固ゆで卵と変な奴ら~人形争奪戦~

ディティールノベル

第1話

「……人形、好きかい?」

「大好き!」

 七月七日。ホテル【ショコラガーデン】の七夕パーティにて。

 人形という共通の趣味があった二人の男女が意気投合した。


 切っ掛けはひどく単純だ。

 ホールの片隅に展示された七夕にまつわる品々のうち、ガラスケースへ収められた七夕人形だけを鑑賞するモノ好きは、二人だけだったのだ。

 短冊や七夕馬は有名であっても、七夕人形はマイナーもマイナーである。

 たいていは


 珍しい! こんなものがあるんだ!

 ふーん……。

 次見よ。


 で終わってしまう。

 だがこの男女は並々ならぬ人形への関心があった。面識もないのに、板製・紙製の区別なく七夕人形を二人並んで鑑賞してしまうぐらいには。

 一息吐いてようやく互いの存在に気づき、最初に交えた言葉が前述のやり取りである。


 人形好きであると通じ合った二人はごく自然に握手をする。その後、女性の方から話が始まった。

「やっぱり人形に意味って大事だと思うんだよね。何のためにあるのか、用途は。その点、この人形は良い。七夕伝説のエキゾチックさがよく表れている。織姫のルーツには織女……機織り、手芸上達の祈願もあるらしいし、私も作ってみようかなー」

 一目で欧州人だとわかる顔立ちの、青い目をした女性はうっとりとた七夕人形を眺めている。

「俺は変わらなく美しい人形が好きなだけで、あんま意味とかは気にしないが……そういうんだったら面白い話がある」

 青い目の女性は興味津々に右手に大きな四角いカバンを吊り下げた、面長の男へ聞き返す。

「面白い話?」

「ああ、彦星アルタイル織姫ベガ繋がりだ。なんでも小宇宙ミクロコスモスとは人間のことなんだそうだ。天に輝く大宇宙と対応関係にある摩訶不思議な小宇宙、その名は人間ってな」

「……ふーん、それで?」

 青い目の女性は含みのある態度で先を促す。

「もちろん人間なんぞどうでもいいが、人型が宇宙の似姿なら、人形もまた宇宙と考えていいんじゃないか? むしろ全てを受け入れてくれる人形こそ、人間より愛しい宇宙ソラに相応しい。果てしなく受け入れるものの比喩と言えば海だが、俺はこっちの方がいいね」

 おどけるような調子の男に、青い目の女は同意した。

「悪くはないね。……でもそしたら、あそこのカリカチュアたちも宇宙なのかな? 一応、人の形だし」

 彼女が指さした先を見て、男は苦笑した。

「わりぃな、着ぐるみは専門外だ」



 七夕パーティはホールと庭園の二か所にまたがって開催されている。七夕関連の品もさりげなく展示されているが、メインイベントは庭から星空を鑑賞することだ。移動が不可欠なため採用されたのは立食式。ホールにあるテーブルの上には多種多様なサラダやつまめる料理が用意されており、客が自分で小皿に盛り付けていく。

 冷房が効いたホールで過ごしつつ、気が向いた時や消灯時間に庭へ出てみる。そんな楽しみ方をしてほしいホテル側の工夫だった。

 その上ショコラガーデンはガーデンだけに、庭へかなりの自信があるのだ。パーティに活かさない手はなかった。


 だが前述の洒落たサービスも子供たちには関係がない。宇宙大好き少年少女でなければ退屈な催しだ。

 それはいかん! と子供たちのために用意されたのが、『彦星くん』と『織姫ちゃん』の着ぐるみだった。


 彦星くんと織姫ちゃんの着ぐるみはパーティ会場を巡回し、退屈そうにしていたり、走り回る子供たちへ近づいては歓待を繰り返していた。


 その片割れである彦星くんはフロアに落ちている人形に気づいた。オレンジのドレスを着た可愛らしい人形だった。

 彦星くんは当たり前のようにその布製の人形をむんずと掴んで、拾い上げる。丸っこい手つきをした彦星では構造上、不可能なアクションだった。

 異常な現象だ。手の部分がぐにゃりと変形したのだ。庭の方で頑張っている織姫ちゃん(二十七歳独身最近ちょっと夜に飲むアルコールの量が増えている系ホテル職員女性)が知れば叫び声をあげるだろう。だが、どんな異常な現象だろうと察知されねば無いのと同じだった。

