第5話 1万年振りの『外』へ、そこは


 1万年振りの『外』。

 そこで初めて目にしたのは、絵の具を垂らしたかのように青い天井だった。


 ああ、覚えている。アレは、空だ。

 この目の前にあるのも覚えている。木だ。地面にあるのは、土だ。

 手にとって持ち上げると、サラサラと下に落ちていく。これは、砂だ。


 どれもこれも、『白い世界』には無かったモノ。

 どれもこれも、1万年振りに見たり触ったりした。


 良い匂いがする。これは何の匂いだろうか?

 鼻を鳴らしながら匂いの元を辿ると、そこにはカバンと、笹の葉に包まれた丸い物体がある。

 指で突くと、結び目が解け、中から白と黒の物体が出てきた。


 ああ、覚えている。コレは、おにぎりだ。

 僕は、急な空腹感を覚えた。『白い世界』では、餓死を避けるためか、腹は減らなかった。

 感触を確かめるようにそっとつまみ上げ、僕はそれを……口に入れた。


――ああ……美味しい……。


 1万年振りの食事。僕は、言葉に出来ないほどの感動を覚えていた。


「ああ……あああ……! うわああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!!」


 喜びなのか。怒りなのか。悲しみなのか。それとも全てなのか――。

 突然胸が張り裂けそうになり、僕は叫ばずには居られなかった。


「今の叫び声は、こっちからか……?」

 木々の間から、少年三人と、少女一人が訝しげにこちらを覗いている。

 あれは……人だ。間違いなく人だ。ああ……ようやくだ。

 ようやく、一番会いたかったモノに会える日が来た。


「……ぅ……! ぁ……ぃ……!」

 緊張しているのか、それとも声帯が弱っているのか、声がうまく出ない。

 早く、早く何かを言わないと。何でもいいから、人と会話したいんだ。


「なんだコイツ? 浮浪者か? 星は……『無星』か。もしかすると、脱走者かもしれないな」

 胸に『三つ星』を付けた少年が、汚物でも見るような目で見下す。


 チリリと、頭に雷が走った気がした。

 どこかで見たことがある目つきだ。1万年前のあの日に、見たような気がする。

 僕に呪いをかけたアイツの名前は、確か……『エ×□ア』。


 ああ……ダメだ。ハッキリと思い出せない。

 絶対に忘れないようにしてたのに、1万年という月日が僕の記憶を粉々に破壊してしまった。


「た、助けて!」

 少女が僕に駆け寄ってきた。酷く怯えているようだ。


「ハハッ、そんなのに助けを求めるのかよ? こんなヤツじゃ無理無理」

「そこの浮浪者。見逃してあげますから、痛い目に遭う前にどこかへ行きなさい」

 『二つ星』を付けた少年たちが、あざ笑うように言った。

 状況がまるで分からない。――でも、確かなことが一つだけある。


「お願い……助けて……」

 少女が、僕に助けを求めている。なら、やることは一つしかない。


 僕は少年三人に向かって、掌を上にし、クイクイっと手招きをする。言葉を出せなくても、これで通じるだろう。


「はっ……あははっ! おいおい、『無星』の浮浪者が挑発してるよ! こりゃ不敬罪で死刑もんだよなぁ! おい、ルーエン! ミリオラには絶対当てるなよ」

「ええ、もちろんですよ。ガジム様に逆らったこと、あの世で後悔しなさい。【第一式 ファイヤー・ボール】!」

 ルーエンと呼ばれた少年が呪文らしきものを唱えると、大気中の空気が燃え上がり、掌よりも大きい火球が出来上がった。

 ああ……魔法だ。まだ1周目の時、魔法を使えるのが羨ましくて仕方がなかったなぁ。


「黒焦げになりなさい!」

 ルーエンは、僕に向かって火球を投げつけた。前なら、かわしていたか、弾いていただろう。


 だけれど今、僕も魔法を使うことが出来るんだ。

 ほんのちょっとだけ、普通の魔法とは違うけれども。


 燃え盛る火球は、僕の目の前で――フッと消え去った。

「……え? 私の魔法が……消えた?」

「おいおい、何やってんだよ。ビビって手加減しすぎたか? 代われ、オレがやってやる。【第一式 アイス・ランス】!」

 大気中の水分が集まり、凍り、やがて杭のような形になっていく。


「おらよっ!」

 ガサツな外見に相応しい声で、少年は氷の槍を投げ放つ。

 火の次は氷か。それなら……こうだ。


 僕は、それに向かって掌を向ける。

 氷の槍は一瞬にして崩れ、水となって地面に吸い込まれていった。


「な、なにぃ……!? あ、ありえねぇ!! てめぇ、なにしやがった!?」

 自分たちの攻撃をことごとく無効化され、『二つ星』の少年たちは酷く困惑していた。

 何が起こっているのか、理解できないのだろう。


