第15話 救済の儀

日食が起こる約一時間前。教会の中央にある礼拝堂では、救世主を呼び起こす『救済の儀』が行われようとしていた。

真月たちが見たときに描かれていた陣は『救済の儀』のものに書き換えられ、信者はついにこの日が来たのだと胸を躍らせている。

「さあ!これより救世主を降臨させる『救済の儀』を始める!」

祭壇の前に立つ髭を蓄えた老年の司祭が儀式の始まりを宣言する。ついにこの時が来たと信者の中には感極まって涙する者さえいた。

「天にしまします我らが神よ…。我らが祈りを聞き届け給へ」

「「「「「天に坐しまします我らが神よ…。我らが祈りを聞き届け給へ」」」」」

司祭が膝をつき、陣に向かって祈るように唱え始めると信者たちはその言葉を繰り返し唱える。その信者たちの手には小ぶりの信象結晶が握りしめられ、彼らは一心不乱に祈りを捧げていた。

「救世主よ……」

「どうか我らをお救いください」

「ああ神よ……。救世主を我らに使わしくださいませ」

信者は祈りの言葉を口ずさむ。司祭は大きな杯を陣の中央に置き、聖血で杯を満たす。

「天に神留坐かむづまります神の尊き神教みおしえのまにまに、大前を拝み奉りてかしこかしこもうす」

司祭が厳かに唱え始めると、祈りを捧げていた信者は陣の外円にある器に信象結晶を入れる。その器は中央の杯と同じく聖血で満たされ、信象結晶が投入されるたびに波紋を浮かべる。

諸々もろもろ罪穢つみけがれはらたまえ、きよたまえともうす事のよしを聞しめせと畏み畏み白す」

信象結晶を投入し、器からあふれた聖血は床の溝を通り礼拝堂いっぱいに陣を広げていく。信者たちが信象結晶を器にすべて投入すると、司祭は祭壇の中央に置いてある金の燭台を持ち礼拝堂のろうそくに火をつけて回る。

その間も司祭の口からは呪文がゆっくりと唱えられている。

「神の広き厚き御恵おめぐみを、かたじけなみ奉り、御日蔭みひかげの尊き彼の日に、種種くさぐさの罪びとの罪穢れを祓い給え」

神父が礼拝堂を一巡し、祭壇に燭台を置くと信者たちは赤いろうそくに燭台から火を灯す。それを床の決まった場所に各々で置き、そのろうそくの前で両手を組んで祈り始める。

「彼の日、彼の地、今ここに約束の時は来たり。神が遣わし給うは救世の者。万象にあまねく満ちる罪という罪。無知なる愚者のけがれし罪過ざいか慈悲深じひぶかき神の裁きを与えん。来たれ、来たれ、来たれ」

「「「来たれ、来たれ、来たれ」」」

そこは一種の狂気に支配された空間だった。誰もが真剣に祈りを捧げている。救世主よ、救いを与えるものよ、この地に来たれと。

いつの間にか聖血が光を放ち、信象結晶と結合する。赤く鈍い輝きを放つそれは、段々と陣の中央に集まった。

不定形のそれはグネグネとうごめき、人型に似た何かを形づくる。

二メートルから三メートル近くあるだろうか。その巨大な赤黒い人型は次第にうごめきを小さくし、確かな形を持つ。

「ああ!救世主よ!」

誰かが叫んだ。それに呼応する様に信者たちはに祈り始める。

「あ、あ、あ、あ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

しかし、ソレが返したのは醜い叫び声。理性も、知性も感じられないその唸りは教会に響き渡った。


その叫びは、真月たちが戦闘を繰り広げている部屋にも聞こえていた。

「!?」

真月たちの誰もがその声に驚く中、柳と教主の男だけは違う反応を見せた。

「ああ!ようやく!この時が来たのだ!」

教主はその声を聞くなり歓喜に沸き、今にも踊りだしそうなほどだ。感激のあまりその眼には涙が滲んでいる。

一方、柳は不敵な笑みを浮かべるだけだったが、とても楽しそうな嬉しそうな様子だった。

「まさか!」

二人の様子に、直政は驚きの声を上げた。自分たちが悪魔と戦っている間に儀式が行われたいたのだから無理もない。

直政は部屋にある時計をちらりと見ると、いつの間にか日食が始まる時間はずぎ去っていることに気が付いた。

「な?!いつの間に…」

言葉を失っている様子の直政につられ、遥と桜賀も時計をみて絶句する。幸運にも悪魔の攻撃は止み、柳とのにらみ合いに発展していた。隙を突かれることはなかったが、三人は柳と教主が部屋の扉の傍に移動していることに気が付かなかった。

「みんな!」

時間に意識を取られている三人を呼び戻したのは真月の一声だった。

「「「は!」」」

しかし、我に返るのは一足遅かった。バッと柳を見やれば、「おきみあげです」といって部屋中に下位悪魔を召喚したのだ。

「しまった!」

柳は部屋の外へと消えた。恐らく階下の礼拝堂に向かったのだろう。だが五人には追う余裕はなく、悪魔の対処を余儀なくされた。

「こなくそっ!」

うじゃうじゃ居る悪魔に向かって一閃すれば下級悪魔は数匹まとめて始末できる。しかしあまりに多すぎてきりがない。

「みんな、下がって!」

遥のその声に、遥の前方で戦っていた桜賀と直政は、真月と日向の元まで急いで移動する。それと同時に、その場一帯の悪魔は細切れになった。

「…さすがハル」

多数を相手取るならばこの五人の中では随一の遥である。その御業に直政は称賛を送った。

「…これくらいじゃまだまだだよ。今日は失敗ばかりだしね」

すでに気がついているのだろう。イザナの効果で思考力が落ちていたとはいえ、誤った選択で仲間を危険にさらしてしまったのだ。

「遥さん。反省は後や。残ってる悪魔倒し切ってはよ下に行きましょ」

日向の言う通りだった。今は一刻を争う事態である。遥は気合を入れなおし、取りこぼした悪魔に向けて攻撃を放った。


柳と教主は戦闘が行われていた部屋から足早に礼拝堂へ急いだ。

「ふふ。はは。あはは!ついに、ついにこの時が来たのだ!あはははははは!!」

高笑いを繰り返す教主はそのまま『バン』と礼拝堂の扉を開く。その中で繰り広げられるのは降り立った救世主に感激し、祈りを捧げる信者たちの姿……ではなく阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

