第9話 クレーンゲーム

「なんか……色々とごめんなさい」

「いや……こちらの方こそ、なんかごめん」


 映画館を出てすぐに謝ってきた海玲に、翔太も謝り返す。

 さすがにハンバーガーショップを出た直後のようなたどたどしさはないが、一〇分以上異性と密着していたことへの気恥ずかしさのせいで会話が弾まない。

 それと、会話が弾まない理由がもう一つ。


「さすがに、そろそろ帰りのことも考えた方がいいかもしれないね」


 スマホを画面を見ながら、翔太は言う。

 時刻は、すでに一六時を過ぎていた。

 海玲の家が駅からどれくらい離れているかわからない上に、海玲が危惧している事態――事故で電車の遅延が発生した場合は非常にまずい。

 彼女がDVを受ける理由は、少しでも減らした方が良いに決まっているから。


 そんなことを考えていた翔太の袖を、海玲は控えめに摘まみ、控えめに引っ張る。


「もう少し……もう少しだけ……お願い」


 胸が締めつけられるくらいに、切実な懇願だった。

 海玲が、まだ自分と一緒にいたいと思ってくれているのは嬉しいけれど、それだけ父親のいる家に帰りたくないと思っていることが、とても哀しくて、とてもつらくて、少しだけ、海玲の父親に怒りを覚えた。

 実の娘をここまで追い詰めるなんて、どれだけひどい父親なんだと思った。

 けれど、その一方で、海玲の父親を悪し様に思うことに抵抗を覚えていた。

 だって、いくらDVがひどいといっても、海玲の父親であることに変わりはないのだから。


 思えば、自分は親に恵まれていたんだなと翔太は痛感する。

 父も母もとても優しくて、一人暮らしがしたいというワガママを許してくれるどころか、全力で支援してくれて……本当に、感謝してもしきれない。

 二人の子供で良かったと、心の底から思える。


 けれど、そんな気持ちさえも、理不尽な暴力の前では吹き散らされてしまう。

 自分が死んだら悲しむ人間がいることがわかっていても、理不尽から逃れたいがために自殺を考えてしまう。


 それほどまでの理不尽の根源が、他ならぬ父親である海玲のつらさは如何ほどのものなのかは、イジメという理不尽を受けている翔太でさえも想像がつかなかった。

 海玲の口から母親について全く聞かされなかったことを鑑みるに、何かしら事情があって母親を頼れないのは明白だった。

 ならば海玲は、いったい何を頼りにして生きていけばいいのだろうか?


(僕がその役目を……なんて言うのは烏滸がましいかもしれないけど)


 でも、それでも、たとえほんの少しでも、彼女が明日を迎えたいと思えるようになるのなら、全力でその手助けをしてあげたいと心の底から思う。


 なぜなら、今こうして夏木さんと一緒にいるだけで僕は救われているから。

 夏木さんと出会わなければ、たぶん、きっと、僕はあのビルから飛び降りていたと思うから。

 今こうして僕が生きているのは、夏木さんのおかげだから。


(でも……)


 彼女のために、いったい何をすればいいのかがわからない。

 自分のことすらどうにかできない自分に、彼女のDVをどうにかするなんて、とてもじゃないができる気がしない。

 彼女が受けている理不尽が、自分のように赤の他人からならば、まだやりようがあったのかもしれないけれど、父親からなると余計にどうすればいいのかわからなくなる。


 だから、せめて、今この時だけでも彼女に楽しいと思わせたい。生きててよかったと思わせたい。その一心で、あと「もう少しだけ」でも海玲が楽しめる〝何か〟を求め、思案した。


(……そういえば、駅のすぐ傍にクレーンゲーム専門のゲームセンターがあったような……)


 ハンバーガー、映画に続き、クレーンゲーム。

 よくよく考えるまでもないほどにベタすぎるラインナップだが、ベタとは言い方を変えれば鉄板とも言う。辞書的な意味では違うかもしれないが、今はそういうことにしておく。

 それに、父親のせいで外出に制限が多そうな海玲には新鮮に映る可能性は充分あり得る。

 映画にしたって、彼女は、今日も含めてまだ二回だけしか行ったことがないと言っていた。

 たぶん、きっと、クレーンゲームも楽しんでもらえるはずだ。


「夏木さん。最後に、クレーンゲームで遊んでから帰るというはどうかな?」


 直後、海玲の顔に笑顔の花が咲きかけるも、


「あ……でも、ぬいぐるみとか大きな物を持って帰ったら……お父さんに……怒られる……かも」


 折角咲いた花が瞬く間にしぼむ様を見て、翔太は慌てる。


「で、でも、駅の傍にあったゲームセンターはクレーンゲーム専門だから、ぬいぐるみ以外にも、キーホルダーとかストラップとか持って帰ってもお父さんに気づかれにくい、小さな物もあるかもしれないよ?」

