8:魔術師 VS 魔法使い

「わたしを信じてくれたこと、ありがたく思……」


 先に花畑で待っていたラームスが、何かを言いかけたところで、私は背後から伸びてきた腕に右肩をグイと掴まれて、後ろへ引かれた。

 腰に手を回されて、体がくるりと後ろを向く。

 目の前には、どこか弱々しい表情を浮かべたカティーアが立っていた。向き合うように立っている私の顔を見てから、眉尻を下げると腰に回したままの手で私を自分の方へ引き寄せる。


「必死に探して見つけたと思ったら、また離れるもんだから、心配した」


 ぎゅうとしっかり抱きしめられて、頬と頬を触れあわせられる。

 彼の胸の中はとても温かいし、ふわりとローブから香る燻した香草ホワイトセージの香りで気が緩む。


「ちゃんと、来てくれるって信じてました」


 顔を離して、額と額をくっつけてそう言うと、彼は困ったように笑ってから、ゆっくりと顔を近付けてきた。目を閉じようとして、ふと視線を感じてスサーナちゃんがいることを思い出す。

 そっと彼の唇に自分の人差し指を当てて、スサーナちゃんの方を見る。


「あの……お気になさらずに……といっても、気が散りますよね。ええと」


 ばつの悪そうな顔をして、カティーアが私を抱きしめていた腕を解く。鼻の横を人差し指で掻いたカティーアの後ろを見て、スサーナちゃんが「あ」と嬉しそうな声を上げた。

 後ろを振り返ると、青空の中からにゅっと綺麗な白い髪が現れる。太陽の光の下で見ると、虹色の燐光が更に目立って神秘的な雰囲気が強くなる。


「第三塔さん」


 自分の横を通って第三塔さんの方へ駆け寄ろうとするスサーナちゃんの薄い肩に、カティーアが手をかける。

 少し強く後ろに引っ張れた彼女がよろめいたので、慌てて私が背中を支えた。何も言わないまま、カティーアが第三塔さんを睨み付けている。

 スサーナちゃんがよろめいた瞬間に、基本的には涼しげな表情を崩さない第三塔さんが、珍しく眉をピクリと動かしてカティーアのことを睨み付けた。


「待って!」


 地面を蹴る音がして、カティーアの背中が遠ざかる。

 私の制止の声も聞いてくれない。

 第三塔さんとカティーアの間に、突如水球が浮かびあがった。人の頭一つ分の大きさはある水球は、カティーアの顔へ引き寄せられるように向かっていく。

 

「ぴゃ……」


 スサーナちゃんは、小さくそう言って動きを止める。危険が及ばないように、彼女を抱き寄せる。

 風の唸る音が聞こえて、カティーアは腕に炎を纏わせた。減速をしないまま、彼は左手で水球を凪ぐ。真っ白な蒸気を上げながら水球は消えて、無防備に見える第三塔さんへ向かってカティーアが大きく一歩踏み出した。

 煌々と光る炎を纏った右腕を思いきり振りかぶり、第三塔さんの顔を目がけて振り抜く。その瞬間、スサーナちゃんは、両手で顔を覆って下を向いた。

 バチバチという音と共に放たれた青い閃光が、カティーアの右肘から先を焼き払った。


自動反撃オートカウンター付きの障壁かよ」


「正当防衛の範囲だろう」


 体勢を崩しながらも、第三塔さんの前に着地したカティーアは、忌々しげにそう言って一歩後ろへ飛び退く。

 第三塔さんは膝を突いているカティーアを見下ろして、穏やかな口調の中に僅かに険を感じる声色でそう答えた。


「え、あわ……腕が」


 第三塔さんが無事だと分かって、顔から両手を外したスサーナちゃんの顔色がすぐに青くなる。彼女の言葉通り、カティーアの腕は、表面が焼き焦げているし、鋭い牙の猛獣にでも噛まれたみたいに深い裂傷が刻まれている。地面に広がる血だまりを見て舌打ちをしたカティーアが第三塔さんの言葉を聞いて鼻で笑う。


「子供の前だ。事情を聞くくらいの猶予は与えるが……」


 眉間に皺を寄せたままの第三塔さんが、口を開く。そう、彼のことを知らなければ右腕がこんなことになってたら諦めると誰でも思う。

 でも、彼はのだ。彼の体に刻まれた不死の呪いは、彼の体が欠損してもすぐにそれを最善の状態まで戻してしまう。


常若の国に住む者妖精だってのに、ヒトみたいなことを言いやがる」


 右腕を失ったにも拘わらず不遜な態度を取るカティーアを、第三塔さんが訝しげに見つめていた。でも、それはカティーアの焦げた右腕の皮膚が、先端から時間を戻すみたいに綺麗な肌へ戻っていくのを見て驚きの表情へ変わっていく。

