第一話

「うますぎる……!」


 卵に醤油を加えかき混ぜたモノをご飯にかけるだけという、限りなく簡単で限りなく美味な料理の調合に成功した俺は、はふはふとおいしさを象徴するような呼吸で、口内の絶品に賛辞の言葉を表した。


 ……え? 俺? 俺か? 


 ……俺はアレだよ。この六畳半ワンルームの主だよ。


 お前のメシのことなんてどうでもいいから自己紹介をしろって?


 ……自己PRとか苦手なんだけどなぁ。


 …………


 分かったよ。めんどくせーな。


 俺の名前は戸山秋色とやまあきいろだ。アキヒロではない。アキイロだ。ちょっと変わった名前だろう? 呼びにくかったら『お兄ちゃん』でもいいよ。あ、年下の女の子限定でね。


 切っても切ってもすぐに伸びる前髪が目に入ってくるので最近は伊達メガネをしている。フチの色も黒、赤、紺といつの間にか種類が集まったモンだ。所謂オシャレメガネというヤツだな。


 ちなみに視力に全く問題はない。コレがないとギャルゲーの主人公みたいになっちゃうんだよ。


 この微妙な癖毛とも長い付き合いだ。昔はコンプレックスもあって、何とかストレートにしようと躍起になっていたが、今ではもう諦めて共存してる感じだ。


 ……そんな癖毛で前髪の長い俺でもそこそこモテた時期があったんだぜ?


 ちなみに、俺の顔のレベルについては周りの友人達曰く『ブサイクじゃないけどイケメンでもないよねー』らしい。ふん、イケメンの基準値など知らんが、ヤツらは分かっていないな。


 俺が本気になったら周りの女、独占しちゃうぜ? そうなったら友人関係が色々と複雑になるだろうからそうしないでやってるだけだ。


 そう、あくまで周りの友人達曰くイケメンでない俺が(あくまで友人達曰くね)モテたと言うのは何故かと言うと、まあ趣味であり特技であると言うべきか、好きでやっていた趣味が、どういうワケだか、ソレなりに他人に比べ優れていたと言うべきか。


 俺はバンドをやっていたんだ。


 ……歌うのが本当に、本当に好きだったんだ。というか今でも好きだ。歌うのが好きって言ってる時点で俺のパートと立ち位置は窺い知れよう。


 もちろん周りの連中より優れていたと言っても、俺なんかより歌が上手い人間は腐るほどいる。そんなことは分かっていたさ。自分が世界で一番だなんて思えるほどに傲慢じゃない。


 でも……ソレでも俺はそのバンドメンバー達と音楽で食っていける様になることを目標にしていた。まあ、プロを目指していたってヤツだな。


 ……青臭い夢を追いかけてたんだな、って笑わないで欲しいな。自覚してる。


 あと、こんなことを語る俺の複雑な胸中も察していただければ甚だ幸いである。だから言い回しが拙くなっちまうのにもご寛恕かんじょたまわりたいね。


 はぁ……まあ、アレだ。こんな六畳半でたまごかけご飯を食ってる時点で分かると思うが、その夢は実らなかったワケだ。


 人間生きてりゃ色々あるよ。むしろ色々ない方がおかしい。親が身体を壊して家計を背負わなくてはならなくなったり、恋人に子供が出来て、結婚を余儀なくされたり、な。


 そういった理由で一緒に走ってきたメンバーが足を止めざるを得なくなった時、どういうワケだか俺の頭には『他のメンバーを探して走り続けよう』という選択肢は浮かばなかったんだ。


 本当にその道で成功したいのならそうするべきだろうと周りから言われたし、俺自身もそう思う。


 けど青い話だが俺は俺個人の力より『そのメンバーが一緒にいて初めて発揮できる力』を拠りどころにしていたんだ。


 ……いや、違うな。自信がなかったんだ。俺個人の力に。


 ……ソレからは何をしても宙ぶらりん。夢を失くして情熱も失ってしまった俺は、フリーター生活中だ。やりたいことが見つからないんだな。この歳にして。


 ……ん、何? さっきから『昔は』とか『この歳にして』とか言ってるけどお前は今いくつなんだって?


 ……まあ、アレだ。そんなことはどうでもいいじゃないか。


 ……あ、電話だ。ちょっと待っててくれ。げふん。


「はい、もしもし」


 俺は携帯電話を手に取り、聴いた者を魅了せずにはいられない美声で語りかけた。


「お~、秋か? 何キモい声出してんだよ」


 が、あいにく電話の相手は俺の美声のよさが分からない輩だった。


「その声は宗二だな」


 電話の相手は俺と小学校来の付き合いである井上宗二いのうえそうじだった。


「その声って……ケータイ見りゃ分かるだろ?」


「あー、ちょっと慌てて出たから見てなかった。何か用?」


「いや最近全然遊んでなかったから、メシでも行こうかと思ってさ」


 相変わらずマメというか友達思いなヤツだ。


「……おごり?」


「いやおごらねーよ? そうやって甘やかすといつまで経っても秋は就職しねーからな」


「ちっ。じゃあ行かね。ソレに何を隠そう今俺は食事中なのだ」


「どうせアレだろ? たまごかけご飯」


「あたり」


「秋……。いい加減野菜食わないとお前マジで死ぬぞ?」


 そして世話焼きなんだこいつは。


「ほっとけ。卵は世界最強の食材だぞ! あらゆる調味料に合わせてその姿を変える……まあいいや。メシなら彼女と行って来なさいよ。今日を何月何日だと思ってんだ」


 そう、こいつはもう十年以上付き合ってる彼女がいるんだ。


「ん~、そうするわ。秋もこんな日に独りなんて気の毒だな……ぷぷっ。早く彼女作れよ! ま、フリーターにゃ無理か! だはははは!」


「うるせっ! 早く切れ」


「じゃ、ハロワ行けよ! 二十五歳にもなって職なし彼女なしのど――」


 ――切。


「……ふう」


 ……あ、お待たせ。ただいま。


 ……聞いてた? ……よな。


 ちっくしょうあの野郎まとめてバラしていきやがって! ああそうだよ! 二十五だよ! そのくせ職もなきゃ彼女もいねえよドちくしょう!


