20. 隣人

 瓦礫がれきの中から聞こえていた咀嚼音そしゃくおんが、ぴたりと止まる。


「助……ける……?」


 呆然とした声で、「暴食」は、リチャードの言葉を繰り返した。


「ああ。『処刑人』にさらわれたんだろ? こっちには他の『悪魔』もいるし、力を合わせればどうにかなるかもしれない」

「ほ、ほんとに……!?」


「暴食」はドタバタと音を立て、瓦礫の間から顔を覗かせる。

 赤い瞳が希望を映し、きらりと煌めいた。


「兄さん、ほんとに助けられる!?」


 異形の眼が、幼い子どものように輝く。

 リチャードは「ああ」と頷きつつも、真剣な表情で「暴食」と視線を合わせた。


「……ただ、助けられるか助けられないかは、君の手にもかかってる」

「あ……」


「暴食」は、一瞬、怯えたように顔を引きつらせる。

 それでも拳を握り締め、どうにか勇気を奮い立たせた。表情に、紛れもない決意が宿る。


「……わか……った。僕……がんばる」

「よし、じゃあ仲間になろう」


 リチャードが手を差し出す。

 少年は躊躇ちゅうちょしながらも、おずおずと手を伸ばし、その指を掴んだ。


「奴にも名前をつけてやったらどうじゃ」


 見守っていたケリーが言う。


「『暴食』だけでは味気ないじゃろう」

「私も、名付けに賛成いたします。親しみ、とはそういった部分から生まれるものでございます」


 ケリーの言葉に、ロビンも同意する。

 ケリーはともかくとして、ロビンは「強欲」「マモン」よりも、「ロビン」と呼ばれることを好む。

 必要以上に丁寧な敬語でしか話せない彼ではあるが、本人は「親しみやすさ」にそれなりのこだわりがあるようだ。


「アレックス、はどうッスか?」

「……良いわね。性別がどちらでも対応できるし、雰囲気にあっているわ」


 セドリックの提案に、アイリスが頷く。

 性別、という言葉にリチャードは微かな違和感を覚えたが、考えてみればロビンは男性型、女性型どちらも「身体」として使用するし、ケリーは幻覚を見せる能力がある以上、見えている姿が「本物」とは限らない。レヴィアタンは男女どちらもの声音を持ち、おそらく両性の人格を宿している。パットは常に何らかの動物に変身しているが、雌雄を確かめたことは一度もない。

 ……つまり、目の前の少年も、本当に「少年」であるとは限らないのだ。


「アレックス……」


「暴食」はその名を繰り返し、がりりと手元の岩をかじる。


「兄さん……助けたら、兄さん、にも……」

「もちろんッスよ!」


 明るく笑うセドリックにつられ、「暴食」……いや、「アレックス」も破顔した。


「……そっか」


 閉じこもっていた瓦礫が、がらがらと音を立てて崩れ去る。


「よ、よろ……しく……」


 アレックスはどもりながらも、照れたようにはにかんでいた。




 ***




 一方、EHU本部──


 フランシス・ベントレーは負傷した身体を引きずり、地下の「実験場」に訪れた。

 まだ治療中だと叫ばれたような気もするが、彼女にとっては怪我の具合などどうでも良かった。


 早く、早く、早く。

 次の獲物が欲しい。あらゆる強者と出会いたい。

 戦いたい。刀を振るいたい。血沸き肉躍る命懸けの殺し合いがしたい。


「……ああ……『憤怒サタン』。今日も、待っていてくれましたのね」


 手のひらをかざせば、自動で扉が開く。その先に、巨大な円柱があった。

 ガラス張りの円柱の中は透明な液体に満たされており、その中で、人型の「白い」物体が管に繋がれて眠っている。


 肌が白いわけではない。顔のかたちも、皮膚のしわも、肉体の凹凸すら判別できないほど、その姿は曖昧だった。強いて言うなれば、腰ほどまでに伸びた白い線が「髪」だと認識できるくらいだろうか。

