櫻ノ陸『三春四文詞』

 翌日の朝、私が起きた時には既に幸子の姿は無かった。

 愛子に訊くと、幸子は朝の仕事を終えて、今は行水をしている最中だという。農家の朝は早いと言うが、あれは本当のことだったのだ。


 幸子の寝起き姿が見れなかったことに一抹の寂しさを抱きつつも、屋敷の中を散策することにする。昨日は結局、見て回れなかったからだ。広い屋敷だ、幸子が出て来るまでの暇潰しとしては充分だろう。そんなことを考えながらぶらぶら歩いていると、早速見知った顔に出逢った。

 滝沢栄一。フリージャーナリストという、怪しいことこの上無い肩書きの持ち主だ。普段ならできるだけ関わり合いたくない部類の人種だが、この場においてはそうもいかなかった。この家では彼の方が先輩なのだ。

 朝露に濡れた庭の草木に水を遣りながら、彼は「よっ。おはよう、画家さん」と軽い挨拶をして来た。


「昨日はよく眠れたかい? 変な夢見たとか言うなよ? それは多分夢じゃないから」

「ええ、おかげさまでぐっすり眠れましたよ。滝沢さんこそ眠れましたか?」

「ああ。愛子さんが居てくれたおかげでね。昨夜は遅くまで相手をして貰ったから、老体にはちと堪えたがのう。はっはっは」


 などと軽口を叩き合いながらも、互いに目は笑っていない。お互い相手から自分にとって有益な情報を引き出そうとしているのだ。私は勿論彼を信用していないし、彼も職業柄、私のことを情報源としてしか見ていないだろう。そんな私達の間に、情報交換などという発想が生まれよう筈も無かった。


「しっかしあんたも見かけによらずやるねぇ。まさか本当に幸子ちゃんと一夜を共に過ごすとはな。正直、そんな甲斐性の持ち主には見えなかったんだがよ。と、こりゃ失敬」

「別に構いませんよ。実際今までの私は、女性を絵のモデルとしてしか見ていなかったんですから。幸子ちゃんに出逢う前まではね」

「ほう? するてぇと何かい? あんたまだ経験無い訳?」

「その辺はノーコメントの方向で。プライバシーの侵害で訴えられたくなかったら、それ以上詮索しないのが貴方の身の為ですよ?」

「おお、怖い怖い。画家の先生様は法律にもお詳しいようで」


 おどけたように笑いながらも、眼鏡の奥の鋭い瞳は私の一挙手一投足を観察していた。最初に逢った時からただ者ではないと思っていたがこの男、どうやら筋金入りのプロらしい。私の言葉だけでなく動作からも情報を得ようとしているのだ。

 厄介な男に出逢ってしまったものだと胸中で舌打ちしながらも、私はいよいよ核心的な話題に触れることにした。


「そんなことより、昨日貴方が言っていた失踪事件のことをお訊きしたいのですが」

「ああいいぜ。だがその前に、渡すものを渡して貰おうか」


 そう言ってわざとらしく手をひらひらさせる滝沢に、私は旅費の一部を手渡した。

 こう来ることはある程度予想済みだ。大体にして情報屋という人種はヘビースモーカーが多い。恐らくその例に漏れず喫煙家であろう滝沢が、こんな辺鄙な場所に一週間以上居るのだ。きっと大量の煙草を消費したことだろう。その費用は馬鹿にならない筈だ。

 そう推測して予め用意しておいた金だが、それで情報を手に入れられるのなら安いものだと私は思う。


「失踪事件は毎年春、桜の咲くこの時期に決まって起こる。行方不明者は老若男女問わず、一見してそこに規則性は無い。年によってその数もバラバラだ。一人で済んだ年もあるし、一度に六人、一つのグループが丸々消えた年もある。逆に言えば、一人も消されずに済んだ年は零なんだ。俺はこの点に注目してみた。そこにこそ事件解決の糸口があるんじゃないか、ってな。そして見つけたんだよ。一見無関係な被害者全員に共通する──あえて被害者と呼ぶことにするぜ──幾つかの共通点をな」