「それなら……うん。大丈夫かもっ」


 そうして二人は、駅傍のゲームセンターに向かうことにした。

 クレーンゲームの専門店なだけあって、ぬいぐるみが入っている筐体きょうたいや、翔太たちの目当てであるキーホルダーやストラップが入っている筐体は勿論、あろうことかアイスクリームなどといった食べ物が入っている筐体まで置かれていたことに、翔太も海玲も驚かされる。


「ネットで偶にそういうやつを見たことがあったけど、まさか実物を見られるとは」

「わたしは、食べ物を取るクレーンゲームが存在していたこと自体にビックリしたかも」


 二人して苦笑しながら筐体を見て回っていると、


「新野くん! アレ見て! ウサもんがいっぱい!」


 弾んだ声を上げながら、海玲は店の奥にあった筐体に駆け寄る。

 その筐体の中には、海玲がLINEのスタンプでよく使っている、ウサギのキャラのぬいぐるみが大量に寝そべっていた。


「ふわぁ……」


 筐体のガラスに両手をつき、食い入るように見つめる。

 ちょっとプルプル震えているところが、可愛らしくも微笑ましい。


「やっぱり、ぬいぐるみにする?」


 訊ねるだけ訊ねてみるも、海玲は断腸の思いといった風情でかぶりを振った。


「お父さん……こういうのは、自分で買い与えた物以外は許してくれない人だから……」


 心底残念そうに、それでいてひどくつらそうに、海玲は言う。

 その言葉に込められた闇が、ただただ深かった。が、このまま闇に呑まれてしまっては、それこそ台無しというものなので、翔太はすぐさま隣にあった筐体を指でさし示した。


「夏木さん! こっちにウサもんのストラップがあるよ!」

「ほんとっ!?」


 今度は隣にあったストラップの筐体に駆け寄り、ガラスに両手をついて食い入るように見つめる。

 今の海玲のはしゃぎっぷりが、あまりにも無邪気すぎるせいか、中学生と見紛うほどに小さな彼女が今は小学生くらいに見えて仕方なかった。


(さ、さすがにそれは夏木さんに失礼かな……)


 などと思いつつも、そんな彼女があまりにも可愛らしくて、そんな彼女が楽しそうにしているのが嬉しくて、ついつい頬を緩めてしまう。


「それじゃあ、わたしからっ」


 海玲は勇みながら財布から一〇〇円玉を取り出し、筐体に投入する。


 ストラップの筐体は、ぬいぐるみの筐体とは違い、一度のプレイでは落とし穴まで持っていくのが困難なつくりになっていた。

 そのため、店側が一〇〇円で二回プレイできる設定にしてくれていることはさておき。

 景品ストラップをプラスチック容器でラッピングすることで、クレーンのアームに引っかかりやすくしているとはいっても、ぬいぐるみに比べると格段に凹凸が少なく、格段に小さいためアームで掴むのはほぼ不可能。

 そのため、筐体奥に乱雑に陳列されている景品の群れをアームで引っかけ、少しずつ動かして落とし穴に誘導するやり方が、この筐体での基本戦術となっていた。

 奇跡的にアームが景品を掴み取れれば、一プレイで落とし穴に持っていける可能性もなくはないが、


「あぁ……!」


 その奇跡は、たった今翔太の目の前で潰えてしまった。

 海玲の操ったアームが、景品にかすりもせずに盛大にスカってしまったのだ。

 一〇〇円二プレイなので、二回目に挑戦するも……先程と同じように、盛大にアームがスカってしまう。

 海玲のアーム捌きは、お世辞にも上手だとは言えなかった。


 筐体のガラスに両手をついてプルプルと震えながら、食い入るようにウサもんストラップを見つめる海玲の姿は、プレイ前と全く同じ姿のはずなのに印象はまるで違って見える。

 端的に言うと、物凄く悔しそうだった。


 あまりにも真剣すぎる海玲に苦笑しながらも、彼女のためにウサもんストラップをゲットしようと海玲に負けず劣らず勇みながら、翔太は一〇〇円玉を筐体に投入する。

 意気揚々とアームを操作して……先程の海玲に負けず劣らず盛大にアームがスカってしまう。

 アレ? おかしいな? と首を傾げてから二回目に挑戦するも、アームの爪が景品にかするだけの結果に終わってしまう。


「…………」

「…………」


 今日一番重苦しい沈黙が、二人を押し包む。


「今のは、遠近感を掴むためのウォーミングアップだから」

「わたしも、今ので遠近感は掴めた気がする」


 滑らかに言い訳を吐いたところで、第二ラウンドへ。


「あぁ……っ」


 予想どおりというべきか、早速海玲の口から悲鳴が上がった。アームが景品に引っかかったのにもかかわらず、ほとんど動いてくれなかったのだ。

 気を取り直して二回目に挑戦するも、今度は完全に空振り。

 露骨にションボリしながら、翔太と交代する。


(さすがに、あまりお金も時間もかけていられないから……!)


