16 タマコロ

 翌日イゾルテは、二輪荷車{自転車}が直ったという話を聞いて研究棟を訪れた。だが博物学者の部屋には睦み合う(かのように見える)二人のおっさんがいた。

「ほほう! ココか? ココなのかっ!?」

「ああっ! だ、ダメです。もっと優しく触ってください!」

「へへへっ、良いタマじゃねーか。もっとよく見せてみろよ」

「ら、ラメェ~~!」

それは見るに堪えない姿だった。なぜなら彼らは……二輪荷車{自転車}をバラっバラに分解していたのだ。直るどころか預ける前よりも遙かに酷い状態である。


「オイコラ、これはどういう事だ?」

「あ、殿下! この熊男が酷いんです! 私のタマを取ろうとするんですよ!」

「ダレが熊だ! お前がタマを量産しろと言うから、サンプルが必要なんだよ!」


 ひょろいおっさんは昨日の博物学者で、熊みたいに毛深いおっさんは出入りの鍛冶師だ。彼も家具職人みたいに試作品開発に携わっているのだが、さすがに離宮に鍛冶場は無いので必要に応じて通いでやってくるのだ。状況から察するに博物学者が呼び出したようだが、何やら揉めているらしい。


「えーい、五月蠅い! 私は二輪荷車{自転車}が直ったと聞いたから取りに来たんだぞ? なのにこの有様は何だっ!?」

「え? 黒い車輪{タイヤ}は直りましたよ?」

博物学者は車輪を指さしながら不思議そうに首をかしげた。確かに床に置かれた黒い車輪{タイヤ}は膨らんでいて、直ったようにも見える。だがそれ以外がすべからく酷い有様である。

「他が壊れてんじゃん!」

「壊したのではありません。分解したのです」

「せめて『壊た』と言ってくれ!」

確信犯である。意図的に壊したことなど隠すつもりも無いらしい。いや、つもりくらいしか無いらしい。

「そんなことより、コレを見てください! 車軸の仕組みが分かりました!」

「ナニっ!?」


 量産型二輪荷車{自転車}では仕組みを省略してしまったが、オリジナルの二輪荷車{自転車}の車輪は異常に軽い。重量自体も軽いのだが、とにかく良く回るのだ。空中に浮かせた前輪を軽く手で回すと、ずーーーーーーっと回り続けるである。一方で同じ事を馬車の車軸でやっても1回転もしないだろう。皇室御用達の馬車の車軸に最高品質の油をどぷどぷと注ぎ足しても、その程度に過ぎないのだ。

 もし贈り物の(二輪荷車{自転車}の)車軸を量産できれば、そしてプレセンティナにある全ての機械・馬車・荷車・二輪荷車の軸受けを交換できれば、一体どれほど省力化出来るだろうか? その経済価値は計り知れないだろう。


「ご覧ください。内側の輪と外側の輪の間の隙間を、ピタリとサイズの合う鉄球が埋めているのです!」

そう言って彼はイゾルテに軸受け{ボールベアリング}(注1)を持たせると、コロリ、コロリとタマ{ボール}を1つずつ填め込んでいった。

「ひとーつ、ふたーつ、みっつ、……」

それぞれのタマ{ボール}は驚くほどまん丸で、しかも全て同じサイズに見えた。ホントに小さな部品だが、だからこそその精度には驚かずにはいられなかった。

「……やーっつ、ここのーつ……あれ? ひとつ足りない?」


博物学者はポケットの中を漁ったり周囲を見回したりした後、鍛冶師に目を向けた。鍛冶師はサッと手を背中に隠す。

「私のタマを取りましたねっ!?」

「……何の話だ?」


 再び二人が醜い言い争いをしている間に、イゾルテは軸受け{ボールベアリング(注1)}を観察していた。内側の輪{内輪}を持って外側の輪{外輪}を回転させると、その間のタマ{ボール}がコロコロと転がる。そのため普通の軸受け――穴の開いた金属に丸い棒を突っ込んだだけ――のようにバーツ同士が擦れ合うことが無いのだ。


――なるほど、摩擦を徹底的に排除しているのか……!


