15. 当たり前

「ふざけないでよ」


 冷静だったアイリスの声が一転、怒りに震える。


「よく、それで『正しい』側を名乗れるわね」

「……? 何、言ってんの?」


 対するテレーズはきょとんと目を見開き、首を傾げた。


「えーと、なんだっけ。『要処置者』は『適応手術』を受けることがギム? なんだっけ。そんでもって、それもダメならアタシ達みたいに『処刑人』になりゃいいわけでさぁ」


 時折記憶を辿るように頭を捻りつつ、テレーズはあっけらかんと答える。


「そんなの、当たり前でしょ。幼稚園児でも知ってるよ」


「当たり前」……リチャードが深海特急で出会った少年も、似たようなことを言っていた。


「『要処置者』が『処置』を受けないなら、殺されてトーゼン。だって、そのせいで世界が危なくなるんだから」


 話を聞く以上、テレーズから悪意は感じられない。

 彼女はただ単純に、この世界の仕組みに疑問を抱いていない。……それだけなのだ。


「……そう。話し合いは無意味そうね」


 アイリスは小さく呟き、再び銃を構える。


「わたしはあなたを殺すことを『当然』だとは思わない。だけど……こうなった以上は、殺し合うしかないわ」

「えー。それ、別に変わんなくない?」


 テレーズはへらへらと笑い、キョロキョロと辺りを見回す。どうやら、何かを探しているらしい。


「変わるのよ。……あなたには、分からないでしょうけど」


 銃声が響く。

 テレーズはグローブで銃弾を弾き、アイリスの腹に拳を叩き込む。アイリスはひらりと身を踊らせ、攻撃をかわした。

 そのままアイリスはテレーズの脇をすり抜け、建物の端の方に立つ。


「こっちへいらっしゃい」

「へっ?」

「あなたとは、もっと広い場所で戦いたいの」


 先程の会話を既に忘れたのか、テレーズは「そっかぁー。やる気出しちゃったかぁ」とアイリスの方へついて行く。

 そのままアイリス達の影は建物を飛び降り、次第に遠ざかっていった。

 どうやら、避難中の「フリー」達から「処刑人」を遠ざけるのには成功したらしい。


「バカで助かったな……」


 ぽつりと呟き、リチャードは集まった「フリー」達の方へと戻っていく。追跡して観戦したい気持ちも残ってはいるが、自殺志願者が存在している以上、いつまでも席を外しているわけにはいかない。


 ……その時だった。


「まったく……テレーズにも困ったものですな。何度言い聞かせても、指示をろくに覚えられないとは」


 物陰から、黒髪の男がのそのそと這い出てきた。

 目の前のリチャードに話しかけているのか、それとも独り言なのか……判別のつきにくい口調で、男は言葉を続ける。


「ですが、私に任せてくれる気になったのは英断です」


 穏やかな物腰の紳士は、ぱたぱたとベストのホコリを払い、顎ひげが伸びていないか気にする。

 大きなショルダーバッグを提げ、シャツの上にベストを羽織った格好は簡素とはいえ小綺麗だった。七三に分けられた黒髪も、ワックスでしっかりと撫で付けられている。

 テレーズが辺りを見回していたのは、この男の合流を待っていたのだろう。


 リチャードは、フリーから借りた拳銃に意識をやる。

 相手はほぼ間違いなく「処刑人」だ。

 こんな小さな拳銃ひとつで、太刀打ちできるはずはない。

 そもそもリチャードには、戦闘の知識も経験も、圧倒的に不足している。


「えーと、初めまして……で、良いんですかね?」


 少し考え、リチャードは戦闘を避ける方針を貫くことにした。

 元々は、「交渉」で解決することが、リチャードに求められた役割だ。フランシスやテレーズの様子を見る限り、「処刑人」には通用しないやり方のように思えるが、増援が来るまで逃げるわけにもいかない。


 冷や汗をかきつつ、リチャードは気さくな笑顔を相手に向ける。


「ああ……話しかけられていたのですか。気付かなかった」


 黒髪の男はリチャードに笑顔を向け返し、穏やかに語った。

 意外と話が通じるのか? ……そう、リチャードが思った矢先。


 空中に、何か、黒い塊が飛んだ。


「ゴミは視界に入らねぇんだ」


 男の口角が吊り上がる。

 放たれた言葉は、先程までとは打って変わって粗雑なものだった。

 リチャードが振り返る暇もなく、背後の建物が炎を噴き、轟音ごうおんと共に崩れ去った。


 状況が理解できず、呆然とするリチャードを前に、黒髪の男は平然と笑っている。


「……あ?」


 だが、ショルダーバッグの中身に目をやった瞬間、その表情は怪訝そうなものへと変わった。


「爆弾が……減っていない……?」


 その言葉が紡がれる否や、辺りに充満した熱気が嘘のように消え失せた。

 崩れ去ったはずの建物は、先程と何も変わらずその場にある。


「間に合ったようじゃの」


 少女の声が、辺りにこだまする。


「リチャード、下がっておれ。わしが来たからには、案ずることなど何もない」


 姿を見せないまま、ケリーはたのしげに語っていた。

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