてくれるんですか」たとえ十道相手とはいえ、奈実子は口答えをするような性格じゃない。それだけに、俺は奈実子のことが気になった。

 「ああ、校長にでもPTAにでも訴えてくれ」やつが譲歩するのを見たのは初めてだ。

 「奈実子、何かあったのか」門を入ってからきいてみた。

 「何もないよ―そうだ、私、体育委員の仕事があったから、先に行くね」

 そういえば奈実子は体育委員だったっけ。仕事柄十道と接する機会は多いから、さっきみたいな無理も言えたのか。

 「さあ、早く教室に入ろうではないか」

 いつの間にかタマがついてきていた。

 「よく十道に止められなかったな」

 「それなら大丈夫じゃ―わけならすぐ話す」


                     4


 「では男子から―上原くん、内田くん、大西くん―」

 教室では綾辺先生が出欠をとっている。先生は俺たちのクラス担任だ。新任教師で身長が150センチほどなので、ちょっと見には女子学生と区別できない。おかげで一部の男子や女子には人気だという噂だ。

 「―橘くん」

 「はい」なぜかタマが手を挙げた。

 「はい、出席ですね」なぜか先生もスルーしている。

 「先生、橘は俺です」

 「そうでしたね、あなたは」

 「同じ橘ではまぎらわしいから、タマと呼んでほしいのじゃ」

 「ではタマさんは女子学生ということで、この後に出席をとりますから、そのとき

 に返事をしてくださいね」

 「ありがとうございます、失礼しましたなのじゃ」

 「おいタマ、いつの間にうちの生徒になってるんだ」

 「たった今に決まっておろう」タマが答えた。

 「今生徒になったといったって、先生が認めないだろ」

 「あら、橘タマさんはうちのクラスの生徒ですよ」先生までが当然のようにしている。

 俺は口ごもってしまった。助けを求めて教室中を見回したが、クラスメイトたちの表情も先生と変わらない。

 「いえ、何でもありません。ちょっと寝ぼけただけです」俺の返事で教室は静かになった。タマを勝手に連れてきたと騒がれたいわけじゃない。

 「これが妹姫様の神通力なのじゃ」タマが俺に耳打ちした。

 落ちモノ―現代の日常に宇宙人や神様のような異分子が現れ、主人公や周囲の人々が振り回されることを笑う―と呼ばれるコンテンツには、異分子が当たり前に周囲に馴染んでしまうというパターンがある。神様?が言っていた「二次元世界のような出来事」が起こったということだろうか。

 「タマ、お前の力で学校に転入できたということだよな」

 「正確には妹姫様の力じゃが、まあそんなことじゃ。まあお主だけでは―」

 「あら橘さん、質問ですか?」

 「いえ、こちらのことです。おじゃましてすみませんなのじゃ」

 「何か質問があれば手を挙げてくださいね、では猫本さん、野上さん―」

 「ところで橘―タマさんの方に聞きたいんだけど」

 「わたしならタマでよい、こやつと紛らわしいからの」

 「タマさんの耳は本物なんですか?」男子の一人、鈴木が手を挙げた。

 「さよう、わたしは妹姫様の眷属で、この耳も本物じゃ」

 「神様の眷属ということは、他にも神通力を持っているんですか」たしか杉山とい

 う名前だったか、女子生徒の一人が質問した。

 「うむ、妹姫様とまではいかないが、多少はな」

 「女子が喜んで、俺たち男子にとっても美味しいことがいいな―例えば学校に温泉

 が湧くとか」これは男子の小出龍矢―お調子者で俺とは幼なじみの腐れ縁という仲だ。まあ思春期男子にありがちな、頭の中があっち方面の妄想でいっぱいなのだ。

 「おい龍矢、いくらなんでも―」

 「その程度かの?造作もない」タマが答えた次の瞬間、校内放送が流れた。

 「臨時のお知らせです、わが校内から温泉が湧きました。プールの水が暖かくなり

 ましたので数日かけて屋根と壁を造り、屋内プールとして一年中入れるようにしま

 す」

 「うおおおお!」男子連中が歓声を上げたのはいうまでもない。

 「これで一年中水着回だあ!」「生きててよかった!」「タマさんマジで神!」

 そりゃそうだろう、タマは神様の力を持っているんだから。俺は内心ツッコミを入れたが、教室の騒ぎはホームルームの間続いた。


                     5


 その日の放課後。


 俺は本来帰宅部だったが、学校の図書館で本を読んだうえ、ついでに少しばかり勉強らしきことをしたので夕方になってしまった。なおタマは学校に飽きたのか、昼前に帰ってしまった。神様の力とやらは出席日数や取得単位にまでおよぶらしく、誰にもとがめられなかったようだ。