まあ厳密には、タマ{ボール}の相対位置を固定する部品{保持器}とボールの間では摩擦が発生しているのだが、車軸にどれだけ荷重をかけてもそこには負荷が掛からないので、あまり問題にはならないのだろう。


「こ、こんな真球を簡単に作れるわけないだろ! しかも同じサイズで作るなんて無理だ!」

「実際に作られたものがあるじゃないですか」

「そう言うなら、お前こそこの金属の成分を解析してみろ! 瞬間的にはこのタマ1つで全ての荷重を支えてたんだぞ? どんだけ丈夫な金属なんだよ!」


 真球は平面と一点で接する。まあ実際には内側の輪{内輪}と外側の輪{外輪}には窪みがあるので、タマ{ボール}に接する部分は一点という訳ではない。だが針の先ほどではないというだけで、針の柄(先端の反対側)ほどの面積に過ぎないのだ。車軸{ボールベアリング}全体から見ればほとんどである。しかもこの構造ではタマ{ボール}も内外の輪も僅かな変形すら許されないだろう。


――このまま再現するにはただの鋼鉄では足りないか……?


単純に接触面積を増やせば鋼鉄のままでも大丈夫な気がするが、何の工夫もなく車軸全体を大型化すれば幾何級数的に重くなる。それに比例して材料コストも加工の手間も増えてしまうことになる。それでは誰も欲しがらないだろう。


――うーむ、なんとかこのサイズのままで接触面積を増やすことは出来ないだろうか?


イゾルテは考え込みながらも軸受け{ボールベアリング}をクルクルと回転させた。タマが内側の輪と反対に回転してコロコロと転がっていく。当然ながら全てのタマが同じ回転をしていた。


――む? 内外の輪と同じ平面方向にしか回転しないのであれば、そもそもである必要はあるのか?


そもそも重量物を運ぶのにタマ{ボール}を使うことなど無い。普通は台車を……と言いたいところだが、その台車に使う車軸を考えているのだから除外すべきだろう。車輪を使ったものではなく、もっともっと単純なものは無かっただろうか……


そこまで考えたとき、思わずイゾルテは呟いていた。


「エウレカ! (ひらめいた!)」


決まった方向に回転するだけならで良いのだ。そうすれば接触するのはではなくになるし、同じサイズのを作るより同じ太さのを作る方が簡単なのは明らかだ。


「熊さん、ちょっと聞きたいんだが」

「誰が熊さんだっ!」

思わず怒鳴ってしまった鍛冶師だったが、相手が皇女だと思い出して口ごもった。

「おれ……私は、そんな名前じゃありませんっ」

「アルカスだろ? だから熊って綽名なんじゃないの?」(注2)

鍛冶師はポカンとした。

「え、俺の名前をご存じだったんですか? っていうか、なんでアルカスだと熊なんですか?」

「ゼーオスの息子のアルカスがこぐま座になったからだけど?」

「…………」

鍛冶師はやっぱりポカンとしていた。どうやら彼はその神話を知らなかったらしい。たぶん両親は神話に因んで名付けたと思うんだけど。


「それはともかく、熊さんに聞きたい。同じサイズの真球を作るのは難しいという話だったが、同じ太さの円柱なら作れるか?」

「円柱? まあ、専用の治具じぐを作れば同じ太さには出来ると思いますよ。長さは切り揃える必要がありますが。細いヤツなら針金みたいに作れるかもしれません」


 円柱は溶鉄を2枚の平たい板の間でコロコロと転がせば割と簡単にできる。2枚の板の間隔が一定距離以上狭くならないような治具を作ればサイズの統一は容易だろう。一方針金は板に空けた穴から溶鉄を引っ張り出すことで作られる。これも穴のサイズを調整すれば狙い通りの太さの針金が作れることだろう。


「ならばタマ{ボール}ではなく円柱を使った軸受け{ローラーベアリング}(注3)を作ってくれ」

「タマの代わりに円柱?」

「そうだ。つまりはだな」

「「…………!」」


 二人は大きく目を見開いた。歴史上、タマ{ボール}で重量物を運んだ事例など聞いたことも無いが、コロで運んだ実績は枚挙に暇が無い。古代ナイールのピラミッドしかり、現代の大型船の進水式しかり。しかもそれらはただの丸太で用が足りているのだ。鋼鉄のコロで強度が足りないと言うことがあるだろうか?

