第三話

 うーん、と伸びをして、眠そうな目で田島が僕を見る。資料とにらめっこするのはもう疲れたらしい。

「センパーイ、どう思います? 隆くんの話」

「おばあさんのこと? 怪物のこと?」

「どっちもです。本当にいるんでしょうか?」

 謎の老婆に誘われた先は怪物の住む蔵、だなんて、昔話の怪談みたいだ。

 ただの怪談だったらよかったのだけど、残念なことに被害者が実際にいる以上、きちんと調べて事実を明るみに出さなければいけない。

「普通に考えたら、おばあさんが被害者を誘い込んで蔵の中で殺してる、ってことなんだろうな」

「でも、おばあさんは蔵の中には入れないでしょう? もしかしたら、ものすごく小柄なのかもしれませんけど」

「いくら小柄でも子供サイズってことはさすがにないだろう」

「ですよねー。たまにすっごいちっちゃい人いますけど、そういう特徴があるんだったら隆くんが話してくれると思いますし」

 着物とお面以外にも、隆くんからいくつか特徴を聞いたけれど、その中におばあさんが小柄だった、という証言はない。

 また二人してうーん、と考え込む。困った。両親にも話を聞いたけれど、例のおばあさんも怪物らしきものも見かけなかったそうだ。

「別の人に話を聞くか」

「おっ、次は誰に聞くんです?」

「ご両親が隆くんを探していた時、ちょうど山菜を取りに来ていて居合わせた地元の人がいるみたいなんだ。その人が、もしかしてあそこかも、って両親を蔵のところまで案内したそうだ」

「うわ、あからさまに事情知ってそうですね。村に伝わる怪物、喰らい様の話とか聞けちゃったりして」

「だろう? 隆くんの証言は、よそから来た人の証言だ。あの地に住んでいる人から見るとどうなのか、聞きに行く価値はある」

 了解です、と返事をした田島が資料を漁って電話をかけ始める。うまくアポが取れるといいのだけど。


 その人はよく日に焼けた体格のいい老人だった。ゴツゴツした手で湯呑みを運び、我々の前に置く。

 現場の蔵がある山の麓の小さな村に、その老人は住んでいた。名を山代拓也さんという。

「刑事さんよ、悪いことは言わんから、あの屋敷には近づかんほうがええ」

「と、言いますと?」

 出された緑茶は適度に暖かくておいしい。たまにはコーヒー以外もいいものだ。飲み物のレパートリーを増やそうか。経費で落とせるだろうか?

「あの屋敷には喰らい様がおるんだ。近づいたら、引き摺り込まれて食われてしまう」

「怪物、ですか」

「そうだ。ここの村のもんはみんな知ってる。この現代にこんな話、信じられないかもしれんがね」

 ここにも出て来た。その喰らい様というやつが実在するのかどうかはともかく、この近辺の人にはその話が伝わっているようだ。

「どんな姿をしているか、とかはわかりますか?」

「さあ。見た者はおらんからな。そいつの姿を見る時は食われて死ぬ時だ」

 いまいちはっきりしない、雲をつかむような話だ。蔵にいた男性から早く話が聞ければ、進展するのかもしれないけれど、相変わらずまともに話せる状態ではないらしい。

「その喰らい様というのは、どういうものなんです?」

「どういうもの、ってえと?」

「怪物の話が村に伝わっているのですよね。ならばそれ相応の曰くというか、伝承のようなものがあるのではないかと」

「ははは。警察のくせに昔話をあてにするのかい」

「火のないところに煙は立ちませんから」

 老人は、顎に手を当てて少し考える。

「いつからだったかなあ、この話が村に広まったのは。気がついたらみんな知ってたんだよ」

「ほうほう」

「あの蔵、山姥が怪物を飼ってるんだ。最初に俺が怪物の話を聞いたのは、桑田さんちのチビがいなくなった時か。俺が成人してすぐくらいだったかな」

「名前を教えてもらえますか? もしかしたら、発見された骨の中にいるかもしれません。医療機関に照合できる記録がないか当たってみます」

「ケン坊って呼んでたなあ。そうそう、桑田健一だ。小学校上がりたてくらいだったか」

 山代さんの表情は硬い。時間が経っても傷は癒えていないということだろうか。

「おや、山代さん。お客さんかね。珍しい」

 勝手に山代さん宅の玄関を開ける者があった。見ると、おばあさんがタッパーを持って立っている。皺の寄った笑顔が素朴な印象だ。

「おお、トメさん。いらっしゃい。すまんが、今は刑事さんが来とるから、ちょっと後にしてもらえるか?」

「いんや、あんたにもらった山菜の煮物を持って来ただけだから、これを置いたらすぐ帰るよ。刑事さん、っていうと、この前の蔵の件かね? 生きとる人が蔵から助け出されたそうだけども、その人は元気かね?」

「そうです。その件で参りました。その男性は、命に別条はないんですが、錯乱状態がひどくてまともに話せる状態ではありません」

「そうかい。難儀なことよなあ」

 トメさんは、難しい顔をして目を細めた後、もう一度こっちに向き直って言った。

「あの蔵には、あんまり近寄らんほうがええと思うで。山姥に捕まって、喰らい様の餌にされてしまう」

「そういうわけにもいかないんですよ。仕事なので。その山姥の話、この村では有名なんですか?」

「そうとも。みんな知っとる」

「話してもらえますか? 捜査の参考になるかもしれない」

 おばあさんは「ええよ」と言って、山代さんの隣に腰掛けた。

 まあ、ゆっくり話すとええ、と笑って、山代さんは台所へ向かった。


 村に伝わる怪談、ってとこかね。言うことを聞かねえ小さい子に「あんたみたいな子は喰らい様に食べてもらうよ」って脅すのによく使うんだ

 なんでも、その喰らい様ってのは山奥の屋敷の蔵にいて、いらないもの、都合の悪いものを食べてくれるんだそうだよ。

 喰らい様の力を借りたくなったら、山奥の古屋敷を訪ねればいい。そこには喰らい様の世話をしている山姥がいて、話を聞いてくれる。

 食べて欲しいものを山姥に伝えると、三日とたたないうちに村から消えるんだそうだ。

 まあ、どこにでもあるだろう? この手の不思議な話。孫が学校に七不思議があるって言ってたけど、それと似たようなもんさ。

 マユツバもんだし、今となっちゃ信じてるもんの方が少ないんで、最近じゃ例の古屋敷は若い子たちの肝試しに使われてるがね、この村には、この話が必要だったんだよ。

 ここは、山肌を切り開いで作った狭い村だから、嫌な相手と距離を取るのも難しい。豊かな土地でもないから、心の余裕なんかある人間の方が珍しい。最近は色々便利になって来たから、昔ほど大変じゃないけどねぇ。

 だからね、いざとなれば喰らい様がなんとかしてくれる、っていうのは、結構心の支えだったりするもんなんだよ。

 迷惑なお隣さんも、手がつけられない暴れ者も、養いきれない子供も、世話が大変な寝たきり老人も、折り合いが悪い家族も、いざって時には喰らい様に頼ればいい。そう思うことでちょっと気持ちが楽になった瞬間がない者なんか、この村にはいないんじゃないかね。誰にだって、消えて欲しい相手の一人や二人いるものさ。

 それに、なかったことにして隠してしまった方がいいことも、長く生きてると何度か見かけるものだよ。

 この村は、臭いものに蓋をしないとやっていけないのさ。

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