第十話 Cat☆彡harsis


「あのっ⋯⋯もう良くない? まだ?」

「待て、ジッとしたまえよ」

「いやっ⋯⋯もうっ⋯⋯我慢出来ないっ!」

 そうして、密着しきっていた肌と肌は互いに距離を取った。

 熱を帯びた額は私の劣情を煽り、熱った身体は肩で息をさせる。

 目の前の相手の情熱的な視線を感じながら着崩れた服を正し、呼吸を落ち着かせていく。危ないところだった。

「堪え性の無い奴だねぇ」

「むしろ姫李ちゃんはどうして平気なの⋯⋯」

「古典的な方法でキミの情報を覗き見ただけだ。なのにどうしてそんなに汗ばむ事があるのか、ただ額を合わせただけだというのに」

「手も恋人みたいに握られてたよぉ」

 一方相手の姫李さんは一切の動揺を見せず、呼吸も乱れていない様だ。

 昨日夜遅くに帰ったお陰で今私は皆と埋め合わせをしている途中だ。

 姫李さんは私から取ったデータらしき物をタブレットに移したのか、手元をじっと見つめながら操作し始めた。

 それにしても分析の仕方があんなだったなんて⋯⋯いやいや、良くない、イけない妄想はするもんじゃない。

 姫李さんは至って真面目なんだもの。

「それで? 何が見れるの? 私の中身なんて見ても、何も無いと思うけど」

 秘密にしている事なんて一つもないし、今は猫巫女の器も完全には回復していないし。

「キミの情報は興味深いからねぇ。三年前からキミの活躍には目覚ましい物がある、猫集会でキミの名前が挙がった時からね」

「ええ!? そんなに前から知ってたの?」

「姫浜町に適性の高い猫巫女が現れたと報告があって、それからね。元々ボクは禊猫守を選別する為にあの猫カフェの地下に引きこもって、情報を管理する役割があったからさ」

 姫李さんは表情一つ変えず、過去を明かす。

「そうだったんだ⋯⋯あれ? じゃあ」

「んん?」

「ブラギ様の目的も、姫李さんは知ってるの?」

 禊猫守を選別する役割を持っていたという事は、九生絶花の事も知っているのだろうか?

 私の問いかけに姫李さんの手が止まる。

「⋯⋯なんだ、聞いていたのか。ああ知っているとも。ボクがフランスでブラギ達に拾われた時から、本来の目的も聞かされていたんだよ。長い付き合いだしね」

「フランスで拾われるって⋯⋯それ本当だったの?」

「前もそう言ったじゃないか。ボクはフランスで拾われて、魔術塔の中で育てられたんだ。厄介者扱いだったがね⋯⋯」

「ふーん⋯⋯」

「そんな話はさておき、キミの中にある情報を閲覧した結果、二つ謎が浮かび上がってきたぞ」

「ええー、そんなの無いよ、姫李さん秘密にしてる事なんて、なにも──」

「いいや、存外そうでもない。ボクが見たのはキミの表の記憶ではなく、裏側の記憶だ、より心理から離れた所に埋もれてしまっている部分を見ての質問に、今から答えて欲しいんだよぉ」

