第五話

 囮捜査の二回目、今度は都内のカフェに呼び出された。


 佐倉を待つ間SNSを眺めていると、伊東の投稿が目に入った。内容はどうでもいいことなのに、クラスメイトからのリプライや「いいね」がたくさんついている。


 そうか、彼女はみんなから見たら普通の人間なんだ。


「水瀬君、お待たせいたしました」


 僕は携帯をしまい、「お疲れさまです」と彼に挨拶をした。


 彼は店員さんにアイスコーヒーを注文し、僕の向かいに腰掛ける。


「あの、もしかして、契約に印鑑とか必要でしたか?」


 当然僕の偽名である「水瀬」の印鑑は持っていないので、「必要」と答えられたら困るわけだが。クラスメイトの水瀬君に借りようかな。


「ああ、いや、今日はそのことじゃなくて――」


 佐倉は何か言いづらそうに口籠もった。契約でなければ何だろう。説明会みたいなことをやるのだろうか。それとも契約の前に面接?


 僕はアイスコーヒーを一口飲もうと、グラスを手に取った。


「違っていたらいいんだけど……。君、理沙ちゃんの所の助手、だよね?」


 心臓が跳ねた。


 グラスを持つ手の感覚がなくなる。


 滴った結露が、ズボンの太股部分を濡らした。


 冷房は付いているはずなのに、額に汗が滲む。汗が背中を伝う。


「ああ、君を責めるつもりではないんだ、それだけは勘違いしないでくれ」


 僕は鞄の中にナイフでも忍び込ませておけば良かったと後悔した。


「じゃあ、どういうつもりなんですか……?」


 おそるおそる、彼の意図を尋ねる。


「彼女に助言して欲しいんだ。私のことは許してと。本当に申し訳ないことをした。いくらでも償うつもりだ」


 加害者の罪悪感というのは、こういうものなんだろうな。


「……あなたは、伊東の妹を襲ったんでしょ。それを伊東も気に病んでるんです」


 せめて、彼に罪悪感を抱いて欲しい。「許して」で消えるような傷じゃない。


 しかし、彼は僕の言葉に目を丸くした。


「私が、理沙ちゃんの妹を襲った……?」


「そう聞きました」


 男は眉間にしわを寄せ、顎に手をついた。


「どういうことだ? 私は理沙ちゃんの妹を襲おうとしている奴らを、止めるつもりだったんだ。結局、失敗に終わったんだけどね」


「……はい? でも伊東はあなたが妹を襲ったって」


「そんなはずはない。私は――」


 佐倉の話によると、彼は仲間たちが伊東の妹を襲おうとしている所を止めに入ったらしい。しかし佐倉は仲間たちに「裏切り者」と暴行を受けて気を失い、仲間を止めることはできなかった。気づいたときには病院にいたそうだ。


 僕の記憶が正しければ、伊東は確かに「妹を襲った犯人」と言っていたはずだ。


「なるほど、じゃあ伊東は止められなかったあなたを恨んでいるのか、そもそもこの事実を知らないという可能性が……」


「とにかく、私もいつ殺されるかわからない……」


「はい? どういうことですか?」


「水瀬君、君、理沙ちゃんの連絡先知らないか?」


 この人、強迫性障害を煩っているのだろうか。そう思わせるほどの怯えぶりだが、彼女からこの人を殺そうなんて言葉を聞いたことはない。それに彼女は佐倉に怯えていたのだ。対面せずにどうやって殺すというのだろう。


「あ、えっと……。すみません、知らないです……。ただの運営仲間なので……」


 混乱している僕は、彼の申し出に嘘を吐いた。普通に考えれば知らないはずはないのに。


「そうか……。どうにかして連絡を取りたいんだが……」


 どうやら混乱していたのは僕だけではなかったらしい。



 〇 〇 〇 〇 〇 〇



「妹を助けようとした? 惑わされないで。アイツ、古谷君のことを味方に付けようとしてるのかも!」


「そう、なのかな……」


 二回目の潜入捜査を行った三日後、僕たちは新たな依頼のために前回と同じ樹海に来ていた。しかも依頼者が夜を選択したため、辺りは薄暗かった。一応当プロジェクトは昼と夜、どちらの部かを選べるようになっている。しかし昼間の暖かい光で死にたいと考える人が多いのか、夜を選ぶ人は少ないらしい。


