第38話 晴天の霹靂

 幾ばくかの時が流れた。単調な、あまりにも単調な一時が無為に過ぎ去っていき、精神病棟と言えども、もう少しレクリエーションなどによって気が紛れるだろう。

 僕に待っているのは、水分補給と昔ばなしの朗読会。

 果たして本物の幼児がこのカリキュラムで満足するのかも怪しいところだ。


 ああ、何冊持ってきてるんだ。どうせなら僕の蔵書から持ち出してくれればいいってのに、どうして図書館からわざわざ借りてきてくるのかな。

 ……貸し出し期限がくれば、カード情報からここに電話がくるのでは?

 これなら一週間から二週間くらいで期限がくるので、はてしない楽観に陥らずにいも済む。


 ようやく見えた光明に、心の中で高々と拳をあげる。

 あけない嵐はないと言うが、僕の精神との戦いが始まったのだ。電話で呻き声を発するのは効果がないだろう。

 だが僕に異変が起これば、思わず彼女も状況をとっさに説明してしまうだろう。

 公共機関たる図書館職員であれば、普通は医療機関か、少なくとも上司に不審な電話であったと報告するだろう。

 そもそも、返却していなかったから連絡されたということは、問題なく通話が終了したとしても、報告書が提出されるはずだ。

 司書を気取っていた深雪さんが、現職の司書に足元すくわれるとは、なんとも皮肉なもだ。


 智花さんが通報までしているとは思えない。二人で出掛けている程度の認識が通常の感性。

 自宅でのんびりと過ごす彩夏がテレパシーを使えるのであれば、兄の異変に気がついてくれるのかもしれないが、僕にそういった告白がなされた記憶はない。

 すなわち、かかる窮地を脱するには、如何なる手段を取ってしても、僕がすべての責任を負って、決断しなければならないのだ。

 願わくば、無駄死にとならぬよう、加減したいところである。切腹とはまた違った、死への緊迫感が鼓動を速める。

 僕はどこで、こうなる選択肢に分岐してしまったんだろうな…………


 暗い心情を取っ払う勢いで更に心拍数が高まったのはそのすぐ後だった。


「お客様、失礼してもよろしいでしょうか?」


 ホテルマンと思しき謎の人物の声がドアの向こうから聞こえたのだ。

 シミュレーションから大きく逸脱した展開に僕、そして深雪さんも慌てふためく。

「ど、どうしよ!?宗太君が!………そうだね、私たちの生活を邪魔するヤツだったら、答えは一つだよね」

「ううー!」

 何たる無力。言葉というものがいかに素晴らしき文明の一端であったかを今更ながら知らされる。

 彼女は背後に包丁を隠しながら、ゆっくりとドアへ近づく。

 刃傷にんじょう沙汰は決して起こさせない!そんな思いもうめき声に情けなく変換される。

 頼む、やっぱり僕はしばらくこのままでいいから、穏便にしてくれ!

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