 まだ、今はまだ彦星くんは変哲もない着ぐるみのままだった。

 そのありふれた着ぐるみ(?)の彦星くんはあたりをキョロキョロと見回す。

「ミーちゃんどこぉ?」

 一生懸命、人形の名前を呼びながらうろうろしていた小学校低学年くらいの少女を発見した彦星くんは、ひょこひょこと彼女の傍へ寄り、人形を差し出した。

 女の子は泣きべそ一歩手前から、わぁ、と喜んで人形ミーちゃんを受け取った。

「ありがとう彦星くん!」

 彦星くんは両手を持ち上げて、コミカルな動きをした。

「もう人形のこと落としちゃだめだよ、ふひっ!」

 いや喋るんかい。

「うん!」

 ……とはもちろん思わず、女の子は無邪気に答えたのだった。



 立食式のパーティと言えど、座る場所がないわけではない。ホールの壁際や庭園には休憩用の椅子がいくつか用意されていた。

 その中の一つ、ホールにあるソファへ肘を立てて座っていた令嬢は、つまらなそうに着ぐるみの彦星くんと小さな人形を胸に抱えて喜んでいる少女を眺めていた。

 彼女の隣へ控えていた執事服の男が令嬢へ囁く。

「しずね様、オーナー殿が返答をお待ちです」

「ああ……」

 と令嬢、常盤しずねは自分の前に立つ、ショコラガーデンのオーナーを見上げる。

「資金援助でしたね。構いませんよ。衛星都市で立地は悪くありませんし、もてなしも行き届いています。将来性の芽は充分でしょう」

「あ、ありがとうございます!」

 オーナーは小さくガッツポーズをとった。最近の不景気で存続が危ぶまれていたショコラガーデン。その起死回生の一手として開催された七夕パーティは、実質この大企業の令嬢、常盤しずねのためのレセプションパーティだった。

 工夫を凝らし、オーナー自ら接待してようやくつかみ取った援助である。企画段階からずっと張り詰めていたオーナーは、肩の荷が下りた心持ちでいっぱいだった。

 しずねは小さく呟いた。

「とても、迷惑をかけますしね。お詫びです」

「え? 今、何か仰いましたか?」

 聞き返すオーナーにしずねは白を切る。

「何も? そうですよね、式神」

 話題を振られた執事服の男、式神は微笑を浮かべた。

「はい。心配する必要はなにひとつございませんよ!」



 少し離れたテーブルで、その言葉を小耳に挟んだ警察庁霊障対策室、通称“霊対”の室長、真井は呆れる。

「気楽なものね」

 隣に付き従う霊対の部下が問う。

「どちらがですが?」

「両方よ。危険だと警告したのに」

「ホテル側にとっては藁にも縋る思いなんでしょうね。ちょっと調べただけでも結構な経営難ですし」

「知ったことじゃないわ」

 室長があまりにもバッサリと斬り捨てるので部下は困ったように、あはは、と笑って誤魔化す。

「なら今からでも全ての事情を開示しますか? ホテル側はともかく、警察からの不審者情報をいつものことと切って捨てた常盤の令嬢は動かせるかもしれません」

 真井は部下を横目に収めて、これ見よがしに鼻を鳴らした。

「バカ正直に霊障対策室だと名乗って、このホテルに吸血鬼・・・がいる可能性がありますと? 馬鹿じゃないの。誰も信じないわよ、そんなの」

「ですよねぇ」

 社会の裏にはオカルトがある。闇の中には魑魅魍魎がいる。だがその大半は恐るべきものではない。不思議な力があったとしても、数が少なすぎるのだ。数えるほどの霊的国防組織(“霊対”もここに含む)が存在するだけで、国中の平和を保てるぐらいには小規模な世界の話に過ぎない。

 だが例外はどこにでもある。闇の中のさらに闇。

 伝説級の怪物は話が違う。一人二人ではどうにもならない災厄だ。

 だから今回、“霊対”は動かせる全ての所属メンバー二十九人と真井室長一人、そしてとあるアドバイザー一人を加えた三十一名を七夕パーティに潜り込ませていた。

 室長はパーティ会場を見渡して決意を滲ませる。

「とにかく、ここいるのは守るべき市民たちよ。彼らに危害を加えられる前に捕まえる必要があるわ。あの吸血鬼――オールドローズを」


 ところ変わってショコラガーデン最上階、スウィートルームの一室は真っ暗で、汚れていた。

 シャンデリアや窓ガラスは盛大に破砕しており、風に揺れる品の良いカーテンには赤黒い血しぶきが染みついていた。カーペットも壁も血で汚れており、血の惨劇と表現せざるおえない。

