第35話 冴子さんと私



 八月の下旬の日曜日。その日は私の二十六回目の誕生日だった。


 朝から私も冴子さえこさんも準備に余念がない。


 今日は二人でウェディングフォトを撮りに行く日だからだ。


 どことなくお互い緊張している。そして、わくわくもしている。


 空はまだ秋の気配もないような青空で、大きな山のような入道雲が聳えていた。


 この夏の景色を私は一生忘れない気がした。


 私は冴子さんが運転する車に乗り込んだ。


 BGMは二人がとても好きな曲で、軽快なメロディを奏でている。


 それに耳を傾けながら、車は目的地のフォトスタジオを目指して走ってゆく。


 自宅のマンションから一時間ほどで、その場所へと到着した。


 私たちは今日、ウェディングドレスを着ての撮影となる。


 ドレスは事前にお互いに着てほしいもの、似合うものを選んで決めた。


 冴子さんのドレスは胸元はシンプルだが、裾にはきめ細やかな刺繍が施されているAラインドレス。一見すると控えめなデザインだが、元々の顔立ちもスタイルも抜群の冴子さんの良さを引き立てるようなデザインを選んだ。


 私のドレスは全体的に可愛い華やかな刺繍で飾られた、ベルラインのドレスだ。腰には大きなリボンが付いている。どうも冴子さんはドレスに限らず、私には可愛いめの衣装を着せたいらしいと一年の付き合いで把握した。


 似合ってるかはともかく、冴子さんが私を可愛くしたいと思ってくれているのが胸にきゅんと来る。


 私たちはそれぞれ別の部屋でメイクと着付けをしてもらい、実際にドレスを着た姿はまだ確認していない。


 スタッフさんに案内されるまま、私はドレスを着てチャペルへと足を踏み入れた。


 真っ白な壁に、真っ白な椅子。


 神聖な空気に、息が止まりそうになる。


 そして何より、先に来て待っていた冴子さんは、名画のように神々しく、私の目を奪った。


 あまりに綺麗で、どうしていいか分からない。


 私の瞳から知らず知らずのうちに涙が流れていた。


奈津なつ、泣かないで」


 冴子さんが腕を伸ばして私の涙を拭う。


「ごめんなさい。冴子さんがとても綺麗で感動したんです」


「ありがとう。泣いてる奈津見たら、私も涙腺にきたじゃない」


 冴子さんはそっと自分の目元を拭ってから笑う。


「今日は笑顔、ですよね」


「うん、笑顔でね」


 私たちはいつまでも思い出に残るような写真をいくつも撮ってもらった。


 幸福な気持ちで満たされた私たちが形になる。


 それを見返す度に、何度でも私たちはこの幸せを胸に抱ける。


 全てのものが私たちを見守ってくれている。そんな気さえした。


 ここがゴールではない。これは新たなスタートだ。


 冴子さんと私の新しい始まり。

 

 

  

 

 

 

「奈津、また見てるの。最近よく見てるよね」


 私はウェディングドレスを着た二人の写真を無意識に見入っていた。


「新しい額縁に入れ替えたら以前より見栄えがよくて」


 写真はリビングの中央に白い木製の額縁に入れられて飾られている。


「あれから五年も経ったなんて早いなぁって思いません?」


「本当ね。また撮りに行く? 次は白無垢とかで」


「白無垢、お着物もいいですね」


 冴子さんとあの写真を撮ったのも気づけば五年も前に遡り、私は当時の冴子さんと変わらない年になっていた。


 同じくらいの年になれば冴子さんみたくかっこよくなれるんじゃないか、なんて少しだけ思ってたけど、なかなか理想にも冴子さんにも及ばない。


 長い時の中で私たちにも色々な変化があった。


 冴子さんは広報部の係長になり、なかなかに忙しい日々を送っている。人の上に立つというのは、それなりに大変なようだ。


 私も何とか今のところ異動もなく、冴子さんの下で相変わらず後輩として働いている。


 冴子さんの親友であり、私の良き先輩であったたちばな先輩は人事部へ異動してしまったのが未だに残念でならない。


『私がその気になれば冴子を地方に飛ばしてやるんだから』が口癖になっていた。


「奈津、喉乾いたんだけど、何か持ってきてくれない? 今動けなくて」


「いいですよ。コーヒーでいいですか?」


「うん、お願い」


 私はキッチンへと赴き、アイスコーヒーを淹れて持っていった。


 リビングのソファに座る冴子さんの膝の上には丸くなって眠る黒猫と、その横で寝転がって伸びている白い仔猫がいた。


 猫に甘い冴子さんは、こうなったら猫たちが動くまでじっとしている。


「ソフィアとルビィもすっかり仲良しになりましたね」


 私はふわふわの猫たちの背中を撫でた。


「本当ね。仲良くなってくれてよかった」


 私たちは三年前に以前よりも広めのマンションへと引っ越した。ペット可のマンションだったため、今では猫が同居人として増えていた。


 黒猫のソフィアはここに越してきてすぐに、冴子さんが知り合いから保護猫を引き受けた。当時はまだ仔猫だったソフィアもすっかり大人になり、落ち着いた猫になった。


 白い仔猫のルビィは私が保護した猫だった。


 一カ月前にスーパーの帰りに公園に捨てられていたのを見つけて、ほうっておけなくて連れ帰ってしまってのだ。


 どちらも私たちの家族だ。


 私と冴子さんの子供のようなものと言っていいかもしれない。


 家族が増えて二人きりの時よりも賑やかになった。


 猫好きの冴子さんより、私の方が夢中になってることすらある。


「そう言えば日奈ひなちゃん、大学卒業したらこっちに戻って来るの?」


「日奈は向こうで就職するつもりらしいです。私や両親としては帰って来てほしいんですけどね、日奈にも夢がありますから」


 私の妹の日奈は現在、遠く離れた北の大地で暮らしている。昔から北海道で暮らしてみたいという夢があり、両親の反対を何とか説得して、今に至る。


 日奈としてはもう少し北海道にいたいらしく、就職も向こうですることを希望していた。


「なかなか会えなくて寂しいね、奈津」


「とか言って昨日も電話で話してたじゃないですか」


「まぁね」  


 冴子さんと日奈はけっこう仲が良く、よく電話したりメールをしている。


「昨日は何の話してたんですか?」 


「特に大した話はしてないよ。あなたのお姉ちゃんは三十過ぎても可愛いってね。そんな話」


「⋯⋯何ですか、その話」


 不意打ちに恥ずかしくて目が合わせられない。

 

「奈津、ちょっとこっちに来て」


 手招きされて私は冴子さんの隣りに腰を下ろす。


「しばらくここから動けそうにないから、甘えさせて」


「しょうがないですね。いいですよ」


 冴子さんが私の手を取ったので、ぎゅっと握り返した。


 自然と唇が触れ合う。


 何度目なのかもう数えることすらできなくなったキスをする。


 いくら重ねてもキスの甘さは始めての頃と変わらない。


 あれから私たちの身の回りは変わったこともあれば、変わってないこともある。 


 だけど、私にとって冴子さんがかけがえのない存在なのは、きっとこれからも変わらないことの一つだ。 


 冴子さんと私の日々はこれからも続いていく。    

         

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