第13話 イジメ

 その後翔太は、午前中は比較的平和に過ごすことができた。

 しかし、〝彼〟――成瀬が、翔太に平和な学校生活を送らせてくれるわけもなく、昼休みに入ると同時に、翔太を校舎の裏へ連れて行き、


「あぐッ!?」


 鼻っ柱を殴られた翔太は、涙目になりながらもたたらを踏んだ。

 鼻血は出ずに済んだが、鼻の奥がツーンとくる痛みに涙目になる。

 翔太を殴った相手は、成瀬の取り巻きの一人――加藤だった。


「おいおい。顔はやめとけって言ったろ。一応これはなんだからよぉ。怪我はさせちゃいけねぇよ」


 それこそ一応というべきか、ボクシングごっこの審判レフェリーを務める成瀬が、加藤を諫める。


「サーセン」


 と謝る加藤の顔には、成瀬と同種の醜悪な笑みが浮かんでいた。


「しゃあねぇ。加藤にはペナルティーだ。広田と交代しろ」


 加藤とタッチしながら交代し、翔太と対峙するのは、成瀬の取り巻きの一人――広田。成瀬を中心にしたこの三人が、いつも……いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも翔太をイジメているメンバーだった。


「オラ! オラ! オラ!」

「うッ! ぐッ! かはッ!」


 広田が執拗に、翔太の腹部を殴ってくる。

 半ば破れかぶれになりながら、パンチとすら呼べないしょっぱい反撃をかえすも、あっさりとかわされてしまった挙句、


「おいおいおい。今の攻撃は危ねえなぁ、新野。審判としては見過ごせねぇからペナルティーだ。今からお前、そこから一歩も動くなよ」


 自称審判にペナルティー扱いされてしまい、その場を動くことすら封じられてしまう。


「そいじゃあいくぜ。新野」


 心底楽しげに頬を歪め、指の骨を鳴らしながら広田が近づいてくる。

 たまらず、その場にしゃがみ込んで亀のように縮こまろうとするも、


「おっと、しっかり立ってファイティングポーズをとらねぇと、またペナルティーを与えるぞ。俺が広田と交代するという、ペナルティーをなぁ」


 成瀬は腐ってもボクシング部員だ。

 パンチの重さも鋭さも容赦のなさも、加藤や広田とは次元が違うことを、翔太はそれこそ身を以て知っている。

 同じ地獄なら少しでもマシな方がいい――そう思った翔太は、顔を青ざめさせながらも立ち上がり、ファイティングポーズをとった。


「よ~し、それでいい。広田。再開していいぞ」


 その後翔太は、サンドバッグのように広田に殴られ続けた。

 さすがに防御行為はペナルティー扱いされなかったものの、決して運動神経が良いとは言えない翔太の防御が巧みなわけがなく、腹を、腕を、背中を、ひたすらに殴られ続ける。


 殴られ続けている間、成瀬にペナルティー扱いされない程度に大袈裟に苦悶の声をあげることでSOSを発信するも、無駄な足掻きであることはやっている翔太自身が一番よくわかっていた。


 今いる場所は、視聴覚室などといった授業以外では使われることがない教室が密集している校舎の裏なので、人目に付きにくい。

 校外においても人通りが少ない場所に位置し、おまけに、学校の敷地を隔てるフェンスのすぐ内側には雑木林が生い茂っているため、意図して校内を覗かない限りは、道行く人たちが翔太がイジメられていることに気づくことはまずない。

 仮に、学校の敷地内外問わず誰か人が近づいて来たとしても、


「来たぞ……!」


 見張りをしていた加藤が事前に報せ、人がいる間だけボクシングごっこを中断。

 翔太がイジメについて学校に相談してもろくに取り合ってもらえないのは、学校側がイジメという面倒事から目を背けているという理由も勿論あるが、教師の前では大っぴらにイジメをしないという成瀬たちの狡猾さも一因していた。

 一学期の後半にあった、女子の水着を盗んで翔太の水着と入れ替えるといったおおごとを起こす場合でも、足がつくようなヘマは決してしない。翔太にとって、成瀬、加藤、広田の三人は、比喩でも何でもなく悪魔そのものだった。


「うぶッ!?」


 広田のボディブローが鳩尾に入り、翔太はうずくまる。


「はい、カンカンカ~ン。T~K~O~」


 ひどく気怠げに、成瀬がボクシングごっこの終了を告げる。


「そろそろ学食も人がけてる頃だろ。飯食いに行こうぜ」


 そう言って成瀬は満面の笑みを浮かべ、翔太に手を差し伸べる。

 この手を掴んで立ち上がりな――なんてことを言うわけもなく、


「ボクシングごっこのトレーニング料だ。俺と加藤と広田の飯代、さっさと出しやがれ」

「え? いや……」

「いやじゃねぇよ。こっちはさっさと出せっってんだ。さすがに日本語がわからねぇほど愚図じゃねぇだろ」


 お金を出さなければ、殴られる。

 加藤と広田に散々殴られた後に成瀬に殴られたら、それこそ本当に身が持たない。下手をすると死んでしまうかもしれない。

 そんな考えが脳裏をよぎった翔太は、震える手で制服のポケットから財布を取り出し、


「最初からそうすりゃいいんだよ……チッ、相変わらず時化しけてやがんな」


 成瀬に強奪され、中に入っていた二枚の一〇〇〇円札を根こそぎ抜き取られた。


「それじゃ〝また〟な」


 翔太の財布を放り捨てながら、成瀬は加藤と広田を引き連れて去っていく。

 海玲と交わした〝また〟とは比ぶべくもない、最低の〝また〟を言い残して。


(大丈夫……僕は大丈夫……)


 そう自分に言い聞かせる。

 財布の中身の二〇〇〇円は、成瀬たちに奪われることを見越した上で入れていた金額だった。

 これ以上金額を多くしてまうと翔太の懐へのダメージがでかくなり、これ以上少なくしてしまうと成瀬たちの不興を買って手酷いイジメを受けることになる。


 全ては計算どおりで予想どおり。

 だから、僕は大丈夫。

 そう自分に言い聞かせる。

 呪文のように、ひたすら自分に言い聞かせる。

 そうしないと、今にも脳裏に自殺の二文字が浮かんでしまいそうだから。

 その方がきっと楽になれるって、考えてしまいそうになるから。


(でも……)


 海玲のことを思い浮かべる。

 彼女の笑顔を、脳裏に浮かび上がらせる。

 それだけで、自殺の二文字がどこかへ消えていく。

 死んだら楽になれるかもしれないけれど、そんなことをしたらもう二度と彼女と楽しい一時ひとときを過ごすことができなくなるぞと、自分に言い聞かせる。


(大丈夫……僕は大丈夫……)


 もう一度唱えた呪文は、先程まで唱えていたものと同じはずなのに、先程よりも確実に、翔太の心を奮い立たせた。

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