第7話 ハンバーガーショップ

 時刻が一二時半を過ぎたところで、翔太はようやく海玲と合流する。

 実のところ、こちらから迎えに行くことも考えたが、そんなことをしたら彼女に「一人で電車に乗れない」というレッテルを貼り付けることになる気がしたので、隣町の駅のホームで彼女の到着を待つことにしたのであった。


「ほんっとうに、ごめんなさいっ!」

「い、いや。そんなに謝らなくてもいいよ。なんだかんだで、夏木さんとのLINEは楽しかったし」


 その言葉に嘘はなかった。

 陰キャ気質のせいか、こうして面と向かって話すよりも、LINEを介した方が格段に話しやすかった。


(勿論、そんな気質はさっさと解消して、普通に夏木さんとお喋りできるようになりたいけど……!)


 などと意気込みながら、話の流れを変えるために口を開く。

 だが、


「と、ところで!」


 変に気合を入れすぎたせいか、第一声が変に裏返ってしまったことにヘコたれそうになる。


「ご、ごはんは、どこで食べますか?」


 どうにか発した第二声は、無駄に緊張したせいで無駄に敬語になってしまった。締まらないにも程がある。


「に、新野くんが決めたところなら、どこでもいいですっ」


 海玲は海玲で、無駄に語気が強く、無駄に敬語になっている。

 無駄に緊張しているのは、どうやら海玲も同じらしい。


「……ぷッ」

「……っ」


 なんだかそれがおかしくて、二人してちょっと噴き出してしまう。

 そのおかげで肩の力が抜けたのか、次に口から出した言葉は、翔太自身がちょっと驚いてしまうくらうにスムーズだった。


「どうして僕たち、面と向かうとこうなっちゃうんだろう」

「LINEだと、けっこうお喋りなのにね」


 どうやら、肩の力が抜けたのは自分だけではないらしい。

 海玲と普通に会話ができたことに、翔太は内心感動を覚える。


「お昼は、ベタだけどハンバーガーにするのはどうかな?」

「いいかも。久しぶりにソフトクリームも食べたいし」


 今の僕、けっこう陽キャしているのでは?――と、勘違いしてしまいそうなやり取りを交わしてから、駅を出てすぐのところにあるハンバーガーショップへ向かう。

 昼時でなおかつ駅前だからか、店内ではけっこうな列ができていたが、客の回転が早かったおかげでたいして待たされることなくレジにたどり着くことができた。


 翔太はチキンバーガーのセットを、海玲はベーコンレタスバーガーとアイスティーを注文する。

 客の数が多いためハンバーガーがすぐには用意できないとのことなので、メインディッシュ不在のトレイを手に、二人は空いている座席に移動した。


「新野くん。カップのソフトクリームはね、邪道なの」


 席についた途端、海玲は力説する。

 ソフトクリームはハンバーガーを食べ終わってからまた並んで注文すると海玲が言った際、翔太が何の気なしにカップのソフトクリームを勧めたことに対して出てきた力説だった。

 ハンバーガーショップゆえに、ソフトクリームスタンドなどという気の利いた物がないことを考慮しての提案だったが……どうやら海玲は、コーンのソフトクリームに強いこだわりがあるようだ。


「そもそもカップのソフトクリームって、ただのアイスクリームだとわたしは思うの。コーンとセットにして、初めてソフトクリームって呼べると思うの」

「わかった! 僕が悪かったから、もう勘弁してください!」


 滔々とうとうと語り続ける海玲に、翔太は頭を下げて謝罪する。

 海玲は、わかればよろしいと言わんばかりに「ふふん」とドヤ顔を浮かべた。

 見た目からして押しが弱そうだと思っていたが、海玲が存外押し――という推しが強いことを翔太は思い知る。

 そうこうしているうちに、店員が二人のハンバーガーを持ってきてくれたので、


「「いただきますっ」」


 二人同時に、はむりと齧り付いた。

 こうして誰かとご飯を食べるのが久しぶりなせいか、その相手が海玲だからか、食べ慣れているはずのチキンバーガーが、なぜかいつもよりもおいしく感じることに翔太は目を丸くする。

