第8話 天泣

 もう夏休みも終わろうとしていた暑い夜。

 いつもと同じようにやってきたその日は少しだけいつもより特別だった。

 そう、最後の神様、大烏に会いに行く日だ。

 昨日家宝を全て回収し終えた私達は、今日、いつもの公園に集合し、とりまるの家の神社、烏丸神社に行くことになっていた。


 緊張で眠れないなんていうのは皮肉だが、昨日家に帰ってからの私は確かに緊張していたし、日中も上の空でいることが多かった。今思うと、親に夜中に外に出ていることがバレたのではないかとひやひやするほど、私は少し変だった。

 ついに最後まで来たことがうれしいのか、さみしいのか。

 きっと半分半分だ。



 夜が来た。気持ちのいいくらい晴れた清々しい夜だった。

 家を出る前、いつもより念入りに制服をチェックし、私はいつものように公園に向かった。


 公園に着くと、とりまるはすでに来ていて、軽く手を振ってきた。

「Good night! 心の準備はできてる?」

「いやー、緊張で眠れなかったわ」

「おいっ! つっこんでいいのかよくわからないボケやめろよ」

 いつものように軽口を叩きながら、とりまると過ごす、最後の夜を噛みしめる。

 終わっちゃうんだな。自然とそう思ってしまう自分は、やっぱりさみしいのかもしれない。気持ちがバレないように神社に着く前だけどもお面をつけてみた。ちらっと横を見てみると、とりまるもなぜかお面をつけていて、笑ってしまった。

「私たち誰かに見られたら通報されそう。夜中に烏のお面なんて不審者だよ」

「いや、制服着てる時点でアウトだから。お面着けてて誰かわかんないだけマシじゃない?」

 やっぱりいつもと変わらないしょうもない会話なのに、なぜか緊張はほぐれない。

 烏丸神社は今まで訪ねたどんな神社よりも公園から近いはずなのに、たった数分の道のりがものすごく遠く感じられた。


 神社に着いた。鳥居の前でセーラーのスカーフを正す。緊張が強まってくる。そっと手を差し伸べられたとりまるの手を握ると、暑いのか、緊張してるのか、汗でじんわりと湿っていた。


 いよいよだ。


「行こう」


 そう言うととりまるは緊張を振り払うように私の手を引き、鳥居をくぐり、ずんずんと本殿まで進んでいった。本殿に近づくに連れ、だんだんと私の手を握る力が強くなっていくのを感じる。


