9:必然の出会いは突然に

 街の南東、ファッティラビットがいるという森の中。

 未だ猫様の背中でぐったりしているダーザインを尻目に、俺とエニグマは獲物を探していた。


「さっそくいたね」


「マジで? どこ?」


 森に入ってすぐにエニグマが声を上げた。

 それを聞いた俺も慌てて周囲を確認したが、それらしいものは見当たらない。


 俺が怪訝な表情で見ると、猫様は大きな尻尾で木々の奥を指差した。


「そっち、もう少し先に行ったところに一匹。ちゃんと剣は抜いておくんだよ?」


「よ、よし、わかった。」


 言われて俺は慌てて剣を構えた。

 ……慣れてないけどこんな感じでいいんだろうか?


「悪くはないよ」


 よし、猫様から合格でた。

 ……ねえ、ホントに心読んでないよね?


(そういえば……。)


 女神教の三人組から逃げるときもエニグマは見えない距離にいるあいつらの位置を把握しているみたいだった。


 もしかしてあれか? 

 猫様の本能的なあれなのか?


 だからなんだと言われたら特に何もないけど。


 俺は気を取り直して獲物がいると言われた方向を注視した。


(いよいよか。)


 これはあくまでも俺が経験と当面の生活費を手に入れるための仕事だ。

 エニグマとダーザインを当てにするわけにはいかない。


(……ダーザインは最初から当てになりそうにないけど。)


 剣を握る右手に自然と力が入る。


 普通の犬だってその気になれば人間ぐらいは食い殺せるんだ。

 この世界の獣に同じことができないわけがない。


 場合によっては返り討ちにされてそのまま俺の人生終了ってことにだってなりかねない。

 いや、むしろその可能性は十分にあるはずだ。


 いつの間にか俺の心臓は高鳴っていた。


(大丈夫、昨日の夜に素振りはした。イメージトレーニングもやった。大丈夫、大丈夫。きっと大丈夫なはずだ。)


 俺は心の中で自分に何度も言い聞かせた。

 大丈夫、虫なら殺したことあるし、うさぎだって殺せるさ。


「がんばれよユウ。やばかったら助けに入ってやるから」


 未だエニグマに背負われたままのダーザインから声援が飛んできた。


(本当かな? ……いや、期待はしないでおこう。)


 二人が助けてくれるのは今だけなんだ、助けを当てにする癖はつけないようにした方がいい。

 俺は木々の陰に隠れながら獲物のいる方向へ音を立てないように移動した。


(……いた!)


 両手で抱きかかえられるぐらいの大きさに丸々と太った黒いウサギ。

 間違いない、聞いていた話と同じだ。


 たぶん草か何かを食べているんだろう、今は俺に後ろを向けている。


 俺は音を立てないようにさらに距離を詰めた。


 まだウサギ達がこちらに気が付く様子はない。

 すんなりとすぐ近くの木の陰まで来ることができた。


 エニグマの方を見ると、猫様は少し離れたところで立ったままこちらを見ていた。

 それ以上こちらに近づくつもりはないらしい。


 俺はウサギに向けて剣を構えた。

 距離は目と鼻の先、既に一メートルもない。


(か、かわいいじゃないか……。)


 ファッティラビット、つまりデブウサギの名前のままにでぶでぶ真ん丸に太ったウサギは、そのおしりをふりふりと振りながら草をハモハモと食べ続けている。

 未だこちらに気が付いた様子はなく、完全に無防備だ。


 だが……。


(こ、こいつを殺すのか?)


 俺は狼狽した。

 野生の獣がまさかこんなに愛らしいルックスをしているとは思わなかった。


 今すぐに抱き着きたい。

 むしろこのまま生きた状態でお持ち帰りしたい。


 こいつに剣を突き刺すなど、もはや鬼畜の所業だ。


(だがやるしかない! 覚悟を決めろ俺! ……行くぞ! せーっの!)


