夢を喰らう夢

 小説家になることが夢だった。

 僕は小さい頃からその気になれば大抵のことは何でもできた。

 勉強は普通にやっていれば普通以上の成績を残せたし、スポーツも大概そつなくこなせた。ランチタイムはこちらが何も言わなくても誰かしら誘ってくれた。

 でもやっぱり僕は空想の世界が何よりも好きだった。

 学校から帰って宿題をする時間も、学校帰りに友達に付き合わされたサッカーも、家で家族と過ごす食事も、すべて僕にとっては時間の浪費でしかなかった。1ページ分でも長く小説の世界に浸っていたかった。僕のこれまでの人生の半分は書物と共にあったといってもいい。

 中学生になる頃には、自分で空想の世界を膨らませるようになっていた。

 他人から与えられる感動はもちろん今でも大好物だが、どうしても他人の空想では自分の理想と齟齬が生じる。だから、自分で自分のための世界を僕は作ることにしたんだ。

 客観的に見て、創作活動においても僕の才能は秀でていたと思う。親しい友人に自分が書いた物語を読んでもらうと多くの人がポジティブな感想をくれたし、高校に上がる頃には自分でコンテストや出版社に応募し、何度か入賞したこともある。

 将来は小説家になろう。入賞の実績があったこともあり、親も教師もその進路を認めてくれた。


 けれど、神様は僕にそれを許してくれなかった。


 進路が固まった高校三年の夏の終わりから、僕は新しい作品を書けなくなっていた。昔は何も意識しなくても物語のアイディアは次から次へと浮かび、メモを取り忘れてもどうせまた次のアイディアがおのずと浮かぶだろうと思えるほどに想像力に満ちていたのに。

 家に帰ってパソコンを開いても、一向に筆が進まない。最初の一行目の言葉がまったく浮かばない。やっとの思いでひねり出した物語は実にチープで、ただ焦るだけの日々。

 気付けばいつの間にか自分は大学生になっていた。だが結果的に自分をスランプから救ってくれたのは大学で出会った”彼女”だったのだから、やはりここに進学したのは間違いではなかったと確信している。


 ▼▼▼


「ねぇあなた」


 最初に出会った時から、姫野夢叶は姫野夢叶だった。

 金色に染めた髪も、耳元で光るピアスも、破廉恥なほど露出した太ももに見えるタトゥーも、とにかく目立つ。だがそれは悪目立ちとは少し違い、一見すると軽薄にも見えるが、そのどれもが「姫野夢叶」という人間を象徴する重要なファクターとでも言うべきものだった。なんというか不自然さが自然すぎるのだ。


「はい、僕ですか?」

「あなた、芝浦恭介よね?雑誌とかでちょくちょく作品が載ってる」

「えぇ、まぁ」


 入学したばかりの大学で初対面の相手が自分の経歴を知っていることに少し驚きはしたし、同時に今のスランプとのギャップを否応なしに感じて幾分苛立ちを覚えはしたが、不思議とそんなに悪い気はしなかった。


「最近調子はどう?」

「え?元気ですけど」

「違う違う、執筆活動の方」

「ッ……」


 自分の触れてほしくない部分を突かれるとこんなにも相手に殺意を抱くものなのだということを初めて知った。初対面の、しかも手を上げづらい女性であるほど特に。


「……あなたには関係ないでしょう」


 そう返すが、その声には自分で分かるほど怒りが滲み出ていた。

 すると目の前の女は獲物を見つけた獣のような、けれどどこか真っすぐな純真さを思わせるかのように目を輝かせる。


「そっかぁ、やっぱりね~」

「なんですか煽ってるんですか」

「違う違う、そういうんじゃないの」

「そもそもあなた、誰なんですか?」

「あーそういやまだ名前言ってなかったね。私は姫野夢叶。」


 彼女はおもむろに自分の襟元を掴んでグイっと顔を寄せる。

 今思い返すとあの時の彼女はとてつもなくタチの悪い顔をしていたものだ。


「いい話があるんだけど興味ない?」


 ▲▲▲


 昨夜のを終えた夢叶と別れた僕は、少し早いがそのまま大学に向かった。基本的に深夜の3時から朝7時までのシフトでバーでバイトしている自分は、夢叶ほどではないが生活リズムが人とずれている。夕方大学が終わるとすぐに寝る必要がある僕は、朝にバイトが終わるとそのまま大学に行き、1限目の講義が始まる9時30分までを夢叶から提供された”夢”を元に新作の構想を練る時間にあてていた。