 怪しく微笑みながら、姫李さんはまじまじと私を見る。

「記憶に表とか裏とか、存在するの? 私の知らない物事が記憶されてるって、そんな事ありえないよ」

 仮に記憶に表裏が存在していたとしても、それらはどれも私が見て感じた物でなければ成立しない物のはずだ。

「そんな事ありえない、か⋯⋯良いかい? キミの常識を超える物も存在する。猫巫女なんてその一つの例じゃないか」

 確かに。

「それはそうだけど⋯⋯確かなの?」

「裏側の記憶を見た事で二つの謎が浮かび上がっている、これは既にボクが感じた疑問だ、観念して受け入れたまえ」

「納得するしかない、か⋯⋯それで? 謎ってどんなの?」

「一つ目は⋯⋯キミの基礎能力の事だ」

「基礎能力?」

「猫巫女は一人に一つ、武器を発現させるだろう? 発現のルーツはそれぞれあるが、そこに"謎"があったんだ」

「武器⋯⋯私の場合、浄化の枷ピュリカフスがそうかな?」

 浄化の枷は授業中に思いついた物をそのまま作り出した。最初は技として⋯⋯手錠くらいの大きさだったんだよね。巫女の力に慣れていくにつれて大きくしていって、今はフラフープくらい大きく出来るけど⋯⋯元々は彼方さんの指輪から発想を得た物だったなあ。

 だからそこに謎なんて何一つ無いんだよね。

「そうだ。しかしキミの本来の形からはかけ離れた物の様だ。何故その様な事をしている?」

「本来の⋯⋯?」

 正直全然理解が出来ない。

 本来とはどういう意味なのかもさっぱりだ。

「何故って言われても⋯⋯憧れがあったから、作り出したまでの事で⋯⋯」

「憧れか⋯⋯なるほどねぇ」

 ありのままを答えてみた。

 それを聞くと姫李さんは小さく手を振り、自身を軸に回転する盾を呼び出した。

 その揺らめく盾を見て、姫李さんに疑問を投げかける。

「姫李さんこそ、どうして盾なの?」

 少しの沈黙の後、答えが返ってきた。

「分からない。気付けばこの盾はボクを守る様に出来ていたし、ボクの意志で呼び掛けなければボク以外を守る事をしない⋯⋯キミの武器の事を調べれば、少しは謎が解けると思ったんだがね」

「な、なんだ、自分の為に問い掛けてたの?」

 そ、そういう事か。

 私は憧れから武器を呼び出しているが、姫李さんにはその発想が無く、無自覚に召喚されていた武器だったから、疑問を感じてたって事なのかな?

 確かに思い返せば皧狐の襲撃の時は姫李さんを守る様に出来ていて、神社参拝の時は姫李さんの意志で私を守ってくれていた⋯⋯。

 でも姫李さんの性格を考えると⋯⋯盾は確かに違和感があるような?

 私の姫李さんのイメージだと注射とか、それこそ端末から何かを召喚して戦うとか、そんなのが合いそうだ。

「ボクは特別だからね。キミにもいつか見せられる時があれば良いね、ボクの本当のチカラを」

「本当のチカラ? あっ分かった、猫が実はそのタブレットだったりして」

「はあ〜〜、そんなマヌケな物じゃないよ。さあ、二つ目の謎へ話を移そう」

 長い溜息にちょっと嫌そうな顔をして、あしらわれてしまった。

「二つ目の謎は、キミの自然治癒の能力について、だ」

「⋯⋯へ? 自然治癒? なにそれ?」

 結び付きを感じない自然治癒という言葉に目を丸くしてじっと見つめる猫の様に、姫李さんを見つめてしまう。

 私にそんな能力なんて無いし、試そうと思った事も無い。

「ふ〜む⋯⋯その顔からするに、自覚も何もありませんって感じだねぇ⋯⋯」

「うん、そんなの発動したことも無いよ」

「いやぁ? そんな事は無いよ。実際問題、自然治癒と思わしき場面は幾つかあるのだよ、三年前にもあったはずさ」

「⋯⋯それは、アーガルミット襲撃の時かの?」

 声のする方へ振り返ると、私の部屋の中でいつの間にか寛いでいるラオくんの姿があった。

「ラオくん、いつの間に私の部屋に」

「好きなご飯の後は、好きな場所で寝るのが一番じゃからな。それよりも、自然治癒にはワシも心当たりがあるぞ」

「ふむ、三年前での自然治癒、ベルカナくんから聞かせてもらえるかい?」

「ああ。三年前、アーガルミットと対峙し、その後を追いかけている時じゃった。軽傷ではあった物の、見る見るうちにその傷が塞がっていくのを、ワシは見ておる」

「う〜ん⋯⋯そんな事あったかな?」

「その時に問いかけた事があったが、小夏は神衣による恩恵だと思い込んでおったな」

「ふむ。そして二度目の自然治癒は、皧狐の襲撃の時だ。キミは皧狐に背後を取られ、器を破壊されてしまうほどのダメージを受け気絶してしまった。しかし病院に運ばれている最中、キミの背中を覆う様に突然光が溢れ出した。病院に着く頃には完全に傷口を塞いでいたよ。光は一般人には見えていない様だったがね」

