夫妻ふさい農場のうじょうを経営していた。穀物こくもつ果樹かじゅ畜産ちくさん手広てびろく商売をしていた。先祖せんぞ代々だいだいより受けいだ農場のうじょうを、少しでも大きくするのがおっとの夢だった。夫人ふじんの生き甲斐がいは、おっとの夢をささえることだった。


 おっとは若い頃、大病たいびょうおかされた。一時いちじは命さえあやぶまれたが、奇跡的きせきてきに回復し、今では人並み以上に精力的に働けるまでになっていた。その際も夫人は献身的けんしんてきおっとささえた。困難こんなんを共にした夫婦ふうふきずなは固かった。


 そんな夫妻ふさいには現在、大きな悩みも心配事もなかった。少しの懸念けねんといえば、娘がいつまでも結婚をしないことくらいだった。娘はかみなりのようにうつで、ボーイフレンドやフィアンセを、作ってはてを繰り返していた。 

 しかし、夫妻ふさいあきれながらも悪い気はしていないのだった。娘の愛嬌あいきょうせるわざだと鼻を高くしていた。懸念けねんではあれど、娘に忠告ちゅうこくするでもなく、好きにさせていた。


 関係が切れる、すなわちこれ即座そくざ履行りこうされるもの、夫妻ふさいはそう考えていた。関係が終了し、しかしそれを認めずに異議いぎを申し立てるもの、そういう者は分からず屋の腰抜けだと。自分たちの考えに固執こしつしすぎるのは、人を盲目もうもくにする。人をかためることなどしてできないのだ。それでなくとも人はときにす。関係の糸が切れ、心に穴をける者もいるし、なにかの拍子ひょうしにその穴におにう者もいる。悪魔もおにも、人知じんちはかることなどできはしないのだ。




 ある時、夫妻ふさいのいう所の分からず屋の腰抜けの手によって、娘は殺された。頭をピストルで撃ち抜かれ、分からず屋を越えるまったくの無理解むりかいになったのだ。

 娘にしてみれば、現状げんじょうは誰とも付き合いはなく、おのれは自由人だった。愛はめていて、すでに過去の思い出。いたあとやしのようなもの。


 ことの始まりは街の酒場での喧嘩けんかだった。娘に振られた元恋人と、すぐさま娘に告白しその答えを保留ほりゅうされている男。どちらの男も、ボーイフレンド気取りだった。すでに、あるいはいまだに。

 二人の男は酒場を無茶苦茶めちゃくちゃにして追い出された農場のうじょうに乗り込み、娘をまじえて口論こうろんを始めた。そしてその末、娘は撃ち殺された。

 元恋人がふところからピストルを抜き出し、娘に言い寄る男に一発目、すぐさま娘に二発目、そして銃口をくわえ三発目。


 夫妻ふさいは哀しみに暮れた。仕事に手がつかず、これさいわいと従業員じゅうぎょういんじょうじてなまけ、農場のうじょうれていった。


 夫妻ふさいいかりはなかった。あの二人の男は娘となんの関係もないからだ。今までも、これからも関係ない。娘の死だけが哀しかった。夢は夢でなくなり、日々の仕事をわずらわしく感じるようになった。娘のいないのが不思議でならなかった。娘との楽しい思い出が、現状とつながらない。いつしか娘の非存在だけが、夫妻ふさいのすべてになった。

 蘇生そせい復活ふっかつ輪廻りんね降臨こうりん憑依ひょうい夫妻ふさいの会話にそのような言葉が増えていった。段々と加速度的かそくどてきに。

 そんな最中さなか夫妻ふさいはある出来事を思い出した。




 時間は巻き戻り、それは一年も前の事だ。

 農場のうじょうの土地が足りなくなり、街で土地の購入こうにゅうの手続きや挨拶あいさつ回りをした帰り道。せっかく街まで来たのだからと、夫妻ふさいは市長に挨拶あいさつをすることにした。

 急な訪問ほうもんで驚いてはいたが、市長はこころよ夫妻ふさいを自宅にまねき入れた。農場のうじょうは街の経済の大きなはしらだったために、市長は夫妻ふさいに頭が上がらないのだ。


 夫妻ふさいの前に来客らいきゃくがあったらしく、まねき入れられた部屋には一人の男が座っていた。その男は夫妻ふさいを見ると、「そろそろおいとま致します」と言い、立ち去ろうとした。夫妻ふさい夫妻ふさいで、「邪魔じゃましては悪い、出直す」と言い、帰ろうとした。市長は、そのどちらもなだめ座らせた。


 男は背が高くせていた。聞くと行商人ぎょうしょうにんらしく、毎年秋になると市長の元をおとずれているのだという。顔は若そうに見えた。しかし、白髪しらがじりで、声はかすれて力がなかった。年齢は見当けんとうがつかなかった。男はなにもないときには目に微笑びしょうをたたえていた。しかし反対に、笑顔を浮かべると目だけが笑っていなかった。


「君はどういったものあつかっているのかね?」


 おっとは男にたずねた。


手広てびろく、やらせていただいています」


 男は微笑ほほえみを顔にりつかせた。沈黙ちんもくも流れる時間も気にせず、男は微動びどうだにしない。目蓋まぶたを少しも動かさず、まっすぐ夫妻ふさいたちを見ていた。


「……手広てびろくというと、具体的ぐたいてきには?」


 しびれを切らしおっとたずねた。


「長くなりますが構いませんか?」


「ああ、構わんよ」


 おっとがそう言うと、男は真剣な表情を浮かべた。目だけが奇妙きみょうに笑う。

 男は宣言せんげん通り、あつかっている商品をすべて説明し始めた。一つ一つ丁寧ていねいに、じっくりと時間を掛けて。わざとやっているのではと思うほど、執拗しつような説明だった。構わないと言った手前てまえだまって男の話を聞き続けるしかなかった。市長が、咳払せきばらいしようが時計とけいを見ようが、男はにもかいさずしゃべり続けた。