 口の端を笑みの形に歪めて滝沢は言って来る。

 私はごくりと唾を飲み込んだ。


「と、その前に基本知識の確認だ。あんた確か、ここには来たばかりだって言ってたよな? 三春町についてどの程度知ってるんだ?」

「観光ガイドに載っている程度の知識なら。後、幸子ちゃんから聞いた話もあります」

「宜しい。それじゃ、田村清顕(たむら・きよあき)と愛姫(めごひめ)についても知っている訳だな?」


 滝沢の言葉に、私は頷いた。

 田村清顕とは戦国時代この地方を治めていた大名の名前で、その一人娘が愛姫だ。当時世継ぎに恵まれなかった清顕は、お家存続の為愛姫をかの有名な独眼竜、伊達正宗に泣く泣く嫁がせた。


 めんごい、すなわち可愛いという意味の方言から愛姫と名付けた位だから清顕の溺愛ぶりは相当なものであったらしく、幼い愛姫を伊達家に嫁に遣ってからの彼は寂しさのあまりか、常軌を逸した行動を取るようになったという。挙句の果てに田村家は伊達家に吸収され、清顕もまた謎の死を遂げた。彼の死因については様々な憶測が囁かれたそうだが、真実は未だ明らかにされてはいない。


「俺は今回の事件、その二人が関係しているように思うんだ」

「……はぁ?」

「ああ、待て待て。別に怪談じみたことを言いたい訳じゃない。歴史的な事柄を踏まえた上で、彼らと事件との関連性を示唆しているんだよ」


 そう言われても何が何だかさっぱり分からない。話の筋が見えずに私が沈黙していると、滝沢は「いいか」と切り出して来た。


「最初に言った共通点だが、被害者はどいつもこの町の出身ではない。他県からの観光客だ。そして彼らの誰もが、滝桜を観に行っている……当然だよな、この町を全国的に有名にしているのはあの馬鹿でかい桜なんだ、観ない手は無いだろう。

 で、ここからが肝心なんだが、彼らが居なくなったのは全て、滝桜が満開を迎えた日の夜のことなんだよ。俺達みたいにアレが満開になるのを待っていたんだろうな、きっと」


 私達と同じように。滝沢の言葉は暗に、私達も他の行方不明者同様、神隠しに遭う可能性があることを示していた。

 昨日までの私なら何を馬鹿なことをと笑い飛ばしている所だろうが、昨日金縛りを体験したばかりの身としては、とても笑う気にはなれなかった。


「ところで、清顕が伊達家に嫁いだ愛姫宛てに書いた手紙の中に『三春四文詞(みはるしぶんし)』という詩があるんだが。

 三春の春の様子を遠く離れた地の愛娘に伝えようと書いたものらしいんだが、その中に滝桜に関する記述が含まれているんだ。

 しかも興味深いことに、それを書き終わったと同時に滝桜が満開になったという伝承が現在に残っているんだよ。ついでに言うと、その年に清顕は突然死しちまってたりする……どうだ? 今回の事件とどこか似ていると思わないか?」


 そこまで一気に喋って疲れたのか、滝沢は火の付いた煙草を一本咥えた。


「何だかんだ言って、結局怪談話じゃないですか、それって。田村清顕の怨霊が神隠しを引き起こしているとでも言うんですか?」

「ま、実際清顕の亡霊が出たって話はよく聞くがな。どちらかと言うと俺は『三春四文詞』の伝説になぞらえた誘拐事件じゃないかと踏んでいるんだ。誰もが怪異を恐れて調査することを躊躇して来た一大スクープだ、これをモノにする意味は大きいぜ」


 にやりと笑って、滝沢は煙草の先端をこちらに突き付けて来る。


「お家に逃げ帰るんなら今の内だぜ、画家さんよ。予報じゃ、滝桜が満開を迎えるのは次の満月の夜──すなわち明日の晩だ。せいぜい覚悟しておけよ、俺達も神隠しに遭う条件は充分満たしているんだからな。

 三度春が来て、四度目の春は来ないかも知れないぜ?」


 歌を唄う少女の幻影と同様、滝沢の言葉もまた警告だ。知り過ぎた者への、関わり過ぎた者への警告。いやむしろ、知っているからこそ逃げろと言うのか。

 しかし私は今更帰るつもりは無かった。

 約束していたからだ。ずっと一緒に居ると。彼女と。


「芹沢先生、おはようございまーす」


 手を振りながらこちらに駆けて来る少女の姿は、朝日に映えて美しかった。

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