「魔法を消すことが出来るなんて、貴方いったい何者なの……? もしかして、貴方は――」

 絶望に満ちていた少女の目に、希望の光が宿り始めていた。




 『三つ星』の少年は怯むことなく、僕を睨みつけてくる。

「……『無星』のクセに何をした? 魔法で魔法を相殺したとでも? 目に見えない形で? そんな器用なこと、『三つ星』の俺でも出来ない。なにかトリックがあるんだろ?」

 ああ……知っている。これは、自分が絶対上だと信じて疑わない、愚か者の目だ。


「【第二式】じゃ、ミリオラにまで被害が及ぶな。なら……あの魔術しかないか」

「もしかして、アレを使うんですか!? ははっ、お前絶対死んだぞ!」

「『三つ星』を獲得した魔術を見られるなんて光栄です!」

 『二つ星』の少年たちが騒ぎ立てる。いったい何を始めようというんだ?


「中途半端に腕が立つことを後悔するんだな! 顕現せよ! 何人にも破られぬ絶対の盾よ! 【第三式 魔装術】!」

 魔術を唱えると、少年の影から無数の黒い糸が立ち昇り始めた。

 それは全身に纏わりつき、重なり、やがて黒い鎧となった。


 それを見て、僕の全身が激しく粟立った。

 ああ……知っている。僕はその魔術を、嫌というほど知っている。


「……ぅ……。そ、その……魔術は……?」

「お? なんだ、喋れたのか。ははっ、そうだよな。この魔術を知らないわけがないよな。魔法攻撃を軽減し、剣や槍すら弾き飛ばす最強無敵の鎧。英雄――いや、真の勇者であるエイジア様が生み出した、至高の魔術の一つだからな!」


 ああ……ああ、そうだ。やっと思い出した。そうだ、その名前だ。

 僕を――俺を裏切り、俺を1万年も閉じ込めた、魔王よりも憎いその名前――!


「エイジアッ! エイジアッ!! エイジアアアァァァッ!!!」

 俺も来たぞ! 2周目の世界に! お前の牢獄をぶち壊してなぁっ!!


「ふんっ、いきなり発狂するとは、やはりまともじゃなかったな。それとも、この魔装術を目の前にして絶望したか? まぁいい。エイジア様から直々に教わったこの魔術で、お前を殺してやる!」

 全身鎧を着ているとは思えない速度で、ガジムは僕に向かって突撃してくる。


 エイジアが生み出した至高の魔術? なら、丁度いい。

 俺が1万年の研究で生み出したモノとどっちが上か、今ここで試してやる――!


 俺は掌を広げ、意識を集中させる。

 イメージしろ。集めるのは空気ではない。空気中に含まれている、『酸素』だけだ。


「――【ファイヤー・ボール】」


 酸素の塊に、俺は火を灯す。火は一瞬にして炎となり、爆発的に大きくなっていく。

 やがてそれは、空気すらも焦がし尽くす大炎となった。


「な、なんだ、それは……? そ、それのどこがファイヤーボールなんだ!? たかが【第一式】の魔法が、そんな威力になるハズがない! 【第四式】……いや、もしかすると【第五式】以上の……!?」


「受け止めて……みろ……! エイジアご自慢の……鎧とやらでな……!」

 俺は、木よりも高く燃え上がるそれを、黒い鎧に向かって投げつける。


「やめろ……! 来るな……! うわあああぁぁぁーーー!?」

 ガジムは絶叫しながら、その場にしゃがみこんだ。

 実践で初めて使った魔法は、黒い鎧の大半を弾き飛ばし、うっそうとした森を焼き払いながら山の向こうへと消えていった。


「はぁっ……! はぁっ……! た、助かったのか……!?」

 ガジムは剥がされた鎧など気にも留めず、心の底から安堵していた。


 どうやら『白い世界』で使った時よりも、威力が上がっているようだ。こちらの方が酸素が集まりやすいのだろうか?

 その所為でうまく制御が出来ず、外してしまった。

 俺は再び掌に意識を集中し始める。今度は……ちゃんと当ててやる。


「や、止めてくれ! そんなの受けたら死んでしまう! ミリオラにはもう手を出さないから! 俺たちの負けでいいから!」

「何を……言っているんだ……? 止めるわけが……ないだろ……? これは……勝負なんかじゃ……ないんだからな……!」

「ひ、ひいいぃぃーーー!!」

 少年たちは情けない悲鳴を上げながら、焼け残った森に向かって逃げていく。


 なぜ逃げるんだ? 実験はまだ始まったばかりなのに。

 さあ、もう一度【魔装術】とやらを使ってくれ。今度は鎧だけでなく、中身も残さずに吹き飛ばせるか試したいんだ。

 ああ……エイジアに見せてやりたい。俺の魔法が、お前の魔術をぶっ壊す瞬間を。


 俺は少年たちの背中に向けて、掌をかざす。




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