 夏木さんも、そうだったら嬉しいな――と思いながら顔を上げると、翔太と同じタイミングで顔を上げた彼女と視線がぶつかった。


「なんか、いつもよりおいしく感じたんだけど、夏木さんも?」


 海玲はコクコクと頷く。


「たまに友達と一緒に食べる程度なんだけど、それでも、はっきりとわかるくらい今の方がおいしい!」


 ストレスが味覚に与える影響は大きい。

 片やイジメのせいで、片やDVのせいで多大なストレスを受けている二人に、日々の食事を楽しむ余裕などあるはずもなかった。

 いつ暴力を振るうかもわからない父親と、二人で食事を摂らなければならない海玲は特に。


 それが今、しっかりとおいしく感じるということは、それだけ二人が今ストレスから開放されている証拠であり、それだけ二人が今という時間を楽しんでいる証拠であり、それだけ二人がお互いに惹かれ合っている証拠でもあるわけだが……そんなことは露ほども気づいていない二人は、いつもよりおいしいハンバーガーを堪能した。


 ハンバーガーを平らげた後、海玲はレジに並び直し、お待ちかねのソフトクリームを手に席に戻ってくる。

 どうせなら翔太も一緒にソフトクリームを食べようかと考えたが、ポテトがいまだにけっこうな量が残っていたので断念した。


 余程ソフトクリームが好きなのか、海玲は頬を緩めながらソフトクリームを一舐めする。 

 直後、緩んでいた頬がさらに緩み、瞳にキラキラとしたお星様のような光を舞い散らせた。


「やっぱり! いつもよりおいしい!」


 半ば興奮気味に、それ以上に幸せそうにソフトクリームを舐める。

 そんな海玲を見ているだけで、翔太は幸せな気分になってくる。


(あぁ……)


 この幸せな時間がずっと続けばいいのにと思う。

 明日が――いや、と、心の底から思う。


 やがて、海玲がソフトクリームを食べ終わる。

 もう少し、幸せそうにしている海玲を見ていたかったと内心残念に思っていた翔太だったが、最後のポテトを咥えたところでふと気づく。

 彼女の鼻の頭に、ソフトクリームが付いていることに。

 そのことを伝えようと思い、口を開きかけるも、


(いや、待てよ。この状況シチュエーションは……)


 漫画かアニメかドラマか、あるいはその全てか。

 兎にも角にもラブコメなどでよく見かける、「彼女の顔についたソフトクリームを指ですくって舐め取る」という、一度はやってみたいと憧れたイケメンムーブを実行できる絶好の状況シチュエーションだった。


(いやいやいや……いやいやいや! ない! さすがにそれはない!)


 これはデートではないのだ。

 さらに言えば、僕は夏木さんの彼氏でもなんでもない、昨日出会ったばかりの赤の他人なのだ。

 そんなことをして、いいわけがない。

 そもそも、陰キャの僕にはあまりにもハードルが高すぎる。


 だけど、


(こんな状況シチュエーションは、もう死ぬまで訪れないかもしれない……)


 それ以前に、こうして女の子と二人きりで会うこと自体、もうないかもしれない。そんな自己評価の低さに後押しされた翔太は、陰キャにあるまじき暴挙イケメンムーブに出ることを決意した。


「な、夏木さん……!」


 名前を呼ばれ、こちらを向いた海玲の顔に手を伸ばす。その動きの緩慢さと、手の震えっぷりは、内心のヘタレっぷりを如実に表していた。


「ど、どうしたの?」


 当然といえば当然だが、海玲は伸ばした手から逃げるように微妙に後ろに下がり、翔太は内心ヘコたれそうになる。


「いや……夏木さんの鼻に……ソフトクリームが……付いてたから……」


 海玲は言われて慌てて手で鼻を触ろうとするも、


「あ……」


 中途半端に手を伸ばしてプルプルと震えている翔太を見て、海玲もまた、中途半端に手を持ち上げたところで動きを止めてしまう。

 そんな翔太を見て、海玲は何を思ったのか、


「えあ……そのね……」


 みるみる顔を赤くしながら、目を閉じ、鼻を突き出し、


「と、と、と……取って……! 新野くん……!」


 懇願した。

 まさか本人から了承を得られるとは夢にも思わなかった翔太は、あまりの衝撃に石化したように固まってしまう。が、顔を赤くして、目を閉じて鼻を突き出している海玲の姿がキスをせがんでいるように見えてしまったため、石化は即座に解除。