 太陽が沈んだ薄暗い樹海では、彼女の白いワンピースが目立って見えた。


 正直新しい依頼を受けている場合ではないと思ったが、自殺を望む人間にとってこちらの状況など関係ない。伊東に佐倉と交わした会話の内容を話したが、結局どちらの言い分が正しいのかわからないまま依頼日当日になってしまった。先ほどの会話から判断するに、佐倉が妹を助けようとしたこと自体、知らないのかもしれない。


「まあ、とにかく彼が妹を助けたかどうかより、なりすましをやめさせなきゃ」


「ああ、たしかに」


 事実確認に取り憑かれていた僕は、ここでようやく本来の目的を思い出した。


「来ないなあ……。集合時間は十八時のはずなのに」


 依頼者の概要は、僕も事前に聞かされている。名前は「佐藤」とだけ書かれていて、自殺理由の欄は空欄だったらしい。人に言えないような理由なのだろうか。


 今回もやはり参加者は一人だけで、僕の時のように複数人が平行して参加することは珍しいとのことだった。


「あ、来た――」


 木々が生い茂るその向こう、高身長の人間が現われた。見覚えのある頭身に、自分の身体が硬直するのを感じる。


「お待たせして、申し訳ありません。伊東理沙さん、話を聞いて下さい」


 伊東がゆっくり後退する。何かに躓いたのか、バランスを崩し、尻餅をついた。


「こ、来ないで!」


「もう、やめましょう。話し合いましょう。私は丸腰です」


 佐倉はそう言って、小さく両手を挙げた。


「来ないでって言ってるでしょ!」


 パキッ、パキッと、佐倉が足を前に進めるたびに、枝を踏む音が聞こえた。


「あの時の事は謝ります。本当に悪いことをした。もう二度とあなたの前に姿を見せませんから、私からも手を引いて下さい」


 僕は伊東の前に出て、佐倉へ向かって叫んだ。


「佐倉さん、そこで止まって下さい。距離を置いて話し合いましょう」


 佐倉はもう、顔が見えるところまで来ていた。そこに刻まれた皺がはっきり見える。


 伊東の方を振り返り名前を呼ぶも、彼女の視界には佐倉しか映っていないらしかった。


「理沙さん、私のことはもうこれで忘れて下さい」


 伊東はその言葉に目を見開いた。


「忘れて? 忘れられるわけ、ないでしょ……?」


 伊東はそう言ってゆっくり立ち上がると、僕の前に出た。


「伊東……?」


「ごめん、この依頼者は私が一人で見送る」


「いや、でも、依頼者じゃ――」


「大丈夫。今回は私に任せて」


「伊東、だって、一人で」


「……どうにもならないことにも、立ち向かってみる――」


「……伊東?」


「……あとで、バス停近くのコンビニで落ち合おう」


 伊東はそれだけ言うと、佐倉の元へ歩いていった。


 僕はなんだか、その場にいてはいけない気がして、彼女に背を向けて歩き出した。



 〇 〇 〇 〇 〇 〇



 コンビニの喫煙所で、スーツに身を纏ったサラリーマンが煙草を吸っている。青い蛍光灯に虫が入り込み、ジュッという音がした。それに続けて、サラリーマンが灰皿に落とした煙草もジュッと鳴った。


 いつもなら「見送り」に一時間もかからないのに、もう三時間は待っている。やはり戻った方がいいかな。伊東の身に何かあってからでは遅い。


 死にたくさん触れ合った人間として、彼女の「生きる理由」を聞きたかった。そうすれば僕も生きる理由を見つけることが出来るかもしれないから。


 そんなことを考えていると、猛烈に彼女に会いたい衝動に駆られた。


 もしかしたら、佐倉に殺されてしまったのかもしれない。


 やはり、樹海に戻ろう。


「……古谷、君」


 そう思ったとき、背後から囁くような声が聞こえた。


「うわっ!?」


 コンビニの薄暗い駐車場に僕の声が響く。


「へへっ、心配した?」


 最後に会ってから数時間しか経ってないのに、なんだか彼女は疲れ切った顔をしていた。


「……心配は、した」


 僕の回答を聞くと、彼女は満足げに笑った。


「帰ろうか」


「うん」


 終バスは既に行ってしまったので、僕たちは歩いて山を下った。街灯は少なくて、そんなものより月明かりの方がずっと頼りになった。


「……どう、なったの?」


 前を歩く伊東に、おそるおそる質問を投げかけた。


「……んー、あの人は、自殺したよ」


 彼女はそう言って、目元だけの笑みを浮かべたまま僕の方を振り返った。


 僕はここで、白いワンピースの裾に赤黒い汚れが付着していることに気づいた。


 そしてもう一つ、彼女が嘘を吐くときに「んー」と迷うような声を挟むことにも気づいた。

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