その2

 金曜日、良く晴れたいい日だ。俺は駅に着くと、タクシーにも乗らず、そのまま家まで歩いて行った。

 駅からだと、大人の足でもざっと40分はかかる。

 まだ残暑がやたらに厳しいから、一歩踏み出すごとに汗がしたたり落ちていく。

 しかし歩くなんてのは俺にとって商売の一部でもあるし、それにはばかりながら前職が前職だからな。

 さして苦痛だとも思わん。

 とにもかくにも実家に着いた。

 二階建て瓦屋根の、ごつい造りである。

 この家は俺が高校に入る時に親父が建てた。

 親父も自衛官で、転勤が多かったが、彼は敢えて単身赴任を選んだ。

”家族が父親の犠牲になる必要はない”それが親父の考えだったのである。


 それはさておき・・・・

 

 『あんた、何?そのスーツは?もっとましなのなかったの?仕方ないわね。父さんのがあるから、あれを借りて着なさい。とりあえず上がって!』

 家に着くなり、玄関で俺を出迎え、いきなり”お帰りなさい”もなくそう言ったのは、お袋の小夜だった。

 

 現役の看護師兼助産師が平日に家なんかにいていいのか?と聞いてみたら、

『今日と明日は同僚に代わって貰ったのよ。あんたの見合いがあるっていうのに家を空けてられますか!』

 だそうだ。

 

 もう古希を越したというのに、背筋もまっすぐだし、足腰もしっかりしている。

 目も、耳も、そして歯も達者だ。


 居間に行くと、珍しく親父が座卓に向かって新聞を読んでいた。

 普段家にいる時は、屋根裏の物置を改造した自分の書斎兼作業部屋に籠っているか、庭で木刀を振っているかのいずれかだと思っていたからだ。

『父さん、ただいま、久しぶり』

『おう』

 それしか言わない。

 口が重い親父の事だから、会話は昔からこんなもんである。

 髪はすっかり真っ白になったものの、未だ矍鑠かくしゃくとしていて、見かけは殆ど変わっていない。

 

 しばらくすると、お袋が茶を盆に乗せて持ってきてくれた。

『とりあえず元気そうね。はいお茶、それからこれね』

 そう言って茶を目の前に置き、A4ほどの上質紙の表紙がついた写真を渡す。

『何だい?』

『お見合い写真に決まってるでしょ?よく見ておきなさい』

 苦笑しながら俺は手に取り、中に挟まっていた半透明のロウ紙をめくる。

 

 年は29歳ほどであろうか。地味な緑色のスーツを着た女性である。

 顔だちは多少面長、銀縁の眼鏡をかけている。

 俺の好みの芦川いづみとまではいかないが、まあ、松原智恵子くらいはあるだろう。悪くはない。


 お袋は写真と一緒に、釣書(経歴を記した書類)も持ってきた。

 それによると、相手の名前は下川原靖子しもがわら・やすこといい、今年でちょうど30歳、大学を卒業した後、近くの女子高で生活科学(昔で言う家庭科のことだ)の教師をしているという。

 一度結婚はしたものの、半年ほどで離婚。つまりバツイチで、子供はいないという。

 俺は女性に対してあまり多くは望まない。そりゃ、美人であるに越したことはないが、慣れりゃどうと言うこともない。見かけなんてものに騙されるほど若くはないからな。

 贅沢を言えば教師せんこうというのが、いささか気になりはしたが、まあ、この際だ。

 何でも彼女の母親が、お袋の勤め先の同僚と知り合いで、それで持ち込まれたものらしい。


『あんたがまだ独身だって聞いたら、向こうのご両親も乗り気だったみたいでね。ああ、勿論あんたの写真は渡しておいたから』


 普通の男なら”なんだ。俺の断りもなく勝手に!”と怒るところだろうが、もう俺くらいの年齢としになれば、そんな面倒くさいことをする気も起らない。


『で、向こうは?』

『え?』

『向こうには俺の事、全部話したのかい?』


 母は”当たり前だろう”と言わんばかりの顔をして、

『何言ってるの?話したからになったんでしょう?あんたにとってもこれが最初で最後のチャンスかもしれないんだからね。今日はゆっくり寝て、体調を整えておきなさい!』


 お袋は相変わらず、全て切り口上でモノをいう。それが彼女のいいところでもあるんだが・・・。

 親父はこうしたやり取りに全く口を挟まず、黙って茶を啜り、新聞を読んでいた。

 午後六時過ぎ、妹の友子と夫の健一、そして三人の甥と姪がやって来た。

 滅多に顔を見せない俺が来たのが物珍しかったんだろう。

『なんだ。兄さん、元気そうじゃない。探偵なんてどうせ貧乏してるだろうから、もっとしょぼくれてるかと思ったのに』妹の友子は相変わらず毒舌全開だ。

義兄にいさん、お久しぶりです』健一君も愛想よく頭を下げる。

 子供たちは前に会った時より、ずっと成長したようだ。

『ねえ、今度拳銃を撃つところ見せてよ』だの『名探偵コ〇ンとどっちが強い?』

なんて、しきりに俺にまとわりついてくる。

 長女は流石にもう高校生だから『伯父さん、今日は』といっただけで、醒めたものだったが、俺が小遣いをやると、幾分愛想が良くなった。


 その夜は近所の寿司屋から出前を取り、家族全員で盛り上がった。

 孤独を愛する俺だが、たまにはこういうのも悪くはない。

 お開きになったのは、9時を回っていた。

『じゃ、明日、僕が車を出しますから』健一君は律義にもそう言ってくれた。

有難い。


 夜、風呂から上がった後、親父の晩酌に付き合った。

『仕事は、どうだ?』

『まあ、順調だな。気楽にやってるよ』

『自衛隊時代と比べて、どうだ?』

『比較のしようがないな』

 元々口の重い親父だが、何だか嬉しそうだった。

 



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