 ひょろい博物学者は感心しきりに頷いた。

「なるほど! 遺物をそのまま再現するのではなく、その根底に流れる精神を理解してより現実的なアプローチを試みると言うわけですね!」

「……まあ、そんなところだ」

その考え方は博物学の精神とは相容れない気がするが、本人が喜んでいるんだからイゾルテが気にする必要はないだろう。

「それで熊さん、コロ型軸受け{ローラーベアリング}を作ってくれるか?」

「おう、任せろ! よーし、早速仕事にかかるか!」

意気揚々と自分の仕事場に戻ろうとする鍛冶師だったが、その前にイゾルテが立ちふさがった。そしてずずいと手を突き出した。

「じゃあ、最後のタマ{ボール}を返して貰おうか」

「え? い、いや、これは……」

「もうタマ{ボール}のサンプルは必要ないだろう?」

「…………」

渋々とタマ{ボール}を差し出した鍛冶師に対してイゾルテはとても満足げだった。全てのタマ{ボール}が揃ったことで、遂に彼女の願いが叶うのだ! ……二輪荷車{自転車}の修理という願いが。そして彼女は博物学者に向き直った。

「お前はお前で、今度こそ二輪荷車{自転車}を直せよ。車輪だけでも車軸だけでもなくて、二輪荷車{自転車}全体をなっ!」

「…………」

イゾルテからタマ{ボール}を受け取った博物学者は、引き攣った……もとい、とても満足げな笑みを浮かべていた……はずである。

------------------------------------------------

注1 ボールベアリングは作中にある通り、細かいボールを使った極めて効率的な軸受けです。

自転車はもちろん、ありとあらゆる機械に搭載されています。

だから説明不要ですね。ええ、説明不要なはずです。

イラスト無しで説明するのは超大変なので、独断と偏見に基づいて説明不要だと断定します!


ところで、ベアリングのボールは世界中で量産されているので、非常に入手が容易で安価です。

何気にクレイモア対人地雷やテロリスト謹製の爆弾にもボールベアリング(のボールだけ)が使われたりしています。



注2 「アルカス」の元ネタはギリシャ神話のアルカスです。

こぐま座になった人(?)です。おおぐま座になった母親のカリストーさんの方が有名かな?


アルカスくんは、例によってゼウスがカリストーをレイプして生まれた子供です。

しかも例によって(?)他人に化けて近づく悪辣さ。

アルテムスだと思った? 残念、ゼウスでした!」

いろいろな意味でサイテーですね。


で、例によって姉さん女房(ダブルミーニング)のヘラがカリストーさんを熊に変えてしまいました。

一人残ったアルカスくんは、ある時森で熊を見つけて射殺そうとします。実はこの熊がカリストーさんでした。

このめぐり合わせを憐れに思ったゼウスは、二人を天上に迎え入れ、カリストーさんをおおぐま座、アルカスくんをこぐま座にしたのでした。


……口封じですかね?


注3 ローラーベアリングはボールベアリングのボールをローラー(コロ)に置き換えたものです。

いや、発明はローラーベアリングの方が先かもしれないけど……。

それはともかく、ローラーはボールに比べて内輪・外輪との接触面積が増えるため、抵抗は増しますが耐荷重も増加します。

ただし構造上横棒を支える車軸には使えても、縦棒を支える車軸には使えません。

そっちはボールベアリングで何とかするしかないけど、そもそも縦棒に自重以上の大荷重がかかることってあんまりないから(たぶん)大丈夫です。






このエピソードは「なろう」版には無かったものです。


ベアリングネタは以前から入れたかったんです。ベアリングの有り無しでいろんな効率が段違いになりますからね。

でも、ボールベアリングは必要な工作精度が高すぎて非現実的過ぎるかなぁ、と。


だって真球を作ること自体が至難の業なのに、サイズ=取り分けた質量なんですよ?

最初にボール一個分の溶鉄を取り分ける時に、mg単位できっちり規定量だけ切り出さないといけないのです。そしてそれを苦労して真球にし、固まった後に相互に比較して、「こっちの方が大きいじゃん!」と分かっても最早どうにもならないのです。きっとガックリすることでしょう。

鋳造も考えましたけど、注ぎ口の部分だけ変な形になってヤスリで調整することになっちゃいます。結局職人技の世界になっちゃって、やっぱり量産は難しそうです。

まあそもそも、あんまり細かいボールは鋳造とか無理でしょうしね。


しかも強度が足りないという根本的な問題があります。さすがにどんな贈り物をどう解析しても合金の開発は無理っぽいですし。つーか、アルミとかタングステン合金だったら、融点まで加熱することすら無理っぽいし……


でも「ローラーベアリングなら、加工も強度も何とかなるんじゃないの?」と思って急遽突っ込んでみました。

でも現実社会でローラーベアリングが使われているところを見たことが無いので、

ボールベアリングの構造から無理やりローラーベアリングを導き出しました。苦労しました。


これが新型ガレー船や後に登場する人力戦車キメイラの説得力につながる……と良いなあ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る