 おっとが聞きづかれ、なかば話を聞き流し始めた時、男はみょうなことを話し始めた。


「今、なんと?」


 おっとは話を理解できず、そうたずねた。


「ですから、持ち主の願いをかなえるという代物しろものです」


「願いを?」


「ええ、三つだけかなえるとのうわさです」


うわさとは曖昧あいまいだな。で、その代物しろものとは?」


「はい、こちらになります」


 そう言うと男は、大きなかばんから、大人の人間の頭ほどの大きさの、ガラスケースを取り出した。なかには動物の屍骸しがいのようなものが、赤い布のしとねに寝かされていた。


「こ、これは?」


「はい。人間の胎児たいじ剥製はくせいになります」


 男はこともなげに言った。

 おっと夫人ふじんも息をみ、言葉をうしなった。


「これが、いつ頃のものなのか、どういった経緯けいいがあるものなのかというのは、分かっておりません」


 おっとはガラスケースをのぞき見た。人間に見えないこともないが、さるの、いやけもの屍骸しがいと言われればそちらを信じてしまうだろう。

 本当に人間の胎児たいじだとしたら、流産りゅうざん未熟児みじゅくじだろうと思われた。手足の指はまるまり、指が何本あるかも分からず、顔も落ちくぼんでいた。


「本当に人間なのかね?」


保障ほしょう致しかねます」


剥製はくせいと言ったか? 一見いっけんするとミイラのようだが……。内臓ないぞうき出されているのかね? 本当に剥製はくせいなのか?」


「分かりかねます」


「本当に願いを?」


「分かりかねます」


ためそうとは思わんのかね?」


「……わたくしには願うことなどございません。りた毎日をごさせていただいております」


見上みあげたものだな」


「ご興味きょうみがおありで?」


 男は目を笑わせている。


「どうせ高いのだろう? 眉唾物まゆつばものに金をはら趣味しゅみはないのでね」


「いえいえ、おだいは頂きませんとも」


「なんだって?」


信憑性しんぴょうせいのないもので商売をするつもりはありません。どうでしょう? 無料でおしして、おためしいただき、のちほどお返しいただくというのは」 


「私たちを実験台じっけんだいにしようというのかね」


「いえいえ滅相めっそうもございません。……しかしお互いに悪い話ではないかと」


 男は胸の前でてのひらをピッタリと合わせ、それを腰まで下ろすともみ手を作った。手が乾燥かんそうしているのか、カサカサという音を立てた。


得体えたいが知れんし、気味きみが悪いな」


 おっとは正直にそう口にした。


「おためしていただいても、そうでなくとも構いません。わたくしも無償むしょうゆずり受けたものですからね、執着しゅうちゃくもございません。ためすもためさぬもご自由のなさってください。返却期限へんきゃくきかんもうけませんので」


「それで……君のなんとくになるというのかね?」


 おっとは、うまい話がどこか気に入らず、そう男にたずねた。


「わたくしはものあつか行商人ぎょうしょうにんですが、……それ以上に、うわさや物語、概念がいねんを運ぶことに無上むじょうの喜びを感じるのです」


 男は初めてそこで、顔と目を同時に笑わせた。


本業ほんぎょう本筋ほんすじに関係のないことが無性むしょうに面白く感じる、そういう気持ちお分かりになりますか?」


「まぁ、分からんではないが……」


「売り上げにはなりません。しかし……それ以上のものを、わたくしにもたらしてくれるのです」


 男はまるで宣誓せんせいするように胸に手を当て、目をじた。


「さて……、どういたします?」


 男は目をじたまま言う。

 おっとの返答は決まっていた。しかし、目の前の男に主導権しゅどうけんにぎられているのが、そしてなにより男の超然ちょうぜんとした態度たいどが気にわず、おっとはさんざん返答を躊躇ちゅうちょし、うなり声を上げた。

 夫人ふじんも、市長までもやきもきとしている。

 男は、やはり超然ちょうぜんと構えている。目と表情、どちらかを交互に笑わせながら。体のどこかをつねに笑わせている、それが超然ちょうぜんとしていられる秘訣ひけつなのだろうか。


「いいだろう」


「ありがとうございます」


 まるでげき台詞せりふのように男は言った。


 夫妻ふさいは、男から剥製はくせいを受取り、市長の家を出た。

 日はすっかり暮れていた。夕陽は赤ともむらさきともつかぬ色にまっている。

 男と市長が見送りに外に出てくる。

 市長のつまらない挨拶あいさつに、男の奇妙きみょうみ。その二人の足元から伸びる影も同様だった。つまらない影に、どこか奇妙きみょうな影。


 歩くたび、ガラスケースのなか剥製はくせいは、乾いているのかれているのか判別はんべつのつかない音を立てた。その不快ふかいな音から気をまぎらわせるために、おっとは普段見もしない夕日をながめて歩いた。夕日はまるでりついたかのように微動びどうだにしない。しかし、ふと立ち止まると、いっそう夕闇ゆうやみくなっているように感じるのだった。

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