 傷を癒やしたカティーアが地面を蹴って高く跳ぶ。そのまま腰を捻って、重心を斜めに傾けた。彼が右足を上げて第三塔さんの頭に向かって振り抜こうとしたのと同時に、金色の光が、カティーアの胸を貫く。

 滞空していた彼の身体が後ろに仰け反って吹き飛ぶ。地面に肩から落ちたカティーアの胸元からは、噴水みたいな勢いで真っ赤な血が噴き出しはじめた。

 上半身を起こして、膝立ちになったカティーアは、血の出ている場所に手を当てて、ぎりりと歯ぎしりをしながら、針の様に瞳孔を細めた目で第三塔さんを睨み付ける。カティーアは大丈夫……多分。でも……。

 咄嗟にスサーナちゃんの顔を見る。彼女は口元に手を当てたまま目を丸く見開いて固まっている。

 みるみるうちに顔色が悪くなっていくスサーナちゃんに、第三塔さんもカティーアも気が付いていない。

 多分、第三塔さんはスサーナちゃんにとって大切な人に違いない。

 縁を結んだ相手で、カティーアが呼ばれたのだ。多分、なんらかの信頼関係だとか、長い付き合いがある相手のはず。

 その人を、傷つけてしまうのは良くない。


「二人とも、落ち着いてください」


 声をかけたけれど、第三塔さんもカティーアもお互いにらみ合ったまま動かない。

 微かに震えるスサーナちゃんの肩から手を離し、私は意を決して立ち上がる。こちらを見ようともしない二人に段々と怒りにも似た気持ちが込み上げてくる。

 胸いっぱいに息を吸い込んで、魔力を右足に込める。


「もうやめてください!」


 思い切り地面を右足で踏みつけて、大声を出す。地面が捲れて、ゆっくりと生えてきた茨のツルが二人の足に絡みつきはじめると、驚いた表情を浮かべた二人が、同時に私の方へ目を向けた。


「スサーナちゃんがいるんですよ? まず、お話をしましょう」


 動きを止めた二人を無視して、スサーナちゃんを抱き寄せる。

 私の言葉に首を大きく縦に振って頷いてくれているスサーナちゃんを見て、第三塔さんもカティーアも気まずそうな表情を浮かべて視線を足元へ落とした。


「……悪かった」


 先に声を上げたのは、カティーアだった。

 両手をあげた彼が、第三塔さんを横目で見る。

 第三塔さんも大きな溜息を吐きながらカティーアの顔を見て、頷いた。それから、二人はもう一度スサーナちゃんへ目を向ける。

 スサーナちゃんが、私の手から離れて第三塔さんの方へ駆けだしたのを見て、私は茨のツルを消して二人を自由にした。


「君にこういうものを見せるつもりはなかったのだが……すまない」


 第三塔さんが、自分を見上げながらローブの端を掴んでいるスサーナちゃんへそう言って頭を下げる。


「あの、ケガとか……」


 スサーナちゃんは、ハッと何かを思い出したように顔を上げると、カティーアの方を振り向いた。

 ツルの拘束を解いてすぐに私の横へ来ていたカティーアは、不安そうな声色で安否を確認してくれた彼女を見て「ああ……」と小さな声で答えると、フッと優しそうな表情で笑う。


「見ててごらん」


 小さな水色の妖精が出てきて、両手が入るくらいの水球を呼び出す。水球は彼の両手を洗って赤く濁ると、その場で音もさせずに消えた。

 神獣の毛で織られたカティーアの白いローブは、さっきまで血まみれだったはずなのに、いつのまにか汚れが落ちているし、本当にケガなんて一つもしていないみたいに見える。


「この通り」


 ローブを肩までずり下ろしたカティーアは、内側に着ているインナーも捲って胸辺りをスサーナちゃんへ見せて笑う。


「大丈夫です」


 私もそう言って彼女へ微笑みかけると、不安そうだったスサーナちゃんは目を大きく開いたあと「よかったぁ」と自分の胸をなで下ろして笑った。

 彼女の後ろに立って「は?」と小さな声で呟いた第三塔さんと目が合う。眉間に深く皺を寄せていた彼は、私が彼を見ていることに気が付くと元の涼しげな表情に戻しながら「コホン」と小さく咳払いをした。


「……おちついたようだね」


 柔らかい毛皮の感触を覚えて振り向くと、ラームスが狭い額を私の肘に押しつけていた。

 彼は、左右の耳をぷるぷると小刻みに震わせる。


「わたしも、そろそろ口を挟んで良いだろうか」


 ああ、やっぱり常若の国の人妖精や神様の感覚はわからない。カティーアと第三塔さんが殺し合いをしそうだったことなんてなかったみたいな穏やかな口調で話すラームスにそう思いながらも、私は首を縦に振った。

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