「え、ええ⋯⋯全く分かんなかった⋯⋯」

 二人の話を聞いても心当たりは何一つ無い。

 漫画の主人公みたいな能力が私に備わってたら、私自身がまず最初に気付くだろうし。

「即日退院出来たのもそのお陰だとボクは読んでいる。本当に自覚は無いのかい?」

「無いよ⋯⋯本当にラオくんのチカラじゃ、無いんだよね?」

「そんな高等魔術は使えんよ」

「じゃあ、私のチカラ? 無い無い、あり得ないって」

 いや、いやいや、まさかね。


「ふむ⋯⋯では謎は解消されないまま、今日はお開きかなあ。まあそれなりに楽しませてもらったよ」

 姫李さんは立ち上がり、場所を移動し始めた。

「あっそうだ。キミの持ってるゲームの中に『レグメンティア』というレトロゲーがあっただろ? 少し貸してくれないか?」

「え、うん。良いけど⋯⋯ハマった?」

 懐かしい、昔からずっと大事にしてるゲームだ。

「いやまあ、大変参考になるよ」

 そう言い残し、姫李さんは部屋を出ていった。

 自然治癒か⋯⋯原因は分からないけど、何故か私が発動しているチカラの様だ。

 って、自然に受け入れてしまって良いのか? でも⋯⋯あって損は無いし、いっか。デメリットなんかも今の所無さそうだし。

「では、ワシも一眠りするかの⋯⋯」

 ラオくんも寝床に着くや否や脚を収納して、眠りについた。

 そんなこんなで姫李さんとの埋め合わせは終了。

 私にも興味深い話だったけど、推測の域を出ない話題だ、考えすぎても答えは出ない。

「私もぼちぼち出掛けますか」


     ✳︎


「あれもこれも美味しそうだぞ〜!」

 最後の埋め合わせはシロちゃんとの食べ歩きデート。

 食べ物も飲み物も充実した都内では知らない人は居ない有名な食べ歩きスポット。

 テレビの取材なんかも頻繁にここでは見ることが出来る、食べ歩く芸能人を見たい人にも良いだろう。

 その場所の一番の特徴は大きな神社がある事だ。食べ物片手に皆で自撮りをして、思い出を作る。

 ただ食べ歩くだけでは無い場所だからこそ、ここは有名と言うわけだ。


 今日はそんな観光名所で、シロちゃんと食べ歩く。

 普段私の部屋着を適当に着てくれているシロちゃんだが、今日はおめかししてお洒落をしている。

 白い髪の彼女は今、食べ歩き街に舞い降りた天使の様だ。

 ⋯⋯食い倒れなければ良いけど。

「なにジロジロ見てるんだ⋯⋯? 早く行こう? おなかぺこぺこだっ」

 人混みを背景に、ふわりと天使が振り返り、私を見る。

「うん。行こっか」

 せっかちな天使の手を握り、街を歩き出す。

 埋め合わせデートという名目ではあるけど、シロちゃんとこうして二人きりで出掛けるのは初めてだ。