 朝のこの時間にキャンパスに来ている学生はほとんどいない。だからこそ、静かに執筆に没頭できるこの時間はとても居心地がよかった。文学部の棟にある2Fのフロアは学生向けに自由開放されており、いくつかの机と椅子、コンセントが用意されている。毎朝ここに来ると自販機で安い缶コーヒーを買い、鞄から大学指定の小ぶりなノートパソコンを開くところまでが日課だ。そこから先の作業は昨夜の夢叶の収穫による。新しい作品のアイディアに繋がりそうな”夢”の話を聞いた日は新作の設定を練り、ピンとくるものが無かったときは以前自分が書いた物語を読んで時間を潰す。


 ———今日は、新作を書いてみるか。


 夢叶が昨夜仕入れてきてくれた”夢”にあった、クラスメイトに殺意を抱く小学生というのは、今の時代では割と珍しくもない設定かもしれないがポピュラーというわけでもない。いくらか設定を追加して脚色すればオリジナリティのある作品に仕上がるだろう。パソコンのフォルダから、この小学生の”夢”に合いそうな”夢”がないか過去のファイルに目を通していく。

 今の自分の創作のスタイルは、一言で言えば”夢”の寄せ集めだ。それ一つだけではインパクトに欠ける”夢”も、それ以外の”夢”の話と組み合わせれば大きな化学反応を起こす。


 ”夢”の欠片を集めて、より大きな一つの”夢”を作る。


 聞こえはいいが実態は他人のプライバシーや願望を利用して自分の夢を満たしているだけだ。

 罪悪感がないわけではない。夢叶は「夢を見たこと自体誰も覚えてないんだから気にしなくていいのよ」なんて言っているが、やはり小説家の端くれとしては他人の想像を奪って自分の作品を書くことに何も思わないはずがなかった。それでもこのスタイルを続けているのは、ただ純粋に他人の”夢”から得られる無限のアイディアに自分が魅了されているからだろう。掘っても掘っても尽きることのない金鉱を見つけたような気分だった。

 きっと自分は、小説家としては失格なのだろう。

 かつて心から憧れ、この手に掴もうと必死に手を伸ばしていた空想の世界に、自分は完全に呑まれてしまっている。一種の麻薬と同じかもしれない。

 でも、別にいいじゃないか。

 例え他人の”夢”を喰らって膨らんだ夢であっても、その夢は本になることでより多くの人々に夢を与えてくれる。だからこそ、自分は一つでも多くの結果を残さなければならない。自分の夢の糧となってくれた”夢”のために。


 1限目の講義の時間になる頃には、おおよそのあらすじと主人公のプロフィールまでは固まっていた。


「ふあぁ、おはよう恭介」

「おはようっていう時間ではないと思うけどね」


 夢叶がキャンパスに来たのは午後3時を過ぎた頃だ。既に4限目の講義は始まっており、教室に二つあるうちの教授が立つ教壇側の扉を何のためらいもなく開けて机に座る彼女は、いつも通り僕の隣で机に頭を突っ伏して昼寝を始める。


「一体何しに大学に来てるんですか?出席扱いにはなるかもしれないですけどたまには真面目に講義を受けたらどうです?」

「無理無理、人の話聞いてると眠くなるのよね~」

「来週小テストあるらしいですけど、黒板写さなくていいんですか?」

「後であんたの写させて~」


 気の抜けるような声でそう言う彼女にやれやれと嘆息する。

 彼女はきっと今夜も、誰かの”夢”を奪いに夜の街に繰り出すのだろう。自分の隣で眠る「夢泥棒」は、今どんな夢を見ているのだろうか。他人の”夢”を奪うことができる彼女は、「夢なんてあったところで何の意味もない」なんて言っているが、僕はそうは思わない。彼女が頑なに否定する”夢”は、現実で多くの人が目にすることができる夢に変わるのだから。だからきっと、今夢叶が見ている夢にも意味はある。彼女は自分が奪った”夢”については語ってくれるが、自分自身が見た夢については語ってくれない。


 他人の”夢”を使って自分の夢を満たしている僕は、きっと彼女が見る夢だって自分の手で現実の夢にしたいと思うのだろう。


 夢泥棒が見る夢はどんな夢か、それだけを考えながら僕は彼女の分もノートをとっていた。

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