「な…な、なんだ!これは!」

教主の目に映るのは逃げ惑う信者と暴れまわる巨大な人型。悲痛な叫び声が礼拝堂の中に幾重にも木霊している。

「…失敗か」

その様子を教主の後方から見ていた柳はため息を吐いた。かなり綿密な計画の元行われた儀式は、何が要因かはわからないが中途半端な結果となって表れていたのだ。

「…柳!どういうことだ!」

「どういうことも何も、儀式が失敗した。ただそれだけのことですよ」

落胆を隠しもせず柳は教主の問いに答えた。しかし、教主は「話が違う」と喚き散らした。そんな教主を無視して、柳は礼拝堂の怪物を見た。

(なにが原因なのか…)

ぐちゃぐちゃになった礼拝堂の中を冷静に観察し、儀式が失敗した原因を考察する。

(形はしっかりしているから、聖血や信象結晶の不足ではない。呪文…。いや、あれを作ったのはだ。となると……やはり。霊脈が乱れている)

素早く様々な可能性をシュミレートした柳は、教主には儀式の要素、霊脈の乱れが失敗の原因であると突き止めた。

各地で霊脈を留めたり動かしたりと調整したにもかかわらず、この地の霊脈が乱れてしまっているのだ。この儀式は霊脈の力を使ってようやく完成する召喚の儀式だった。

柳は知る由もないが先日、真月たちが霊脈をと止めていた鏡を割り、その地の澱みを正してしまったのが霊脈の乱れの正体だ。

「おい!聞いているのか!柳!」

いくら問いかけても一向に納得のいく答えを返さない柳に教主は焦れて掴みかかろうとした。柳はそれをやすやすと躱すと、汚物を見るような視線を教主に向けた。

「うるさいですね。あれが何かなんて見たらわかるでしょう?あなた達が生み出したバケモノですよ」

正確に言えば彼らが血と信象結晶で作りだした依代に降ろすべき存在が降ろされず、その辺の低級動物霊か何かが入り込んだ存在なのだが、柳は教主に言っても理解できないだろうと適当に割愛した答えを返す。

「な、なら、何とかしろ!」

「嫌ですよ。めんどくさい」

柳は教主の言葉に即答した。何とかできるかと問われればできないこともないが、あれを相手にするには少々骨が折れる。仮にも大量の信象結晶を使った依代だ。悪魔使いの柳には手間がかかるし、怪物を倒すメリットもない。

「しかし、契約では……!」

「確かにあなたとはこの儀式を行うために手を貸すという契約をしていますが、儀式自体は終わっていますから」

そうだ。柳にはこの怪物を召喚する儀式が終わった時点で契約は終了しているのだ。

「…なっ」

自分には関係ないと言わんばかりの柳に教主は絶句する。

「私はそろそろお暇させて頂きます」

幸い、信象結晶の収集及び強制作成の実験も十分な成果を得ることが出来ている。ともなれば、柳がここに長居する必要もない。

ちょうどその場に居合わせる形で二階から降りて来た真月たちを一別し、柳は洗礼された仕草で教主に一礼する。

「では皆さん。の祝福があらんことを」

柳はそう言い残し、颯爽と教会を後にした。

慌てて柳を追いかけようとするが、彼らの目に飛び込んできたのは悲惨な礼拝堂と逃げ惑う信者、赤黒い人の形をした怪物だった。

「なにあれ…」

真月はその礼拝堂の怪物を見た瞬間、悪寒が走った。おぞましい化け物が信者を捕まえては喰らっているのだ。

「おい!あれはなんだ!」

直政は教主に掴みかかった。「ひぃ」と情けない声を上げた教主は「分からない」と繰り返し呟きおびえている。

「くそ!」

直政は何の役にも立たない教主を放り投げた。

「どないします?とりあえず中におる人は助けなあかんけど…」

日向は礼拝堂の中をチラリと覗いた。中の信者たちを助けるにも、まずはあの怪物を何とかしないといけない。しかし、日向たちには行われた儀式の情報はほとんど持っていないのだ。

「おい!教主!あいつを呼び出した儀式の資料か文献はあるか!」

怪物に対抗するための情報を得るべく、直政は教主に再び声をかけた。しかし、怯えてうずくまる教主に反応はない。

「聞いてんのかアンタ!」

ガン、と教主の顔側面の床を桜賀が思い切り踏みつける。

「はひぃ!」

情けない声を上げた教主はそこでようやく話しかけられていることに気が付いた。

「あのバケモノを呼び出した儀式の資料か文献はあるかって聞いてんだよ」

「あ、あります!礼拝堂の奥!右側の小部屋です!」

直政に代わり桜賀が儀式の資料について問いかけると、すぐさま返事が返ってきた。

「よし。俺と桜賀であのバケモノを引き付ける。ハルと日向は奥の部屋を探してくれ。真月は信者どもの救助と誘導をたのむ」

教主の情報から、それぞれに適した役割分担を行うと、五人は礼拝堂に飛び込んでいった。

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