 いつかは私の元を離れちゃうんだ、精一杯楽しもう。


 それからは様々な物を食べては飲み、至福のひと時を味わった。

 二人で写真を撮って、食べ物をシェアして、思い出を沢山作った。

 シロちゃんもとても楽しんでくれたようで、私も嬉しい。


     ✳︎


 適当に喫茶店へ入り、休憩する事にした。

「っはぁ〜、沢山歩き回ったね〜」

「うん! すっごい楽しかったぞ!」

 一時間近く食べ歩き続けたが、シロちゃんはまだまだ元気が有り余っている。

 本当に子供のようなシロちゃんの姿に、思わず笑みが溢れる。

「⋯⋯ねえ、六花りっかさんの所へ戻っても、また私と遊んでくれる?」

「いきなりなんだよ? 当たり前だ、小夏はもう友達だからな!」

「あっ⋯⋯友達⋯⋯」

 その瞬間、心の中で声が響く感覚があった。

 正確には仕舞い込んで忘れ去ってた言葉を今になって思い出してしまった⋯⋯。


 小夏ちゃんの事なんか、もう友達でもなんでもない、大嫌い⋯⋯。


「どうした? 顔が暗いぞ?」

「あ、いや、うん、大丈夫。ただ⋯⋯思い出した事があっただけで」

 連絡くらい取っても良いか。

 もう、あれから半年は経つ。

「ふ〜ん。そういう悩みも、僕には言っていいんだぞ。悩みを聞くのも、友達の役目だからな!」

「うん、ありがとう」

 シロちゃんはふふんと鼻を鳴らし、自慢げな態度を取って、私を励ます。

「んー⋯⋯でも小夏って、意外と引き込もった性格してるよな。見た目からはあんまり想像出来なくて、時々ビックリするぞ」

「そういう風に見えてるの?」

「隠し事もいっぱいしてそうだもん。一人で抱える必要なんて無いんだぞ、周りに相談したって良いし、時々誰かのせいにしちゃっても良いんだ」

「シロちゃんは、優しいんだね。私は⋯⋯友達にもそういう顔は出来なかったよ。恥ずかしいと思って、趣味さえ隠してたからね⋯⋯」

 あんなに仲良くしてた高校の友達にすら、ゲームが趣味だった事は一人にしか打ち明けてなかったな。

 恥ずかしいのもそうだが、あの頃は、打ち明けても意味が無いと思ってたんだよね。それに、ゲームは一人でコツコツと勤しむのが何より好きな遊び方だったから。

「だから小夏の家には飾ってる物が少ないのか? 奥の引き出しにはあんなに沢山ゲームがあるのに」

「いや〜⋯⋯今更そんなのをオープンに晒してもしょうがないのかなって思う様になっちゃってて、あはは」

 乾いた愛想笑いに、シロちゃんは腕を組み、不思議な物を見るような目で私を見る。

「小夏は多分、そんなんだから器が戻らないんじゃないか? 何か、ブワーって気持ちを解放しちゃえば良いんだよ。別に何かを好きである事を明かさなくたって良いけど、歩み寄れる一歩目にはなるだろ?」