 春とはいえ、風がまだ冷たい。

 「お、あれは」奈実子がいた。背中を丸め、うつむくように歩いている。背後まで近づいてから肩をたたく。

 「っと、和歌士か」奈実子は一瞬大きく肩を震わせ、俺だとわかると大きく息をついた。

 「奈実子、何かあったのか」

 「何でもないよ」風でスカートがめくれるのがいやなのか、奈実子は腰に手をやって、小声で答えた。

 「何でもないわけないだろ?」奈実子がこんな表情を見せたことはない

 「何でもないったら」風が強くなってきた。

 「奈実子―」

 「離して、きゃあ!」

その瞬間、突風でスカートがめくれ、俺は一瞬だが見てしまった。

 「奈実子、これは」

 「見た?―和歌士だけには見られたくなかったのに」

 「鈍感なやつじゃから」タマの言葉を思い出した。

 


                    6


 それから―タマが学校に転入し、俺が奈実子を泣かせてしまった日から数日後の朝のこと。

 「おはようさん」教室にいた龍矢に挨拶をする。

 「おはよう和歌士、いやそれどころじゃない―なあ和歌士、パンツが空を飛んでき

 たといったら信じるか?」

 「パンツだって?」俺の疑うような口調にはお構いなしに、龍矢は

 「そうそうパンツなんだ」

 「どうせくたびれた男物だろ」

 「違う違う、れっきとした女ものだ」

 「だったら婆さんかおばさんのだろ」

 「いいや、もっと若い女ものだ」

 「子供用だな」

 「違うって和歌士、正真正銘の若い女、中学生か高校生向けのデザインだ」

龍矢はスマホの画面を見せてきた。外で撮られたらしく、ややぶれた画面の中心に白い下着が写っている。

 「見ろよこれ、どこから見ても若い女の娘のものだろ」

 「そうみたいだな」

 「元はといえば数日前、先輩が部活から帰るときにパンツが飛んでくるのをみたそ

 うなんだ。その次の日のほぼ同じ時間にも見た。さらにその次の日、つまり昨日だ

 けど、先輩に誘われて行ってみたら、本当にパンツが飛んできた。そこを撮ったん

 だ」

 「それは珍しいな―ところで龍矢、パンツを写真に撮ったといったな。現物は持っ

 てないのか?」俺の言葉に、龍矢は痛いところを突かれたようだった。

 「そうそう、肝心の現物がないんだよ。写真を撮ったあとで気づいたけれど、もう

 どこかへ飛んでいった」

 「そりゃ惜しかったな」

 「なあ和歌士、毎日のようにパンツが飛んでいるなんて、めったにあることじゃな

 い」

 「その通りだ」

 「だから今日の放課後、お前も来ないか?パンツが飛んでくるところを一緒に見よ

 うぜ」

 龍矢は真剣だが、誘い文句は冗談にしか聞こえない。

 「悪い、俺は他の用事があって」

 「そんな冷たいこと言うなよ和歌士、思い出さないか、中学時代には一緒にエロ本を」

 龍矢は往生際が悪かったが、

 「とにかく俺は忙しい」とだけ答えた。


                    7


 パンツが空を舞い、奈実子が舞い降りてきた五月の一日。

 校舎の4階にある空き教室で、体育教員・十道浩(31歳)が頭を傷を負い、気を失っているのが発見された。

 奴は熱血ぶっている裏では多数の女子生徒を盗撮し脅迫していたらしい。現場の空き教室には、悪事の証拠らしきスマホとパソコン、パソコンのハードディスクが破壊されて転がっていた。誰が脅迫されていたのかはデータが復元できなかったし、誰が奴を殴ったのかもわかっていないそうだ。



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