 これで死人が出ていないのだから、悪い冗談である。けれど死人が出てなかったとしても、スウィートルームに泊まっていた彼らは一人を除いて再起不能だった。

 今夜、ある筋から“願いを叶える儀式”がショコラガーデンで行われることを聞きつけた魔術組織、銀の指揮棒タクトは、事件が始まる前から壊滅したのだ。

 真っ青な顔で倒れる銀の指揮棒タクトの構成員たちを足蹴にする人影が一つ。

 ひたりひたりとその人影が歩み、揺れるカーテンの隙間から降り注ぐ月明かりの下まで来る。



 真っ赤な少女だった。真紅のコートに紅色のパンツスーツ。赤い長髪と鮮血の瞳をした、あまりにも赤い少女だった。


「隠れても無駄だぜー……少年」


 吸血鬼オールドローズは口元から血を垂れ流し、狂人のように哂っていた。


「魂が腐った連中しか吸えなくて気分が悪いんだ。困らせないで、素直に出てこい……殺しはしないよ……」


 赤い液体で塗れたカーペットを踏みしめる。オールドローズは舌でペロリと口周りの血を舐めとる。


「弱くてー、震えてー、隠れているつもりか? それで……ほれ」


 オールドローズはベッド下に手を突っ込むと、の腕を掴んで引っ張り出した。


「うぐっ!?」


 赤い吸血鬼は、たった一人残った銀の指揮棒タクト構成員の男をベッドの上に放り投げた。


「うぐぁぁぁぁ!?」

 あまりの力強さに、男はもんどりうつようにベッドに転がる。勝ち気なはずの彼の瞳は恐怖に慄き、肌には脂汗が浮かんでいる。

「な、な、なんだよお前ぇぇぇぇ!!」

「グッドイブニング、少年。吸血鬼だよー」

 オールドローズは男に馬乗りになり、片手を彼の首に這わせる。むせかえるような血の匂いが少年の正気を削っていく。

 だが正気を失うわけにはいかない。なにかしなくては! 言わなくては! 殺される!? その恐怖が少年の意思を駆り立てる。

「ひっ! なっ、何が目的なんだァ!」

 オールドローズは間髪入れずに答えた。

「長い生の暇つぶし」

 カパリ、と彼女が口を開ける。鋭く尖った犬歯が少年の首元へ近づく。

 まずいまずいまずい、なにかなにかにか!? 言わなければ死ぬ! やりたいこともやれずに喰われる! 言わなくては! 言わなくては!

 目の前の怪物は命を奪う理不尽であると本気で怯えた男は、腹の底から苦し紛れを絞り出した。

「だ、だったら!!」

「あん?」

「僕がお前の暇をつぶしてやるぅぅぅ!! だからやめろぉぉぉ!!」

 情けない悲鳴を上げる。ああクソ、まともに啖呵を切ることすらできやしない。こんな人生最悪だ!

 男は恐怖と慟哭と生存本能の狭間にある冷静な部分で自嘲する。

 しかし、オールドローズは、ピタリと動きを止めた。ゆるゆると顔をあげて、男と目を合わせる。真っ赤な虹彩とブラウンの瞳が交わる。

「えっ?」

 呆けている男へ、オールドローズは打って変わって親しげになる。

「んむ、気が変わった。ボク、名前は?」

「さ、聡……鴨野、聡ですけど……」

 オールドローズは誘惑するように男へ問うた。

「ねぇ聡。なんでも願いを叶える魔法、欲しくはないか?」

「っほしい!! ほしいよ!! ほしいに決まってるだろ!!」

 鴨野聡は即答する。それは命の危機にあるから……だけではない。

 聡は銀の指揮棒タクトの新入りであり、落ちこぼれである。一年ほど前に加入してから、ずっと魔術を習得できず、結社の下っ端に甘んじていた。

 オカルトと合わない以上さっさとやめて元の生活に戻れば良いのだが、いまさら不思議な力との縁を切って退屈な日常に戻る気にもなれない。

 諦め悪くしがみついて、何者かになろうとしてうだうだと時間を浪費する。

 オカルトのせいで鬱屈してしまった男。それが鴨野聡なのである。


 語られるべきバックボーンはそれだけだ。細かいこと……銀の指揮棒タクトのシステムや魔術の理論は論じるには値しない。少なくとも今夜だけは、確実に。


 オールドローズは彼の答えを聞いて、ニヤけた。

「ハン、欲しいだけでは手に入らんよ。自分でやらないと。私ではなく、。……なぁに、長い生の中、これくらいの戯れがあってもいいだろう。のう? 我が主人?」

「……は、い?」

 聡は茫然と目をぱちくりとさせた。

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