 さっきまでとは違う意味で手が震えている。

 俺は剣を両手で逆手に持ち、ウサギの背中に上から突き刺そうと勢いよく持ち上げた。


 だが……。


 剣を突き下ろそうとしたところで俺の腕は止まった。


 俺の良心が剣の邪魔をしている!


(り、両手が痺れて動かない!)


 冷静さを失った人間の体には何が起こるかわからない。

 FXで大損した結果、精神的ショックで両手が痺れて動かなくなった人の話なら前に聞いたことがある。


(待て、待つんだ、冷静になれ俺。いいか、三つだ、三つ数えたら殺す。いくぞ! 一! 二! ……三!)


 だが勢いをつけるために再び持ち上げた両腕はまたもやウサギの頭上で止まった。


(でっ、できねぇえええええええ! 駄目だ! 俺には出来ないぃいいいいい!)


 目の前で尚も俺の存在に気が付かないデブウサギ。

 フリフリとおしりを振りながら目の前の草に夢中だ。


 その真上まで迫った俺の剣、それを俺自身の良心が完全に止めていた。

 俺の中で良心と理性が正面からぶつかり合って発狂しそうになってくる。


(殺す、殺すんだ。いいな? 殺すんだコイツを! ……本当に殺すのか? こいつを? 俺が? いやだがしかし、ここで殺らなければ俺が死ぬ、のたれ死ぬ。生活できなくて死ぬ。いや待て、冷静になるんだ俺。……いいか、生きるために殺す、これは自然の摂理だ、仕方ない、仕方ないんだ。世界は殺すものと殺されるもの、その二つだ。殺すものと殺されるもの、生き残るものと生き残れないもの、勝者と敗者、リア充と非リア、、陽キャと陰キャ、彼女持ちと彼女いない歴イコール年齢――!)


 葛藤する俺の中で、何かが弾けた。

 フリーダムとかジャスティスとかデスティニー的な言葉がしっくりくる種的なものがなんかパッカーンと弾けた。


「うぉおおおおおおおおおおおお!」


 至近距離での俺の叫びに驚いたウサギがビクッと一瞬硬直した。

 だがもう遅い。


「ふんっ!」


 俺はウサギに剣を力一杯突き立てた。


 体を貫通した剣が地面に突き刺さるのと同時に、返り血が重力にまっすぐ逆らって噴き出した。


 予想以上の勢いだ。

 俺の両腕はすぐに血塗れになってしまった。


 串刺しにされてバタバタと動くウサギ、それを押さえつけるように俺は剣に力を込めた。


「くっ!」


 思ったより力が強い。

 俺は剣が地面から抜けてしまわないように必死で押さえつけた。


 ……冷静に考えればそれほど長い時間では無かったはずだ。

 だが俺の感覚ではかなり長い時間暴れるウサギを押さえつけていた気がする。


 しばらくしてからウサギは動かなくなった。


「……ぷはぁ! はぁっ、はぁっ!」


 終わった。

 緊張の糸が切れて俺はその場にへたり込む。


「おつかれ」


「おつかれさん」


 肩で息をしながら声の方向を見ると、エニグマが既にすぐそこにいた。

 ダーザインはまだ背負われたままだ。


「ボク、ウサギ一匹でこんなに葛藤してるのを初めて見たよ」


「う……。しょうがないだろ、動物殺すのなんて初めてだったんだから。」


「そうなのか? その年で殺したこと無かったなんて、いいとこの坊ちゃんかよ」


「こっちと違って殺さないのが普通なんだよ。」


 エニグマと同じようなことをダーザインにも聞かれたのでそう答えておいた。


 文明のレベルでは元の世界の方が遥かに進んでいるから、二人にはそんな世界が想像できないのも無理はない。

 江戸時代にインターネットを想像できた人間なんていなかったのと同じことだ。


「さてと……。これからどうしたらいい?」


 俺は体にかかったウサギの血を拭った。


「ボクが凍らせてあげるよ、そのままだと長持ちしないからね」

 

 エニグマがそう言った直後、俺の目の前でウサギの死体が突然氷漬けになった。

 話の流れから言って、この現象の犯人が猫様なのはまず間違いないだろう。


「魔法……?」

(だよな?たぶん。)


「そうだよ?」


 俺の独り言にエニグマが当たり前のように答えた。

 異世界らしい現象に、俺の厨二力が高まっていく。


(……あれ?)