 そんな俺に比べて宗二はイケメン、職あり、十年以上ラブラブな彼女までいるさ! だからってワケじゃないがちょっと引け目を感じるというか、劣等感みたいなモンもある。


 情けないついでに言っちゃうと、今のバイト先の居酒屋でも貢献できてるか自信がない。もしかすると同僚や後輩達にすら『こいつ使えねぇ』と思われてるんじゃないかと思うと死にたくなる。


 だったらなおさらさっさと就職しろ。とお思いでしょうが、ナカナカやりたい仕事が見つからないんだよ。


 いやぁ、『世の中自分のやりたい仕事出来てるヤツなんてほとんどいねぇよ』とは散々宗二とかに言われてるんだけどさ。


 ……ソレでも、俺は少しでも自分の好きなことをして生きたい、という思いを捨てきれないでいるんだ。


 かと言って好きなことを仕事にする為に何か努力をしているのか? と言われると、答えはノー、だろうな……。


 言うなれば今の俺は夢破れてもソレを諦めきれず、かと言って何も出来ない……『ただ生きてしまってるから延命してるだけ』の状態だ。


 おまけに! 今日は俺みたいな人間がイッソー死にたくなる日なんです! 


 さあ何の日でしょーか? ヒントは翌日が誕生日であるはずの主役キリストのことをガン無視して恋人達が合体するダシに使われる性なる日です! あとフライドチキンの日!


 ……そうだよばかやろー。今日はクリスマスイブなんだよこのやろー。


 何だよイブって。他人の誕生日の前日がなんだっつーんだよ。この日だけキリスト教に宗旨変えかよ。


 あぁ気に入らない。あの『Christmas』を『X’s mas』って表記するのも気に入らない。アレか、あのXは交わる恋人達を表しているのかコラ。


 そんな日に見栄張ってついバイトを休みにしちゃった俺も死んだらいいと思います!


 こんな日に独り身の俺は何をすればいいんだろう……ヒマだ。


 あ……ナニすりゃいんじゃん。おーし。堕ちるところまで堕ちてやる!


「俺だけのホワイトクリスマスにしてやるぜぇぇええ!!」


 そう言って俺がDVDのリモコンを掴んで勢いよくズボンに手を掛けたその時だった。


 ピンポーン、と来客を告げるインターホンのチャイムが鳴り響いた。


 あんっだよこんな時に! すでにアレなとこがアレな状態になってるのに!


「はい? どちらさま!?」


 俺は玄関に向けて早足で歩き、憤りに任せ、覗き穴も確かめずに勢いよくドアを開けた。


 瞬間――


 ガンっ!


「いぎゃっ!」


 ――そんな声がして何かがドアの前の地面に転がった。


「え……」


 俺は地面に転がったモノに目を向けた。


 モノっていうか、人だ。どうやら俺が開け放ったドアにぶつかってしまったらしい。


「す、すみません、大丈夫で――」


 そこまで言いかけて俺は絶句した。


 目の前で尻餅をついているのは女性だった。


 しかも……外人? ショートと言うには少し長い髪の毛が灰色だ。銀髪か? アッシュブロンドってヤツだろうか? 頭のてっぺんから、アレだ。いわゆるアホ毛ってヤツがぴょん、と雪解け時の兎の様に撥ねている。


「いっっっったぁ~……」


 銀髪女が顔を歪ませてる。歪む唇の隙間から健康そうな白い八重歯が見えた。


 ……が、俺が絶句した理由とソレらは関係ない。銀髪だか灰色だかに染めた髪や八重歯っ子など最近の若者には珍しくも何ともない。アニメの世界では普通に存在するモンだ。


 そして彼女は黒い女性用のスーツを着ていた。こんな寒い日にコートもなしで、スカートからストッキングを穿いた脚が見えるだけだ。そう、大きく左右に広げられた脚が。


 繰り返すが彼女はスカートとストッキングを穿いて、尻餅をついていた。両脚を大きく左右に広げて。つまりだ、男のロマン、ストッキング越しのパンツが……!


「み、見えてる……」


 俺はそう呟き、夢遊病者の様に彼女にふらふらと歩み寄った。もっと、もっと近くで!


「な……」


「な?」


 そう言って顔を俺に向けたパンツ女は、目が碧かった。マジで外人? いやでも今時カラーコンタクトなんて珍しくも何ともない。アニメの世界では――


「何しやがるですかっ!」


「――あひゅっ!」


 多分俺だけに聞こえた『ずんっ!』って音と共に、殺人級の衝撃と痛みが股間に走った。パンツ女が座り込んだまま俺の股座を蹴り上げたのだ。


「見えてる、ぢゃねーですよ!」


 股間にダメージを負った男の例に漏れず、俺は前屈みのポーズで後ずさる。何とか視線を上げると、素早く立ち上がったパンツ女が、右腕を思いっきり振りかぶっているところだった。


 ぐしゃ!


 俺に聞こえたのはそんな鈍い音だった。何が見えたって? 何も見えてねーよ。視界はブラックアウトしてたんだから。覚えてるのは顔面のど真ん中に固いモンがぶち込まれた感触くらいだ。


 おまけに、この後意識までブラックアウトしちゃったんだから。




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