第五節~激闘と誤算~

 二人の戦いは、剣を抜いたことで接近戦へと移行した。それはまさしく、一瞬のまばたきすらも許されない剣技の応酬である。


 互いに色の異なる翼を広げて空を駆けめぐり、剣が一度でもぶつかれば、そこに無数の斬撃が発生する。


 輝く火花と鉄が撃ちあう激しい金属音が、月の空を戦いのいろに染めたあげていく。


「きさまは誓ってここで殺してくれる。覚悟しろ!」


「そうか、だがおぬしは真の強さを知らぬ。たとえ魔力の量が変わらぬとしても、おぬしらが我らを滅ぼすことは決して叶わぬことよ」


「――ッ! 言うではないか、きさま。大口をたたいていられるのも今のうちよ! 殺したあと、やはりその腹立たしい舌も斬りきざんでくれるわ」


 激烈なる戦いは、互いに向ける言葉とともに激しさを増していた。

 

 やがてふたりは魔方陣と剣をどうじに使い始め、戦いが頂点に達すると、剣と剣が激しく絡み、二色の光線が互いの進路上でぶつかって大爆発を起こす。光線と剣が交わることも多い。

 

 天使と悪魔の戦闘経験値はほぼ互角といったところで、戦いは長期戦となりつつある。

 

***


 二人の美男が死闘を繰り広げていたころ、二人の巫女が月宮の館六階を走っていた。それはむろん、地下へ向かっている暦と入里夜であるのだが……。


「ね、ねえお母さん、今すごい音がしなかった? それにこの館、いま揺れたよね」


「え、ええそうね、何があったのかしら」


 彼女たちは外の激闘を知らないので、突然の音と衝撃におどろきを隠せない。また巫女たちは六階にいたので、感じた揺れはなかなかに凄まじいものだった。

 

 ときに、ふたりは緊急事態だからこそ走っているのだが、これはなかなか疲れるものである。


 普段の生活であれば、急ぐときにわざわざ走る必要はない。各階に点在する瞬間移動魔方陣に乗れば、そこで行先を念じることで瞬間移動できるのだ。


 しかし大魔界の悪魔たちが万が一にも館に侵入してこれを悪用し、月宮の巫女を暗殺でもされたら洒落しゃれにならないので、今は使用禁止だった。


 そのため彼女たちは、自室がある六階から恐ろしくながい階段を自力でくだり、地下を目指さねばならず、これは普段の生活において考えられない動作でもある。


 暦に引きずられるように走っている入里夜だが、三階まで下りたとき大魔界の侵攻を忘れてしまうほど疲れていた。


 二階の踊り場まできたとき、ついに入里夜の足が止まる。


「お、お母さ~ん、ちょっと休ませて……私もう限界いぃ……」


「入里夜ってばちょっと運動不足なんじゃないの、この程度で疲れるなんて」


 暦はこう言っているが、実のところ暦が元気よすぎるという表現が正しい。


「まあ疲れたのなら仕方ないわね、ちょっと待ってね」


 暦は回復魔法を使って入里夜を回復させようとしたが、彼女は先に、入里夜の異変に気づいた。娘が凍りついたように止まっている。


「入里夜? どうしたの」


「お……お母さん、あれ、なに」


 入里夜は視た光景におびえながら震える声でそう言うと、外を指さした。彼女の動きを止めたのは外の景色だった。


 月宮の館にある二階の踊り場は、いちめん硝子ガラス張りになっている。


 この高さが月界を一望でき、有事のとき外敵を発見しやすいというのがその理由で、普段は見張りの兵士が立ち、景色もいい場所としても有名なのだ。


 しかし入里夜が見たものは、遠くの空で防衛軍と大魔界軍が激しく戦う姿。


 月界で争いはほとんど起こらないし、そもそも戦いを好まない彼女にとって、それは地獄絵図というべき光景だった。

ね、ねえお母さん。なに……あれ。怖いよ」


「入里夜……そうあれが大魔界。彼らが強いのは見れば分かるし、きっと本気で月界を乗っ取りに来ているわ。でも私たちには、彼らにない強さがあるの。だから大丈夫よ」


 暦は不安で満たされた娘の顔を見て、思わずそう言ってしまう。確かにこの世界は簡単に滅びるほど脆くはないが、危険な状態にあることもまた事実。


 だが入里夜が見せた不安の表情は、暦に冷静さを呼び戻した。


 暦も、今回の夜襲に対する焦りからくる不安で押しつぶされかけているが、考えてみれば、入里夜が感じる不安のほうが大きいはずではないか。


 彼女はそう思ったのだろう。それでもついて来てくれた娘に対して感謝の気持ちがこみ上げ、暦は無意識のうち言葉に出している。


「入里夜、ありがとうね」


 言われた少女は、その一言におどろいた。窓の外を見ていたら母に「ありがとう」と言われたので。


 入里夜は思わず言い返した。


「どうしてお母さんがありがとうって言うの? 私何もしていないわ」


 暦は少し返答に困っていた。無意識に発した一言だったのだから、その理由を問われても返答は難い。


「う~ん、どうしてかな? ごめんね、おかしなこと言って」


 暦がそう答えると、入里夜は思わず笑顔を取り戻した。


「ねえ、お母さん。私もお母さんになったら、今のお母さんの気持ちが分かるかな」


 少女の言葉は、暦にも穏やかな笑顔を運んだ。


「そうね……きっと分かるわ。入里夜、少しは落ち着いた?」


 その声は入里夜を安心させた。母の口調が完全に戻っている。


「うん! もう大丈夫だよ、お母さん」


 入里夜が弾むような声で言ったとき、外から爆音が響き、二人の巫女はおどろいて上空をみあげた。そこには、激しく戦っている天使と悪魔がいるではないか。


「――ッ! えっ、どうして⁉ 早すぎるわよ」


「どうしたの? お母さん」


「サタンがシャンバラへ来るのが早すぎるわ」


 暦の驚きようも、実は必然的なことだった。数千年まえ、暦はいちど大魔界の襲撃を経験している。


 彼女の鮮明な記憶によれば、サタンらが月宮の館へ到達できたのは月界侵入後、少なくとも半日以上は経ってからのこと。


 だが今回は、襲撃から一時間も経っていない。

 


 外の光景は、暦にとって完全に予想外だった。


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