第55話 投げられた賽も地に落ちる

 深雪さんによって精神的に蚊帳かやの外ならぬ蚊帳の内に取り込まれた僕はというと、これまた性懲りもなく彼女の自宅へ行っていた。

 僕は何かにすがらなくては生きていけない。

 この事をもはや否定できなくなり、今となってはその対象が怪しげな新興宗教でなかったことを喜ばざるを得ないという消極的な肯定しか出来なくなっていた。

 いつまでたっても巣立とうとはせず、読書という数多の作者・登場人物に心を寄せ、それを今度は身近な人に変えるという、いわゆるダメンズさ。


 しどけないいで立ちで彼女たちのもとへ通っている訳ではないのが、個人的な救いであるが、そんなものは気休めでしかなく、現代社会のどの年齢層に今の状態を話しても、好意的に捉えてくれる方はいないはずだ。

 いないだけなら良い。消極的な肯定であると表現したが、それはつまり、自分の中でも腑に落ち切ってはいないという事であり、読書から深雪さん達と来て、今度はどこへといった諦観もにわかに巻き起こっていたりもする。


 彩香のもとへそんな調子で行ったものだから、とうとう見かねてご機嫌斜め。

「お願いだからさお兄ちゃん、私をこれ以上、怒らせないでよ」

「…………」

「あの人には近寄ったら駄目なんだよ。どうしてそれが分からないの!? 私、最初っから言ってるじゃん!」

 確かに、深雪さんの暗い過去を暴いたのも彩香だ。

「でも、やっぱり無視できないよ……」

「やだ!」

「あまり大きな声は」

「聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない!!」

 髪をバサバサと左右に揺らし、まるで世界そのものを拒否するかのように強く拒絶反応を表す。同室の方は検査か散歩かしれないが、偶然にも病室には僕らの他に誰もいなかったので、智花さんの時のように一時退室なんてことにはならなかった。

「何なの?」

「え?」

「いったい何が起こってるの!?」

 誰もいない事に安堵した矢先、今度は誰かを呼ぶべきかどうか悩まされた。ヒステリックな叫びは僕の暗く閉ざした目を否が応でも開かせ、京子さんに出会う直前に見るのをやめた真実が負債のように心の壁をこじ開ける。

「ねえお兄ちゃん、どういうこと!? 何が起こってるの!?」

 それは本来であれば自分で問い、すでに説明出来ておくべき根本的な疑問ではあったが、何一つ彩香を満足させる答えは出てこないのだった。

「お兄ちゃん、私ね、お兄ちゃんを探すためにいっぱい走ったんだ」

「……うん」


 ―私ね、もう疲れちゃったよ。お兄ちゃんはいつ見つかるの?―


 物語にはいずれ終わりが来る。いかなる冒険譚にもそれは通用し、「月日は百代はくたい過客かかくにして、行きかふ年もまた旅人なり」として物語を始めた『奥の細道』であっても終着点はある。

 僕らは多くの幻想に目がくらんで急ぎ過ぎたのかもしれない。

「疲れたね」

「そっか、お兄ちゃんも疲れたんだ。じゃあ、一緒に休も?」

 たまには兄妹水入らずで休もう。僕らは疲れたんだ…………

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