 シロちゃんの言葉に、少しだけ返事に窮してしまう。

 私の気持ちがまるで分かっているかのような言葉選びはまるで心を洗わされてる感覚になってしまう。

 自分の気持ちを解放、確かにそんな事今の今まで考えた事すら無かったかも⋯⋯。

 そんな気持ちで、猫巫女活動を始めた事が無かったから。

 趣味を生かせるような場面なんて一つも無かったし、ラオ君といる事が何より楽しかったから。

 それにしてもシロちゃんは相手の気持ちを読むのが上手い気がする。

「私の気持ちを解放、か⋯⋯うん。考えてみるよ、ありがとうシロちゃん。シロちゃんは悩み事聞くの上手だね」

「うん! なんてったってミ⋯⋯あれ、これは言っちゃ駄目!」

 両手で口を塞いで、何かを言いかけたシロちゃん。

 でも言わんとした言葉を、私は知っている。

「狐巫女?」

「ええ! なんでその事!?」

「昨日色々知っちゃったんだ。シロちゃん達の事もだけど、私たちの事。私たちは、シロちゃんの居た世界の上で生きてるんだって教えてもらった」

 考えてみれば巫女だからこそ、シロちゃんはこんなに話し上手のだろう。

 あくまで想像だけど、きっと色んな人の悩みを巫女として聞いて導いてきたんだろう。

 そんな巫女の役割を、私たちは上書きして、その上で⋯⋯。

「そうだったのか⋯⋯な、ならなんで僕の事を」

「だからこそだよ。私はこの事実を知った上で、シロちゃん達と和解がしたいの」

「僕は⋯⋯僕は、戦わなくて済むならそうしたい。けど⋯⋯戦わないと」

 一瞬、シロちゃんは嬉しそうな表情を浮かべるが、何か気にかかるのか、すぐに顔を沈めてしまう。

「どうしても、戦う運命なの?」

「それが六花の為だから」

 六花、度々シロちゃんから聞く名前だ。

 最初に出会ったきり、彼女の姿を見ないけど⋯⋯。

 それにシロちゃんをうちで預かってるのにいつまでも迎えに来たりしないんだよね。彼女達は、やっぱり猫カフェを占拠しているんだろうか。

 襲撃されてから怖くて猫カフェの様子を見てないな、明日その事についても皆に話してみよう。

「う〜ん、ちょっと話しすぎたな。行こう、小夏。まだまだ歩き足りないぞ」

 会話を切り上げて、シロちゃんは席を立つ。

「うん、そうだね」

 色々気にかかる事は増えたが、明日全部共有しよう。今はデートが大事だ。

 

     ✳︎

 食べ歩きデートは終わり、帰り道。

「お腹いっぱいだな〜」

「そうだね、沢山食べたよ」

 気付けば食べ歩く以外にも沢山楽しんじゃった。

 お腹も膨れて、とにかく今はまっすぐ帰って休みたいくらいだ。足も疲れたし。

「今日はとっても楽しかった! ありがとな小夏! また今度もデートしような」

「うん、今度は食べ歩きじゃなくて、映画とか、ゲーセンとかで」

「それも良いなあ」

 次にデートする時には、狐巫女と和解出来ていれば良いな⋯⋯そしたら、シロちゃんだけじゃなくて、六花さんと、もう一人の女の人とも⋯⋯。


「ちょっと、良いかね? お二人さん」

 考えながら歩いていると、通りがかったお婆さんに声をかけられた。

「婆ちゃん、こんにちは!」

「こ、こんにちは⋯⋯」

 杖をついた小さい女の子の笑顔が張り付いた様な表情の可愛らしいお婆さんだ。何か私たちに用事かな?

「何か困り事ですか?」

「困り事という訳では無いんだけどねー、少しだけ手伝って欲しい事があるんだよね、だからウチまで来てほしいのさ」

「手伝い? まあ良いんじゃないか? 手伝ってあげよう、小夏。なんだか困ってるみたいだし」

「そ、そうだね」

「ありがとうねえ、お二人さん。じゃあ家まで着いてきてくれるかい?」

「あ、待ってくれ婆ちゃん。僕に任せてくれ」

 シロちゃんはお婆さんに近付くと遠慮なくお婆さんを背中に軽々しくおぶってみせた。

「んしょっ、これでよし! んじゃ、行こっか!」

「あらあら、力持ちだね」

「よゆーよゆー!」

 自分を軽く持ち上げるシロちゃんに、思わずお婆さんが微笑む。

 私も積極的な行動を前にして感動すら覚えてしまう。

 前の世界ではこんな風にシロちゃんは人の役に立っていたのかな。少し羨ましいと感じる。

 お婆さんを背負うシロちゃんの後ろ姿を見ながら、お婆さんの家へ向かった。

 