 教会で牢屋から逃げ出そうとした時のことを思い出し、一つの疑問が俺の頭の中に浮かんだ。


「魔法って呪文とか言わなくてもいいの?」


 確か、あの時俺に食事を持ってきていた子は魔法を使うとき何か叫んでいたはずだ。

 少年漫画とかでやるみたいに上級者は省略できるんだろうか?


「……普通は詠唱がいるけど慣れると省略できるんだ。伊達に長生きしてないからね。取りあえずウサギをしまって次に行こうか」


「ふーん」


 なんだろう、今の微妙な間は。

 テンポよく反応してくれるエニグマにしては珍しい。


 俺はウサギを自分の魔法袋の中にしまった。

 氷漬けのウサギは少し重かったがすんなりと袋の中に入った。


 驚いたのは袋の重さはウサギを入れる前と変わらなかったことだ。

 

 流石は魔法の世界。

 これは物を運ぶのに便利だ。


 中の時間が止まっているとかならもっと良かったけど、エニグマの話を聞く限りそういう効果はないらしい。


(手が冷たい……。)


 凍ったウサギを持った影響で両手が冷たい。

 俺はエニグマを見た。


 ……白い毛皮は大変温かそうだ。


「エニグマ、手が冷たい。」


「氷の塊持ってたもんね。じゃあ次のを探そうか」


「エニグマ、手が冷たい。」


「じゃあ次のを――」


 そう言って先に行こうとするエニグマを、俺は両手で触った。

 予想通り温かい。


 俺は純白の毛皮の誘惑に負け、エニグマに抱き着いた。


「あたたかい。」


「……なんでボクで一息ついてるのさ?」


 俺はもふもふの毛皮に顔を埋めた。


「あばばばい。」


「わかるぜユウ。俺もこの魔力からは逃れられねぇ」


 いまだにエニグマの背中でダラダラとしているダーザインを見て、俺も今度背中に乗せてもらおうと決意した。



 その日の夕方。


「はい、これが報酬の三万ジンです」


 ダーザインとエニグマに見守られながらウサギを十匹狩った後、冒険者ギルドで氷漬けのウサギと交換で報酬を受け取った。

 ウサギを探すのと凍らせるのはエニグマにやってもらったとはいえ、実際にウサギを狩るのはちゃんと全部自分でやった。


 凍ったウサギを魔法袋に入れたし、ギルドに渡す時に袋から出すのも自分でやった。

 なかなかの重労働だった。


 そしてダーザインは最後まで空気だった。


「はぁ~、疲れた~。」


 俺はギルドのお姉さんが差し出した銀貨を受け取りながら溜息をついた。


「このお金、どうしたらいい?」


 このお金、つまりは今回の報酬である三万ジン。

 元の世界に換算すると三万円ぐらいはずだから、平凡な高校生の俺にとっては大金だ。


 綺麗に三分割か、あるいは貢献度順に配分だろうか?