 代わりに、先程の海玲以上の早さで顔が赤くなり、シバリング――寒さなどで体が震える生理現象――でも起きているのかという勢いで体が小刻みに震え始めた。


 取って――そう言われた以上、取るしかない。

 海玲の鼻の頭に付いた、ソフトクリームを。


 翔太は恐る恐る身を乗り出し、伸ばした手を海玲の鼻に近づけていく。

 破裂しそうな勢いで脈打つ心臓のせいで、周囲の音が何も聞こえない。


 けれど、少しずつ少しずつ、亀の歩みのようにゆっくりと指先を海玲の鼻に近づけていき――


「と、取ったよ。夏木さん」


 ソフトクリームを人差し指ですくい取った翔太は、乗り出した体を椅子に沈めた。さすがに、人差し指のソフトクリームを舐め取る度胸はなく、かといって紙ナプキンで拭い取る気にもなれなかったので、バディものの刑事ドラマの某キャラさながらに、人差し指を立てたままにしていた。


 海玲が恐る恐る目を開く。

 自然というべきか当然というべきか、海玲の目は立てっぱなしになっている翔太の人差し指に止まった。


 その先端に付きっぱなしになっているソフトクリームを見て何を思ったのか、海玲はいまだ赤いままの顔を俯かせると、両手のひらを翔太の人差し指に向け、衝撃的な言葉を訥々とつとつと紡いだ。


「えあ……その……えと……ど、どうぞ……」


(ど、どうぞ……って?)


 答えがわかりきっているのに自問する。

 海玲は、自分の鼻に付いていたソフトクリームを、今は翔太の人差し指に付いているソフトクリームを、食べていいと言っているのだ。

 そうでなければ、俯いている彼女の耳があんなにも真っ赤になっているわけがない。それほどまでに、海玲にとっても、勿論翔太にとっても、小っ恥ずかしい話だった。


「そ、それじゃあ……いただきます……」


 言ってから恥ずかしくなったし、何なら海玲も恥ずかしく思っている様子だったが、後の祭りだったので意を決してソフトクリームを舐め取る。

 海玲の鼻に付いていたソフトクリームの味は、ただただ甘かった。


「わ、わたっ、わたし! ちょっとお手洗いいってくる!」


 裏返った声で言うと、翔太の返事も待たずに、脱兎如くお手洗いへ逃げていった。


 翔太は、しばしの間お手洗いの方を見つめ。

 続けて、人差し指を見つめ。

 テーブルに突っ伏する。


(あぁぁああぁあぁぁああぁあああぁぁあぁぁあああっ!!)


 心の中で目いっぱい叫ぶ。

 恥ずかしくてこそばゆくてむず痒くてたま)らない。堪らないのに、もう二度とこんなことはしたくないとは、これっぽっちも思わない。

 またやってみたいとすら思ってしまう。

 その一方で、やっぱり無理とも思ってしまう。


(なんだこれっ!! なんだこれっ!?)


 かつて経験したことのない感情の荒波に、翔太はひたすら翻弄され、ひたすら悶絶していた。



 ◇ ◇ ◇



 お手洗いに入った海玲は、中に誰もいないことを確認してから洗面台の前に立ち、鼻の頭にソフトクリームが付いていないことを確認する。

 そして、


「~~~~っ」


 その場でトントントントン足踏みして身悶えた。


(『取って』ってなに!? 『どうぞ』ってなに!?)


 先程の自分の言動を思い出し、恥ずかしさとこそばゆさとむず痒さが込み上げてくる。

 先程の自分は、自分で自分がわからなくなるくらいに大胆だった。


(わ、わ、わた、わた、わたし、し――)


 動揺しすぎて、体も心もワタワタしてしまう。


(――わたしって、あんなことするような子だったのっ!?)


 自分で自分に驚く。

 自分の中には知らない自分がいるという話はよく耳にするけれど、いくらなんでもこれは知らなさすぎる自分だと海玲は思う。


(で、でも……)


 あんな大胆なことをしたのに。

 あんなに恥ずかしかったのに。

 後悔とかは全然なくて。

 むしろ、ちょっぴり達成感みたいものさえ抱いていて。

 ちょっぴり、クセになりそうになっている。

 そんな感覚。


(わたし、本当にどうしちゃ――ひゃあっ!?)


 お手洗いに別の女性が入ってきて、心臓が飛び出しそうになる。

 その様子がおかしかったのか、それとも、考えたくはないけど、先程の翔太とのやり取りを見られてしまっていたのか、OL風の女性は微笑ましげにクスクスと笑いながら、お手洗いの奥へ消えていった。


(あ~……もぅ……)


 恥ずかしさのあまり、洗面台に手を突いて項垂れる。

 鏡に映る顔は、やはりというべきか、真っ赤なままだった。

 その後、翔太が待つテーブルに戻るまで、もう少し時間がかかったのは言うまでもなかった。

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