第一章

第1話 メイド就任

 文庫本を読み終え、リュックサックに入れた次の本を取り出そうとした時になってようやく気が付いた。ここはどこだ。

 講義を終えて、自宅に帰ったつもりが見知らぬ部屋、それも内装から女性の部屋と思われる場所に踏み込んでいたようだ。

 これまでにも歩きながら読書はしてきたがこんな事は初めてだった。それに鍵はどうしたのだろうか。

 文庫本なので片手で読めなくはない。という事はもう一方の手で解錠したのか?いやはや、過集中ここに極まれり。


「あっ、もう読み終わったの?」

「え」

 住人が既に居たとは。見たところ、僕とそう年齢は変わらない美少女がお盆にお揃いのマグカップを載せてこちらに向かってくる。

 一体どういう了見で、見知らぬ男が自宅で読書しているのを許すという状況に発展させるのだろうか。

 普通は通報し、留置所で本を読み終えるのが、いや、それもおかしな話か。

「……ま、仕方ないよね。私は同じ大学に通ってる氷室深雪。深雪ちゃんって呼んでね♡」

「深雪ちゃん」

 取り敢えず呼んでみたら普通に照れている。変なヤツ。

「あの……読書に夢中で全く気が付かなくて、その、すいませんでした」

「ううん、大丈夫だよ」

 修道女シスターかのような寛容さを目の前にして、さすがの俺も今一度丁寧に謝意を表す。


「だって私が連れてきたんだもん」

 おや?

「えへへ、これからは私が宗太君のお世話をするから、いっぱい読書してね♡」

「お世話……?」

「そうお世話。私は宗太君が快適に読書ができるように、メイドさんとしてしっかりお世話するからね」

 それはありがたい限りだが、そうは問屋が卸さない。労働や奉仕には然るべき報酬や恩賞を与えなければならない。

「僕はあいにく読書以外にあまりお金を使いたくはないんですよね。だからありがたいお話ですか、そろそろお暇します。失礼しました」

「待って待って!?お金目的なんかじゃないよ!」

「…………貴女はとてもお綺麗ですが、その、いわゆるというのはどうも受け入れがたい考え方でして……」

「違うよ♡」

 恥を忍んで丁重にお断りしたがこれまた僕の検討違いときた。金でもなければ体というのは確かに安易な発想かもしれないが、これが世の常というものではないのか。

 むしろそれ以外に、僕のような人間を住まわせ、読書空間を提供しよう等という時代錯誤な話があるだろうか。

 彼女が中世の貴族で、僕が貧しいながらも学識ある知者であるならまだしも、四民平等にして階級意識は遠のき、その上、実際のところ僕は書物に登場するような圧倒的知識人でもない。恥ずかしながら……

「じゃあ、どうして?」

「そうだなぁ、分かりやすく説明すると~宗太君は本以外には何も要らないって思ってない?」

「……思ってます」

「だよね。私は♡」

「僕さえいれば……?」

「宗太君さえいれば♡」

 それでメイド役を自ら甘んじて引き受けようとは思わない気もするが、それを言うなら『読書よりさぁ、俺らはゲームとかの方が好きなんだよなwww』と言った、かつてのクラスメイト達と同様、自身にとっては至高の存在であったとしても、評価は人それぞれという大原則を踏みにじる事となる。

 たとえ理解に苦しむものだとしても、それが極悪非道でないならば大いに認めるべきなのだ。それが自分へ向けられた一方的な愛だとしても。

「ホントにいいんですか?」

「うん!こっちこそいきなりでゴメンね」

「読書以外の最低限な日常生活がしなくてよくなれば、氷室さんの言う通り、とても快適な読書ライフが送れそうだよ!」

「えへへ、交渉成立だね♡」


 善は急げ。早速僕の自宅へ二人で向かう。ようやく読書だけの毎日が始まろうとしているのだ。

 そのためには自分の手と足を使って、荷物を運ぶくらいしても罰は当たらない。むしろしなければ罰が当たる。

「ただいま」

「おかえり!お兄ちゃん……」

「はじめまして!」

「……誰?」

「氷室深雪さん。僕のメイドさん」

「今から本を運べば、司書さんにもなっちゃいますよ♡」

「メイド……?司書……?」

「しばらくお兄ちゃんは氷室さんのおうちに住ませてもらうから。何か困った事があったら電話して」

「しっかり電話番もしますから安心してくださいね」

「じゃあ支度してくる」

「待って」

 今まで見た事も無いような表情、それはまさに警戒と敵意という極めて本能に近い感情があらわになっていた。

「一つ確認させて」

「何?」

「付き合ってるの?」

「いいや」

「だと思った!ダメだよ、そんな見知らぬ人のところで住むなんて!!」

「妹さん」

「……彩香です」

「彩香さん、お兄さんに危害は絶対に加えませんし、そんな状況には絶対にさせませんよ」

「……信用できません」

「確かにお兄さんの言った通り、私たちは付き合ってません。♡」

 彩香の耳元で何かを呟いた途端、彩香は顔を真っ赤にしてリビングへと逃げていった。縄張り争い、これにて終結と言ったところかな。

「さ、運びましょ♡」

「う、うん」

 僕も気を付けなければ、結局ペットみたいにされるかもしれないな。


「…………お兄ちゃんが他の人に取られるなんて想像もしてなかった。氷室深雪。絶対に勝手な真似はさせない!」


「メイドから司書にレベルアップ。他の誰にも取られないように大切にして、そして最後は♡」

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