 本殿に着くと、私達は一礼し、鐘を思い切り鳴らした。こうして神様が出来きてくれなかったことなんてないのに、今日は本当に会えるのか心配してしまう。

 十秒くらいたっただろうか。いつものように半透明の姿が見えてきた。

 きっとあれが大烏に違いない。


「よく来たね」

 夜の闇と相まって、どこまでも黒く見える神様は、体からほんのりと白っぽい光を出しながら穏やかな口調でそう言った。低いけれど透明感のある、不思議と落ち着く声だった。

「伝説を訪ねて来てくれるなんて何百年ぶりだろう。会えてうれしいよ。さあ、さっそく最後の交換をしようか」


 その言葉を聞き、とりまるはネックレスをポケットから出した。

「こちらになります」

 そう言ってネックレスを両手に乗せて見せると大烏はかけてみろ、とでも言うように、首を少し下に向けた。

 戸惑いながらとりまるがネックレスを大烏にかけるとネックレスは真っ黒な神様の胸元で一段と輝いて見えた。

「美しいね。ありがとう」

 大烏は一呼吸おくと続けた。

「さあ、では願い事を聞くとしよう。君たちは何を叶えて欲しいのかな?」

 お面で表情などわからないのだけど、思わず私達は顔を見合わせた。

「とりまる、先にどうぞ。頑張って」

「ありがとう」

 短い言葉をかわし、再び大烏の方を見た。

「母に、死んでしまった母にもう一度会わせてください」

 とりまるが恐る恐るそう言うと大烏は優しくとりまるの頭を羽でなで、

「よかろう」

と答えた。


 しばらくすると光と共に1人の女性が現れた。

「お母さん!」

 そう言っていとりまるが駆け寄ると、女性は幽霊なのかすっと通り抜けてしまった。

「触れられはしないよ。それは私の力でも無理だ。ごめんな」

 大烏の言葉に首を振って答え、とりまるはもう母に向き直った。

「樹、元気だった? もう高校生になったのね」

 とりまるの母は慈しむように言った。

「あら、そこの女の子はお母さん知らないわ。彼女?」


 感動の再開だと思っていたのに、不意の言葉に顔が熱くなる。お面を着けてて本当によかった。こう思うのは何度目だろう。

 でも彼女じゃないんだな。ただの友達でも十分満足何はずなのに、どこかさみしく感じてしまう。

「違うよ、母さん。いきなりなんてこと聞くんだよ。――俺の片思いだから」

.