     ✳︎

「ほら、家の前だぞ婆ちゃん」

「済まないねえ、ここまでおぶってもらって」

 今日は沢山歩く。

 でもこれが最後だと、お婆さん家の外観を見て思った。

 年季が入っていそうな家にしては新しい扉を開き、中へ入ってゆく。

 シロちゃんは玄関でお婆さんを下ろし、私もそれを手伝った。

 家の中は懐かしい物や匂いで溢れていた。

 子供の頃に遊びに行ってた時と同じだ、自分の家では無いのに、何故か帰ってきたと思わせられる様な、そんな雰囲気がこの家全体から感じられる。

「それで、私達は何を手伝えば良いのでしょうか?」

「力仕事なら任せてくれ!」

 お婆さんはシロちゃんに導かれゆっくり腰を上げて立ち上がると、中庭の方を指差した。

「昨日、うちの猫が亡くなったんだよ。そのお墓を作るのを手伝って欲しくてね。ほらこの通り、杖を使わなきゃ歩くことも出来ない年寄りだからさ」

 杖を見せる様にしてこちらに振り向いて、お婆さんは微笑んだ。

「お婆さんの猫が⋯⋯」

「悲しい顔をしないでおくれ。立派に長生きしてくれたんだ。それにもう慣れっこさ。周りの命が消えて、段々独りになっていくのはね」

「婆ちゃんは、悲しくないのか?」

 いつも笑顔のシロちゃんも、この時ばかりは暗い顔をしていた。

「勿論悲しんださ。いつも私の側を離れない子が、日を追うごとに離れていって⋯⋯気付けば見えない所で息を引き取っていて⋯⋯」

 お婆さんの猫は、きっとお婆さんの事が大好きだったんだ。

 大好きで、ずっと一緒に居たかったはずだ。

 でも大好きだからこそ、辛い思いをさせたくなくて、自分から距離を⋯⋯。

「辛い重いをさせたくなくて、その猫は、自分から離れていったんですね」

「まったく⋯⋯私が先だって、言っておいたんだけどね⋯⋯必要な物は全部置いてあるから、それで中庭の方に、お墓を作ってやっておくれよ」


 中庭へ進むと、お墓を作る為のスコップや材料が置いてあって、私はシロちゃんと一緒に、亡くなった猫のお墓を作り始めた。

 少しずつ日が落ちていく空が描かれたキャンバスに、子供の一筆の落書きが添えられた頃、中庭の隅で小さく作られた簡素なお墓が完成した。

 作っている間にお婆さんが持ってきて下さったバターサンドを二人そのお墓を眺めながら、黄昏れる様に食べていた。

 

「ありがとねえ、助かったよ」

「いえ、助けになれて良かったです」

「⋯⋯小夏。ちょっと、お墓の様子見てくる」

 シロちゃんはバターサンドを加えて、お墓の方へ歩いて行った。

 ⋯⋯こんな時、天眼が使えていたら猫の迷魂が見えたのかな。

 そしたら迷魂とお婆さんを会わせて、魂送りをして⋯⋯。

「小夏と言ったかい?」

 不意にお婆さんから名前を呼ばれた。

「え? あれ? お婆さん、私の名前?」

「フフフ、あっちの白い子が沢山口にしてたからね」

「ああ⋯⋯」

「小夏ちゃんは、何か後悔してる事があるのかい?」

 いきなりのお婆さんの言葉に思わず顔を見上げてしまう。

 シロちゃんにもそんな事言われたな。

「そ、そう見えますか?」

「そう顔に書いてあるからね〜」

「あはは⋯⋯そうですね。後悔というか、悩んでるといいますか」

 ブラギ様から聞かされた世界の真実は今になって、私に重くのしかかっていた。

 あの時は気持ちのまま色々言って、ブラギ様に腹を立ててた。

 九回繰り返されてるのが今見えてる世界の景色なんて、到底理解が出来ないし。

 ブラギ様達が行った世界の上書きによる影響で狐巫女に復讐を受けてる事や、そんな苛烈な中で私はいつまでも能力を戻せずに何をやってるのかとか⋯⋯本当に、頭がパンクしそうだ。