 と形容するのが、もっとも適切だろう。


 フランシスの声が聞こえたのか、人型の「それ」がまぶたを開く。

 他の「悪魔」達と同じように、黒々とした白目の中央で、深紅の瞳が妖しい光を放っていた。


「────ッ」


 唸りとも呻きともつかない声を上げ、「それ」はガラスを叩く。

「早く出せ」とでも、訴えるかのように。


「そう焦らないでくださいな。わたくしも、お会いしたかったんですのよ?」


 たのしそうに笑い、フランシスは愛刀のつかに手をかける。

 その背中に、問いかける声があった。


「何をしているのですか、フランシス」

「……ケビン様」


 心底落胆した表情で、フランシスは背後を振り返る。

 黒髪の男は紳士然とした態度で彼女の元へ歩み寄り、静かに首を左右に振った。


「医務室に戻りなさい」

「嫌ですわ」

「良いから、戻りなさい。テレーズも心配しています。貴女を探して、走り回っていましたよ」

「ああ……あのうるさい。どうぞ放っておいてくださいと、お伝えあそばせ」

「そうはいきません。テレーズは貴女を慕っています。貴女が無理をすればするほど、傷つく者がここには……」

「……はあ」


 たしなめるケビンに対し、フランシスは呆れたようにため息をついた。


「相変わらず、テレーズに甘いんですのね」

「もちろん、貴女のことも心配していますよ」

「テレーズは貴方のことを『嫌味だ』とぼやいていましたけれど」

「……まあ、彼女は勉強が苦手ですので。教える立場としては、一言二言ぼやきたくなることも……まあ……」

「どうでもいいですわ。早く、どこかへ行ってくださいませんこと?」


 苦笑するケビンから顔を背け、フランシスは再び「それ」へと視線を移す。

 濁った蒼い瞳は、未だ、深紅の瞳に魅入られるよう輝いている。


「……本音を言いましょうか」


 ケビンは苦々しい表情を浮かべ、拳を握りしめた。


「『それ』のために、貴女が傷つく必要などありません」


 語調を強め、ケビンは更に続ける。


「貴女がたがのせいで傷つくのが、私には耐えられない」


 フランシスの肩を掴み、ケビンはどうにか説得を試みる。


「しつこいですわ。邪魔をしないでくださいませ」


 フランシスがケビンの手を振り払おうとした刹那。

 暗い地下室に不釣り合いなほど、明るい声が響き渡る。


「あ----!! ここにいた!!! 探したんだよフランシスぅ!!!」

「……テレーズ」


 テレーズはバタバタと音を立てて二人の方へと走り寄り、フランシスをしっかりと抱き締めた。


「……暑苦しいですわ」

「ね、ね! お願いっ! 一緒に帰ろ? 『実験』なら、元気になってからで良いじゃん!」


 傷だらけのフランシスにしがみつくようにして、小柄な身体が震える。

 フランシスは大きくため息をつき、「仕方ありませんわね」と呟いた。


「残念ですわ。こんなに美しいのに」


 そう言い残し、フランシスはテレーズと共に部屋を立ち去る。


「……っ」

「わわ、大丈夫!?」


 段差でよろめくフランシスを、テレーズが慌てて支えた。


「余計なお世話ですわ」

「余計なお世話で良いもんっ!」


 フランシスはその手を跳ねのけてふいと顔を逸らし、テレーズは涙目になりつつも寄り添おうと腕を掴む。

 ケビンはそんな二人の背を黙って見送り、たった一人、地下室に残った。


「……良かったなぁ? 切り刻まれずに済んで」


 先程とは打って変わって粗暴な口調で、ケビンは苛立いらだたしそうに語る。


「怪我してるフランシスにゃ、危険なことはやらせられねぇよ。それが腕試しだろうがだろうが、怪我人はベッドで休むのが仕事だ」


 コキコキと首を鳴らし、ケビンはニヤリと口角を吊り上げた。


「だから、俺がやる」


 ケビンは懐から小型爆弾を取り出し、平然と手のひらで転がしてもてあそぶ。


「てめぇらがどうやったら死ぬのか……とっとと教えてくれや」


 赤い瞳がカッと見開かれ、ケビンを睨みつける。

 ケビンがスイッチを操作すれば、円柱の前面が開き、白い身体が床へと放り出された。白い髪がはらりと舞い、硬い床に散らばる。

 床に這いつくばる「憤怒」に向け、ケビンは手に持った爆弾を容赦なく叩きつけた。

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