 おまけのように付け加えられた最後の言葉はとりまるは私に聞こえないように小さな声で言ったつもりなのだろうが、夜の静けさのせいでばっちり聞こえてしまった。

私も好きだよ。そう言いたいのにとっさのことで言葉がでなかった。悔しい。うれしいけど、悔しい。


「私たちはあっちの方にいるから、心行くまでお母さんと話しておいで」

 とりまる達に気を使ったのだろうか。大烏はそう言うと私に一緒に来るように促した。


「もう一つの願い事は君のかな?」

 とりまる達から十メートルほど離れると大烏は私に尋ねた。

「はい」

「何を叶えて欲しいのかな? 言ってごらん」

「あの、私眠れないんです。母が私が生まれるときに小夜っていう神様に眠りをあげてしまったらしくて。それで、眠れるようにしてもらえないかと思いまして……」

 緊張で上手く説明できなかったが大烏は小夜を知っていたらしく、きちんと伝わったようだった。

「なるほどね、君があの有名な小夜姫か。小夜のことは私もよく知っているよ。

でも、可哀想だがその願い事は私には叶えてあげられない。

他の神様に供えられたものを奪うなんてことは、私たち神様のなかでは絶対にやってはいけないことだからね」

「……じゃあ小夜に会わせてもらうことはできますか?」

 少し考えてからそう言った。眠れないままだとしても、自分の眠りをとった神様に、いや、自分を母に授けてくれた神様に会ってみたい気がしたのだ。

「それならできるよ。彼が戻ってきたら小夜を呼んであげよう。

でも、願い事はそれでいいのかい? もっと欲張ってもいいんだよ。

お金持ちになりたいとか、長生きしたいとか、……さっきの彼と付き合いたいとか」

「いいんです。小夜に会いたいんです」

 なんて恥ずかしいことを言う神様だと思いながらそう答えた。「ふうん」とだけ大烏は言うと私の頭を優しくなでた。

「そんな欲のない子には、特別サービス。幸せと勇気、あげとくよ」

 冗談なのか本当なのかわからなかったけれど、信じてみたくなった。お茶目な神様だ。


 十分ほどするととりまるがお母さんとやってきた。

「もういいのかい?」

「はい、話したいことは話せたんで」

「この子が心配だったのか?」

 にやりと笑うように言った大烏の言葉にまた顔が熱くなる。

「私はこの女の子の最初の願い事を叶えてあげられなかったし、何より君たちが気に入った。これからはいつでも夜に来てくれたらお母さんに合わせてあげよう」

 どうやらこの神様はお茶目なだけでなく、大変気前がいいようだ。

「えっ! ありがとうございます」

 とりまるは大烏にお礼を言うと母に向き直って別れを告げた。

「じゃあね、母さん。また会いに来るよ」

「うん、元気で」

 そう言って女性は優しく笑うとすっと夜の闇に消えて行った。


「ポカリ、じゃあ何をお願いするの?」

 とりまるに尋ねられ、さっきあったことを簡単に話した。

「なるほどね。よし、俺も会いたい!」

 とりまるがそう言うと、大烏は「では」と言い、ふっと消えた。


 三秒ほどすると再び半透明の姿が見えてきた。今度は誰か連れていた。

 ――――小夜だった。

 神様に向かって失礼だとは思うが、きれいな名前とは裏腹に現れたのは無精髭を生やしたおじさんの神様だった。


 複雑な気持ちだ。


「姫!」

 そう言って抱きついて来た小夜を思わず避けてしまった。

「こらっ! 女の子に何するんだ」

 大烏に怒られて小夜はしゅんとした様子でこっちを見た。

「僕に会いたかったんだって? 顔を見せてくれないか?」

 随分と想像していたのと違う神様だった。大烏の方を見ると、大烏がうなずいたのでお面を外して挨拶をした。

「はじめまして、帆刈藍です。お母さんのところに私を連れて行ってくれてありがとうございました」

 まずはずっと言いたかったことを伝える。小夜が微笑んだのを見て話しを続ける。

「あの、自分勝手なことはわかってるんですけど、眠りを返してもらうことってできませんよね?」

 無理だろうと思いつつも聞いてみる。緊張で心臓がうるさい。

「藍、大きくなったね。君に会えてうれしいよ。

 でも、眠りを返すことはできないな。僕は藍を藍の母さんに授ける代わりに眠りをもらった。交換条件だ。

 藍に同情する気持ちもあるが契約は契約だし、こんなに気持ちの良い眠りは手放したくない。そして何より、僕がすでに半分以上藍の眠りを使ってしまったから返したところで皆のようにはなれないよ」

 小夜が諭すように言った。

 やっぱだめか、そう思っていると唐突にとりまるが口を開いた。


「じゃあ、俺の眠りももらってもらえませんか?」


 あの日から、小夜が私の眠りを返してくれないかもしれないとわかった日から、こうしようと考えていたのだろうか。予想外の展開に頭が追いつかない。


「何言ってるの、とりまる! そんなことしてどうするの!」

 思わず私は叫んでしまった。自分の声の大きさに自分でびっくりしているととりまるは優しく言った。

「俺も眠らなくていいようになれば、ずっとポカリといれるだろ? 俺、ポカリが好きなんだよ」

 本日二度目の告白に顔が熱くなる。しかも今度はお面がない。恥ずかしくてとりまるの顔が見れない。


 気まずい沈黙を破ったのは小夜だった。


「お前がいいなら僕は喜んでお前の眠りを頂こう。もちろん、僕もお礼に何かするよ。どうする?」

「お願いします」

 微塵の躊躇いもなく、とりまるが答えていた。止める間もなく話が進んでいく。


「ポカリ、好きなんだ」

 だめ押しするかのようにとりまるが続ける。まっすぐな告白に息が詰まりそうになる。

 今度こそ、自分も言おう。


「私もとりまるが好き。……そりゃずっと一緒にいたいけど、でも、とりまるが眠れなくなるのは……」


 さっき大烏が本当に勇気をくれたのだろうか、自分も伝えられた。

 でも、今はとりまるを止めなきゃという気持ちでいっぱいだった。うれしいはずなのに涙が頬を伝う。


「そんな顔すんなよ。俺が眠らなくていいようになりたいんだからいいの。それにほら、授業中寝ることもなくなって成績もあがるかもしれないよ?

前にポカリは一人ぼっちの夜が辛いって言ってたけど、俺が眠れなくなってもポカリがいるから一人ぼっちじゃないし辛くないだろ?」


 散々止めようと思っていたのに、とりまるの優しさに思わずうなずいてしまう。


「じゃあ取り引きをしよう。僕は君の残りの人生の眠りを全てもらう。君は何が欲しい?」


「うーん、こっちの交換条件考えてなかったなあ。ちょっと待ってください、今決めます」

 とりまるは少し悩むとぱっと笑顔になって言った。

「俺とポカリが元気に過ごせるように見守っててください!」

 小夜はちょっと驚いたような顔をして

「よかろう。取り引き成立だ。

お前と藍が元気に幸せに過ごしていけるように見守っておこう」

と笑顔で言うと、とりまると私の頭に手を当てた。眠りを受け取っていたのか、幸せをくれていたのかわからないが、しばらくすると小夜は手を離し

「ではお幸せに」

というとぱっと消えた。


「じゃあ私も帰るとするか。元気でな、ふたりとも。また遊びにおいで」

 そう言うと大烏も消えて行った。夜の闇と一緒になったみたいだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る