第2話 餃子ケンちゃん

いつも通りの遅い、会社からの帰り道。

今日も今日とて上司からの無茶振りをさばき終えた。

俺の心身はすっかり疲れ果てていた。

山手線高架沿いを、自宅に向けてのっそりと歩く。

お腹がすいた。だが、この辺りに容易に立ち寄れるお食事処は無い。

家の近くにコンビニがあるから、そこで今日も弁当を買って帰ろう。

……だがしかし、今日もコンビニ飯か。

やはり、むなしいな。

あったかいご飯が食べたい。

出来合いをあっためるではなく、出来立てをほおばりたい。

そんなことを考えながらとぼとぼ歩いていると、行く先に街灯に照らされた小さな出店があった。

ぎゅるるるるるーとお腹が鳴る。

俺は疲労と空腹に従うままに、その屋台に近づいた。


「いらっしゃい! 一名様! 餃子ひと皿500円。ワンコイン。食べていきますかい?」

陽気に店員が声をかけてくれた。

満面の笑みを浮かべたガタイの良いにいちゃんだった。

小さな屋根には『筋肉餃子ケンちゃん』と看板が吊るされている。餃子屋か。

「じゃあ、ひとつ貰おうかな。……はい、500円」

俺は財布から500円玉を出してにいちゃんに渡した。

「はいよ、少々お待ちっ」

差し出された水を受け取り、設えてあった椅子に座った。

本当はがっつりと食べたいところだが、まあとりあえずの小休止という事で。

しかし今日もてんやわんやだった。唐突なトラブルもあった。

ほんと、参っちまうわ……。

今日の仕事について反芻していると、店員のにいちゃんが屋台の内側から出てきた。ブーメランパンツ一丁で。

「なっ……!?」

あまりの衝撃に俺は二の句が継げなかった。

こんな夜間にいきなりパンツ一丁の屈強な野郎に遭遇するとか普通考えない。

一体何事なんだ!?

だが、俺の心配を他所にそのにいちゃんは朗らかな笑みを浮かべていた。

「お客さんを最高の筋肉ショーへとご案内いたします!」

言うが早いか、屋台のカウンターに置いてあったボールの中へとふんぬと勢いよく手を突っ込んで、何かを握り取った後、その手を持ち上げた。

その手をそっと開く。

赤と緑の土くれのような見た目。

どうやらボールにはあらかじめタネが用意されていたようだ。

「はいっはいっはいっ」

にいちゃんはタネの塊に余ったタネを付け足し、握り込む。指の隙間からタネが溢れてボールへと零れ落ちるが、気にすることも無く何度も足しては握る。

その動作に全身の筋肉がまるで呼応しているかのように脈打つ。

生き生きとした生命の息吹が感じ取れる。二の腕、胸筋、腹筋へと連動した力のうなりが、まるで全て握ったタネに流れ込むかのような迫力。

「はいよいしょー、次っ!」

やがて引き締められ凝縮された大きなこぶしほどの丸薬のようになったそれを屋台のカウンターへと置き、再び手をボールへと突っ込んだ。

「はいっ、はいっ、はいっ、よっ、はあっ、せいやっ!」

再び始まるにいちゃんのマッスルタネ握り! 全身の筋肉からエネルギーがほとばしっているかのようだ。

……俺は今、未知なる世界との遭遇を果たしているのかもしれない。

そうして出来上がったふたつ目の丸薬を先程のものの横に並べて置いた。

「さあこっからが大一番! キレていきますよー!」

気付けばにいちゃんの両手は白い膜のようなもので覆われていた。

あれは……餃子の皮かっ!?

「せいっ!!」

にいちゃんは手をすばやく動かして先程握ったタネを皮越しに掴み上げる。

「!??」

そして、俺は奇跡を見た。

なんと手のひらで綺麗に皮を包んでいくではないか!

しかも器用に片手でヒダを作っていく!? 両手同時に! なんということだ!?

先程の筋肉にものを言わせた全力の握りからの、この繊細な指先。

いや、指先に集中しているだけが全てではない。

身体中の筋肉が静かに鼓動しているのが分かる。

仁王立つ下半身を支える大腿四頭筋。

上半身を支えるシックスパックな腹筋の艶やかさ。

上半身のリズミカルな胸筋の響き。

力を伝えるため静かに脈打つ上腕二頭筋。

ありとあらゆる筋肉を駆使して、餃子が形作られていく!?

この神々しさはもはや芸術の域だ。俺は、生きた芸術を目の当たりにしているのか!

「さあーてお客さん。しっかり見ていてください!」

餃子の姿となったそれを優しく包み、両手を下から大きく円を描くようにゆっくりと持ち上げ、そして満面の笑みでポーズを決めた。


「はい、どーん!」


なんてことだこれは……ダブルバイセップス!!!

全身の調和、どこをとっても不足なし!

力強く、きめ細かい優しさを見せた後の、完璧な世界だ! 

そう世界が凝縮されている! 

あまりに仕上がっている! 

全てが神々しい輝きを放っている! 

これは、これは、これは、ナイス、バルクッ!


それからにいちゃんはポーズを解き、屋台のカウンター越しにあったフライパンへと餃子を置いた。

ジュゥゥゥウウウウっと盛大な音が子気味良く鼓膜を震わせていった。

「はいっ! 餃子おまちどうです!」

まるで白昼夢かと疑うような奇跡に思考を奪われていた俺の手元には、こぶしほどの大きなふたつの餃子が照り輝くお皿が差し出されていた。

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