 と意気込みながらアームを操作するも、


「……あ」


 思わず、間の抜けた声を漏らしてしまう。

 アームを止めた位置が、想定よりも大幅にズレてしまったのだ。


(ミスった……)


 と項垂れかけたその時、アームに付いた二本の爪が二つの景品をまとめて抱え込む様を見て、翔太は瞠目する。

 一つでは掴むことがほぼ不可能な景品が上手い具合に二つくっついたことで、奇跡的にアームが掴み取ってくれたのだ。


「そのまま! そのまま!」


 後ろから、興奮気味の海玲の声援が聞こえてくる。

 その声援に応えるように、アームは二つの景品を抱えたまま落とし穴へ向かい……爪が開いた直後、一つは穴の手前で踏み止まり、もう一つはしっかりと穴の中へ落ちていった。


「すごいすごい! 新野くんすごい!」


 気味どころか完全に興奮している海玲の声を背中で受けながら、取り出し口から景品――ウサもんストラップを取り出す。

 翔太的には完全にミスったと思っていたので締まらないにも程があるが、思いのほかお金も時間もかけずにゲットできたし、海玲も喜んでくれているから良しとしようと、自分に言い聞かせた。


「はい。夏木さん」


 ウサもんストラップを渡すと、海玲は両手で掲げながら「ふわぁ……」と感激の吐息を漏らす。

 表情は、誕生日プレゼントもらった子供そのものだった。

 そんな海玲が可愛らしくて微笑ましくて、ついつい見とれてしまっていると、


「に、新野くん! クレーン! 勝手に動いてる!」


 残り一回分の存在をすっかり忘れていた翔太は、制限時間が過ぎて勝手に動き出したアームを慌てて操作するも……時すでに遅し。

 アームは何もない空間を掴んだ後、トボトボと定位置に引き上げていった。


「ま、まあ……いっか」


 なんとなく損した気分になったが、海玲のためにウサもんストラップをゲットするという目的は達成できたので良しとしようと、またしても自分に言い聞かせる。


「夏木さん。ストラップも取れたし、そろそろ――……夏木さん?」


 海玲がストラップの筐体を、じ~っと見つめていることに気づき、眉をひそめる。

 翔太の視線に気づいた海玲は、


「えあ? あぁ……その……えと……に、新野くん。少しだけ待っててもらってもいいかな?」


 いったい何を「待ってて」なのかわからず、曖昧に首肯を返すと、海玲は三度みたび財布から一〇〇円玉を取り出し、先程までプレイしていたストラップの筐体に投入する。


「な、夏木さん?」


 と問いかけるも、集中しているのか、物凄く真剣にアームを睨む海玲には聞こえていない様子だった。

 ほどなくして、海玲が操作するアームが動き出す。

 狙いは勿論、先程翔太が二つ同時に掴んだ際、穴に落とし損ねた景品。

 ちょっと引っかけるだけで簡単に落ちそうな案配になっているが、それでも海玲には難しいらしく、二回続けてアームがスカってしまう。


(確かに、あともう少しで取れるなら、誰だって取っておきたいって思うよね)


 得心しながら交代しようとするも、海玲はなぜか続けて一〇〇円玉を投入し、またしても二回続けてアームが空を切ったところで、またしても即座に一〇〇円玉を投入。

 なんとなく話しかけづらい雰囲気に翔太が圧倒されているうちに、


「やたっ!」


 ついにアームが景品に引っかかり、穴に落とすことに成功した海玲が歓喜の声をあげた。


「おめでとう! 夏木さん!」


 我が事のように喜ぶ翔太をよそに、海玲は取り出し口から景品を取り出す。

 そして、


「……はい。新野くんの分」


 両手で持った景品それを、翔太の目の前に差し出した。

 いつの間にか真っ赤になっている顔を俯かせて。


「な、夏木さん? 僕の分とはどういう……」


 意味?――まで紡ぐ前に、言葉尻が萎んでしまう。

 言っている途中で、なんとなくだけど、まさかとは思うけど、「新野くんの分」の意味を理解してしまったから。

 


 そして、まさしく翔太の理解が正しいことを示すように、海玲は言う。


「わ、わたしと……お揃いって……こと」


 羞恥の限界がきているのか、か細い声音で海玲は続ける。


「ほとんど新野くんが取ったようなものだけど……受け取ってくれたら……その……嬉しい……です」


 一方の翔太も、あっという間に羞恥の限界にきてしまったため、顔が真っ赤になっていた。


「い、いいの? 僕なんかとお揃いで?」

「『なんか』じゃない!」


 いきなり大きな声を上げる、海玲。

 これには店内にいた店員も他の客たちも驚いたらしく、それなりの数の視線が二人に集中する。

 これ以上の羞恥に耐えられなかった翔太は、咄嗟に海玲の手を握り、


「で、出よう! 夏木さん」

「う、うん!」


 海玲もまた握り返し、視線から逃げるように小走りでこの場から去っていった。

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