「⋯⋯深く考えるのは悪い事じゃないけどね」

「⋯⋯え?」

「人生長く生きてると後悔する事も増えていく。小夏ちゃんに今一番必要なのは、そのモヤモヤをなーんにも考えずに発散出来る何か、だね」

 モヤモヤを発散するもの⋯⋯。

「考え過ぎるとモヤモヤは増えていって、そのモヤモヤは時間を置かずにストレスになって、やがて後悔に生まれ変わる事があるんだよ。だからそうなる前に、自分の中で一番気持ちが整理出来るやり方を見つけるのが、長生きの秘訣さね」

 お婆さんは凄い。私とはまるで違う生き方で、今日まで頑張っているんだな。

 私なら猫が亡くなった翌日なんて一日ずっと項垂れてると思う。

 それを乗り越えて、今日出会った歳の離れたこんな私に助言をするんだもん。

「気持ちを整理する方法⋯⋯あっ」

 面白いかも。ストレス発散の方法を取り入れて、ついでに気持ちも一気に解放させるやり方で、器を形成、神衣も新しく⋯⋯検証してみたくなってきた。

 少し、心にやる気が満ちてきた。

 ちょっと元気が戻ってきたかも。

「何か思い当たる物がありそうだね。そう、それを忘れずにいれば、お前さんはきっと大丈夫だ」

「は、はいっ。ありがとうございます!」

「うんうん、顔色も少し良くなったんじゃないか? 時間も遅くなる頃だ、早く帰って、モヤモヤを吹き飛ばしておいでよ」

「そうします!」

 

「お? 帰るのか?」

「うん、シロちゃん。お婆さん、色々ありがとうございました!」

「お菓子美味かったぞ、婆ちゃん。またなっ」

 お婆さんに礼を交わして、私達は家を後にした。

 お婆さんも元気でいて下さい、私は多分きっと⋯⋯いや絶対、強くなってみせます!


 お婆さんの家を後にした。

「シロちゃん、帰りにちょっと寄りたいトコがあるんだ」

「んー? まだ食べるのか?」

「んーん、食べ物じゃなくてね」


     ✳︎


「行ってしまったね。これで私の役目も全部お終いだ。物語の終わりはハッピーエンドが暖かいけど⋯⋯どうなんだろうね。お前はどう思ってたんだい⋯⋯エオロちゃん」

「浅野瑠璃さん⋯⋯貴方は最後まで立派でしたよ。だから⋯⋯後はゆっくり、彼女達の顛末を見ていて下さい」

「アンタに言われずともそうするよ⋯⋯ああ、せっかくならエオロちゃんと一緒に見るのが良いかね⋯⋯」

 


     ✳︎


 家に帰ってきた。

 今日は沢山経験したが、一番最後に楽しみが残っている。

 シロちゃんは疲れてしまったのかお風呂に入った後は泥の様に眠ってしまった、今はソファと一体化して大きな髭を生やしている。

 私はというと、早速買ってきた物を取り出し、腰を据えてゲーム機を起動している。

 気配に気付いたのかラオ君が私の膝の上にくつろぎ始めた。

「お? 知らんゲームじゃのう、買ってきたのか?」

「うん、新作の奴」

「なに、新作だと?」

 姫李さんも場に混じってきた。

 自然と私の背中に抱きつくようにもたれかかり、ゲーム画面を見にきた。

「ど、どうしたの? そんなに食いついて」

「当たり前だろう、小夏の持っているゲームは、レグメンティアを最後にすべてクリアしてしまったからねぇ」

 私が居ない間に全部クリアって、ほぼ全部の時間ゲームしてたんじゃ。

「しかしゲームをやるなんていつぶりじゃ? それにこんなタイミングで」

「良いの。今日のゲームは、何も考えず、好き勝手遊ぶの」


 私にとっては普通の遊び方じゃない。

 でも今は好き勝手遊ぶ事が大事だと、あのお婆さんから教わった言葉の中で感じた事だ。

 これで良い、これで始めれば良い。

 これが今の私にとっての"きっかけ"だ。

 

 

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