 いや、ダーザインには色々と買って貰ってるから、俺はもう十分に報酬を得ている。


 ダーザイン達に全部渡すのが筋かもしれない。


「全部お前が使えよ。現金もないと困るだろ?」


「え? いいの?」


「狩ったのはお前だからな。最初からそのつもりさ」


「ありがとうエニグマ」


 俺はどさくさに紛れて猫様に抱きついた。


「あー、疲れが取れていくぅぅぅぅ。」


「エニグマだけかよ」


 ダーザインは苦笑いした。


 でもこれは嬉しい誤算だ。

 確か宿屋が安いところで一泊三千ジンぐらいらしいから、食事を安い定食にすれば五千ジンぐらいで一日生活できる計算になる。

 三万ジンということはこれで一週間弱は生活できるわけだ。


(もう少し溜めたら部屋を探すか。)


 宿屋よりも部屋を借りた方がもっと安く暮らせるはずだ。

 食事に関しても自炊した方がいいだろう。


 ……なんかちょっと楽しくなってきた。


「よし、メシ食いに行こうぜ?」


「ボクも肉が食べたいよ」


 ちなみに昼はダーザインの持っていた保存食だった。

 今日は一日中動き回ったので、俺も食堂のご飯が食べたい。


「行こう、俺も腹減ったよ。」


「じゃあ決まりだな」


 俺たち三人はギルドを出て昨日の食堂に向かって歩き出した。

 ダーザインの後ろをエニグマと並んで歩いく。


(そういえば防具屋は行ってなかったな。)


 俺は途中にある防具屋になぜか目を引かれた。


 今着ているこの皮鎧、ダーザインが言うには冒険者成り立てが使うものとしてはかなり上等なやつらしい。

 というわけで新しい防具は不要と判断して昨日は防具屋には行かなかった。


 この防具が良いものなら、置いてきた剣も良いものだった可能性が高い。

 もったいないことをしたと思いつつ防具屋から視線を外そうとした時、ちょうどそこの扉を開けて出てきた少女と目が合った。


「……え?」


 俺と少女は揃って足を止めて固まった。


 少女がなぜ止まったのかはわからない。

 だが俺が立ち止まった理由ははっきりしている。


(か、かわいい……。)


 好みのど真ん中だ。

 ピンク色の髪をした美少女の姿は、まるで妄想上の理想形をそのまま取り出してきたかのように俺の好みど真ん中をピンポイントで射貫いていた。


「どうしたユウ?」


「ショックフリーズでもかけられたのかな?」


 俺は後ろからのダーザインの声にも、横からのエニグマの声にも動くことができなかった。


 見つめ合う俺と美少女。

 十メートルほどの距離を挟んで、俺達は互いの視線を正面から合わせたまま動けなかった。


 ……いや待て。

 もしかして、あの子は俺ではなくて俺の後ろにいるエニグマを見ているなんてことはないだろうか?


 ……十分あり得る、あり得るぞ。


 少なくともこの辺ではエニグマみたいな猫はあまりいないみたいだし、俺だって将来はこいつみたいなペットを手に入れたいと思っているわけだから。

 そういえば魔道具屋の子も夢中になってたし。


 ピンク髪の少女は防具屋の入口を塞ぐようにして立っていた。

 その後ろから、どうやら一緒に行動していたと思われる黒髪の少女が出てきた。


 ……こっちも相当な美少女だ。


「どうしたんだステラ?」


 へー、ステラちゃんっていうのか。

 名前もかわいいなぁ……。


 黒髪の少女が声を掛けた瞬間、ピンク髪の子がこちらに向かって駆け出した。

 店の窓に止まっていた金色の蝶も驚いたように飛び立った。


 目算で十メートルの距離を走ってきた彼女が止まったのは、エニグマではなくちゃんと俺の前だった。


「あ、あのっ!」


「はっ、はい!」


 慌てた様子の美少女に声を掛けられて俺も狼狽しながら返事をした。


 ……やばい。

 近くで見るとますますかわいい。


「お!おおお! お茶しませんかっ?!」


「……え? え? うええぇぇぇぇぇえ?!」


 俺は驚きのあまり奇声を上げた。


 これってあれだよな?

 逆ナンってやつだよな?


 ……え? マジで?


 あれって都市伝説じゃなかったのか……。

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